しばらくぶりに「加害者臨床」でググってみたが、新たに読んでみようという本は見当たらなかった、というか以前わたしが読んだ本のいくつかは「絶版重版未定」になったりしていた。大雑把に言って、ただでさえ薄い(世間の)関心がいよいよ消えかかっているのではないだろうか。
仕方がないのでいろいろ眺めていたら、以前に加害者臨床について調べていたとき一番頻繁に名前が出てきた信田さよ子氏のblogがあるのを見つけた。それを漫然と読んでいたら以下のような文章があった。
これは暴言の類だと思うから一言書かせてもらう。とはいえ「日記」の文章だし、わたしの方は匿名なのだから批判的な感想を書く気はない。上記引用箇所に触発されて、一介のタバコのみとしてのわたしの考えを書きたくなったというだけだ。
信田は「依存症」(文春新書)の著者として、つまりアル中(と呼んで依存症と呼ばないのは、わたしが非専門家であることの表示である)につきものだとされているDVの被害者や加害者に療法家としてかかわってきた者として、その身からすれば、どうしてもこういう言い方になってしまうところがあるのだろうとは思う。けれども、わたしはこういう言い方は好まない。それは別にわたしがタバコもアルコールも嗜む人間だからではなくて(タバコもアルコールも嗜むのだが)、個人の習慣に対するいかなる規制も正当化されるものではないと思っているからである。
現にタバコのみとして禁煙ナチスの暴虐に日々苛まれている身としては、たとえ誇張された冗談でも「なぜ同じ暴虐がアルコールに対しては加えられないのか」と言わんばかりのことなどは言いたくないし、言うことは不当であるとかんがえる。そういうことを言っていい者がいるとすればアル中患者のDVに現に苦しめられている被害者の当人だけだとわたしは思う。また「言っていい」(正当な権利がある)ということは言っている内容が正当であるということを必ずしも意味するわけではない。
テロ攻撃で傷つけられたり殺されたりした人間やその家族はテロ攻撃の主を憎悪したり、思いつく限り任意の表現で憎悪を表明する正当な権利を持っている。だがそのことは表明された憎悪の内容が正当であるということを、つまり報復に関する正当な権利が憎悪に沿って附与されることを、必ずしも意味するわけではない。仮にそうなら(報復の権利が正当化されるなら)、わたしなど今頃はあらゆる禁煙ナチスに対する報復攻撃を実行してその正当性を主張しているはずである。正直言って、それを正当化できない自分が恨めしいくらいのことである。だが、わたしがわたし自身に対してきっぱり否定しているのだから仕方がない。
なぜそれが正当化されえないかの理由は単純である。個人としての存在のうちに正当化という概念は存在しないからである。個人としての存在はその残余(世界)から攻撃されることがありうるし、その攻撃に対して抵抗したり反撃したりすることもありうる。すべての個人的な抵抗や反撃は法も倫理も超越したところで生じるのであって、ゆえにいかなる法も倫理もそれが生じること自体をおしとどめることはできない、そのかわり、法や倫理がそれを正当化するということもまたありえないのである。
我々はたとえば日本国民なら日本国民としての権利を持っている。人類共通の権利というものがあればそれもまた持っている。けれどもそうした限定の一切を外したところの、ただの個人としての権利というものはおそらく存在しない。我々はそれを権利によって行いうるのではなく、無限定の存在として単に行うのである。そこにはいかなる禁止も成立しないかわり、何かを権利として保証されるということもまたないのである。
・・・以上を書いて数時間、読み返してみたらいったい何が言いたいのか自分でも判らないw 書いておきたいことがあるからその通りに書いているのだ。ただ、わたしは自分を正当化するつもりがないし、そんなこととは無関係な場所から書きたいのだが、そのような言葉の場所がうまく見当たらないし、作り出せてもいないということだ。あとは、うっかり読んでしまった閲覧者に、これだけは読み違えてもらいたくないと思っていることを以下に書く。
我々はWHOのような国際テロ組織(と、その翼賛的な下部組織)によって始終脅かされ、暴虐に晒されている。目下の暴虐に目を瞑ったまま良心的なことや希望らしきものを語ろうとすること、少なくともそのことに羞恥することのないどのような思想も哲学も、わたしは真とは見なさないし、そのように語られた良心や希望はすべて偽りであると断言する。
仕方がないのでいろいろ眺めていたら、以前に加害者臨床について調べていたとき一番頻繁に名前が出てきた信田さよ子氏のblogがあるのを見つけた。それを漫然と読んでいたら以下のような文章があった。
新幹線といい、各省庁といい、どんどん喫煙者の肩身は狭くなるいっぽうだ。そんな風潮を「禁煙ファシズム」と名付けるひともいるが、かつての喫煙者である私も同調する。 理由は、別に喫煙を再開したいわけではなく、アルコールへの異様な寛容さと比較してのことである。(中略) 喫煙が副流煙で健康被害を与えるという理由でここまで忌避されるのであれば、どうして新幹線の中でのアルコール販売禁止をしないのだろう。テレビのCMに対する制限がなぜ実施されないのだろう。(中略) 私見であるが、ビールの税率を据え置き(もしくは下げる)、アルコール度数10%以上の酒類の税率を上げることで全体として酒税による収入を上げることは可能だろう。 これによって飲酒量が下がり、自殺率が低下し、健康被害も減り、飲酒運転による事故も減るとなれば、健康保険の支出も抑制できて一石三鳥ではないだろうか。 (2010年3月28日「『禁煙ファシズム』とアルコール」より抜粋・全文はリンク先) |
これは暴言の類だと思うから一言書かせてもらう。とはいえ「日記」の文章だし、わたしの方は匿名なのだから批判的な感想を書く気はない。上記引用箇所に触発されて、一介のタバコのみとしてのわたしの考えを書きたくなったというだけだ。
信田は「依存症」(文春新書)の著者として、つまりアル中(と呼んで依存症と呼ばないのは、わたしが非専門家であることの表示である)につきものだとされているDVの被害者や加害者に療法家としてかかわってきた者として、その身からすれば、どうしてもこういう言い方になってしまうところがあるのだろうとは思う。けれども、わたしはこういう言い方は好まない。それは別にわたしがタバコもアルコールも嗜む人間だからではなくて(タバコもアルコールも嗜むのだが)、個人の習慣に対するいかなる規制も正当化されるものではないと思っているからである。
現にタバコのみとして禁煙ナチスの暴虐に日々苛まれている身としては、たとえ誇張された冗談でも「なぜ同じ暴虐がアルコールに対しては加えられないのか」と言わんばかりのことなどは言いたくないし、言うことは不当であるとかんがえる。そういうことを言っていい者がいるとすればアル中患者のDVに現に苦しめられている被害者の当人だけだとわたしは思う。また「言っていい」(正当な権利がある)ということは言っている内容が正当であるということを必ずしも意味するわけではない。
テロ攻撃で傷つけられたり殺されたりした人間やその家族はテロ攻撃の主を憎悪したり、思いつく限り任意の表現で憎悪を表明する正当な権利を持っている。だがそのことは表明された憎悪の内容が正当であるということを、つまり報復に関する正当な権利が憎悪に沿って附与されることを、必ずしも意味するわけではない。仮にそうなら(報復の権利が正当化されるなら)、わたしなど今頃はあらゆる禁煙ナチスに対する報復攻撃を実行してその正当性を主張しているはずである。正直言って、それを正当化できない自分が恨めしいくらいのことである。だが、わたしがわたし自身に対してきっぱり否定しているのだから仕方がない。
なぜそれが正当化されえないかの理由は単純である。個人としての存在のうちに正当化という概念は存在しないからである。個人としての存在はその残余(世界)から攻撃されることがありうるし、その攻撃に対して抵抗したり反撃したりすることもありうる。すべての個人的な抵抗や反撃は法も倫理も超越したところで生じるのであって、ゆえにいかなる法も倫理もそれが生じること自体をおしとどめることはできない、そのかわり、法や倫理がそれを正当化するということもまたありえないのである。
我々はたとえば日本国民なら日本国民としての権利を持っている。人類共通の権利というものがあればそれもまた持っている。けれどもそうした限定の一切を外したところの、ただの個人としての権利というものはおそらく存在しない。我々はそれを権利によって行いうるのではなく、無限定の存在として単に行うのである。そこにはいかなる禁止も成立しないかわり、何かを権利として保証されるということもまたないのである。
・・・以上を書いて数時間、読み返してみたらいったい何が言いたいのか自分でも判らないw 書いておきたいことがあるからその通りに書いているのだ。ただ、わたしは自分を正当化するつもりがないし、そんなこととは無関係な場所から書きたいのだが、そのような言葉の場所がうまく見当たらないし、作り出せてもいないということだ。あとは、うっかり読んでしまった閲覧者に、これだけは読み違えてもらいたくないと思っていることを以下に書く。
我々はWHOのような国際テロ組織(と、その翼賛的な下部組織)によって始終脅かされ、暴虐に晒されている。目下の暴虐に目を瞑ったまま良心的なことや希望らしきものを語ろうとすること、少なくともそのことに羞恥することのないどのような思想も哲学も、わたしは真とは見なさないし、そのように語られた良心や希望はすべて偽りであると断言する。