生まれて何十時間くらいしか経っていない赤ん坊でさえ、目の前の人間の振る舞いを「模倣」はするそうである。
外側から見て否定できないはっきりした形で観察されていることは確かである。ものの本によれば同じようなことは世界中で報告されているので、文化によらない、人間の生得的な能力と言ってよい何かだというのは確かなことであるらしい。
わたしは、そういうようなことをそういう風に習ったことがあるからだろうが、そういう現象の報告を聞くと「同期だろうな」と、まずは思うことになっている。
この場合の同期というのはもちろん自己組織化や生物種の自然選択と同様の「(非線形)フィルタリング」の結果として生じる秩序化現象のひとつである。ランダムに見える初期状態から秩序が自生(emerge)してくるのは、文字通り自生してくるわけでも何でもなくて、ランダムな初期状態というのはもともとありとあらゆる秩序パタンが混ざりあった「灰色」の状態なのである。そこからフィルタリングによって特定の秩序パタンが次第に強調され、そうでないものが抑圧されることで、あたかも無から有が生じたように見えるのである。
笛を吹くと特定の音階で鳴るのは典型的である。吹き込んだ空気の流れはそれだけを取り出してみれば実は「シューッ」という雑音にすぎない。空気を勢いよく吹き込むと乱流が生じ、その乱流は気圧の粗密すなわち音としてみれば雑音になるわけである。けれども雑音というのはありとあらゆる周波数成分を含んでいる。一方、笛の構造は特定の周波数に共鳴する、つまりある周波数成分だけを強調して他は抑圧するようにできている。だから雑音をそこに通せば特定の音程だけが強調されて「鳴る」というわけである。
普通、フィルタというのは(もともと「ふるい」のことである)成分を削り取るだけなのだが、非線形系ではある周波数成分が他の成分のエネルギーを奪うということが起こりうる。だから笛を軽く吹いただけでも結構な大きな音が鳴るのである。吹き込んだ雑音のエネルギーの多くが「周波数成分の自然選択(!)」によって特定の音程の成分に集中するからである。この共鳴効果は吹き込んだ雑音の強さや成分特性にも依存することがある。つまり吹き方に依存することがありうる。気鳴楽器の中でも難しいとされるものは、ちゃんと音を出すまでがひと苦労であったりする所以である。
複雑性の「科学」が対象とするような現象はたいていこうした「非線形フィルタリング」のかかわる現象である。
それの何が新しいのか。共鳴とか同期とか呼ばれるような現象は昔からさんざん研究されてきたし、科学的な研究対象になる以前から楽器(音程を出すたいていの楽器は大なり小なり共鳴を利用している)は存在したわけである。自然選択が帰結する生態系のありよう、特にその動態というのは、いわば生態系の奏でる笛の音なのだ、というのは比喩としては楽しいかもしれないが、それがどうしたと言ってしまえば、まあ、それだけのことだと言えなくはないことである。
何が肝心なのかと言えば、こうした現象は「志向性」ということが考えられない状況でも生じるということである。たとえば自然選択というのは何か志向的な主体が存在して、その主体が個々の種を志向的に(意識して)摘み取ったり拾い上げたりしているのではない。生態系それ自体は「種」も「個体」も何も知らないし、自分自身の境界がどこらへんにあるのかということでさえ、自身では知らないし決めてもいないし、決めようとさえしていない。それが肝心なのである。
乳児の模倣の場合、本当に何もないところからそれが生じているということはありえないだろう。それは実際、ガン・カモ類に見られる「刷り込みと追尾行動」と本質的には同じ、生得的な、つまり大枠が遺伝的に組み込まれた行動パタンであるはずである。けれども、そもそもそうした「遺伝情報の手抜き(生物学的コストの削減)」が可能であるのは、大枠さえ決めておけば細部の仕上げは後天的に、個体が個体として振る舞う中で生じる非線形フィルタリングが自然的に達成してくれるからである。
初期の発達は、というよりも人間の全生涯にわたる発達過程のすべてはこの、最も早い時期に成立する非コンパクトな模倣系(と仮に名づける)の働きを主体と志向的な意識の系として再構築するような形で進行するのかもしれない。
外側から見て否定できないはっきりした形で観察されていることは確かである。ものの本によれば同じようなことは世界中で報告されているので、文化によらない、人間の生得的な能力と言ってよい何かだというのは確かなことであるらしい。
わたしは、そういうようなことをそういう風に習ったことがあるからだろうが、そういう現象の報告を聞くと「同期だろうな」と、まずは思うことになっている。
この場合の同期というのはもちろん自己組織化や生物種の自然選択と同様の「(非線形)フィルタリング」の結果として生じる秩序化現象のひとつである。ランダムに見える初期状態から秩序が自生(emerge)してくるのは、文字通り自生してくるわけでも何でもなくて、ランダムな初期状態というのはもともとありとあらゆる秩序パタンが混ざりあった「灰色」の状態なのである。そこからフィルタリングによって特定の秩序パタンが次第に強調され、そうでないものが抑圧されることで、あたかも無から有が生じたように見えるのである。
笛を吹くと特定の音階で鳴るのは典型的である。吹き込んだ空気の流れはそれだけを取り出してみれば実は「シューッ」という雑音にすぎない。空気を勢いよく吹き込むと乱流が生じ、その乱流は気圧の粗密すなわち音としてみれば雑音になるわけである。けれども雑音というのはありとあらゆる周波数成分を含んでいる。一方、笛の構造は特定の周波数に共鳴する、つまりある周波数成分だけを強調して他は抑圧するようにできている。だから雑音をそこに通せば特定の音程だけが強調されて「鳴る」というわけである。
普通、フィルタというのは(もともと「ふるい」のことである)成分を削り取るだけなのだが、非線形系ではある周波数成分が他の成分のエネルギーを奪うということが起こりうる。だから笛を軽く吹いただけでも結構な大きな音が鳴るのである。吹き込んだ雑音のエネルギーの多くが「周波数成分の自然選択(!)」によって特定の音程の成分に集中するからである。この共鳴効果は吹き込んだ雑音の強さや成分特性にも依存することがある。つまり吹き方に依存することがありうる。気鳴楽器の中でも難しいとされるものは、ちゃんと音を出すまでがひと苦労であったりする所以である。
複雑性の「科学」が対象とするような現象はたいていこうした「非線形フィルタリング」のかかわる現象である。
それの何が新しいのか。共鳴とか同期とか呼ばれるような現象は昔からさんざん研究されてきたし、科学的な研究対象になる以前から楽器(音程を出すたいていの楽器は大なり小なり共鳴を利用している)は存在したわけである。自然選択が帰結する生態系のありよう、特にその動態というのは、いわば生態系の奏でる笛の音なのだ、というのは比喩としては楽しいかもしれないが、それがどうしたと言ってしまえば、まあ、それだけのことだと言えなくはないことである。
何が肝心なのかと言えば、こうした現象は「志向性」ということが考えられない状況でも生じるということである。たとえば自然選択というのは何か志向的な主体が存在して、その主体が個々の種を志向的に(意識して)摘み取ったり拾い上げたりしているのではない。生態系それ自体は「種」も「個体」も何も知らないし、自分自身の境界がどこらへんにあるのかということでさえ、自身では知らないし決めてもいないし、決めようとさえしていない。それが肝心なのである。
乳児の模倣の場合、本当に何もないところからそれが生じているということはありえないだろう。それは実際、ガン・カモ類に見られる「刷り込みと追尾行動」と本質的には同じ、生得的な、つまり大枠が遺伝的に組み込まれた行動パタンであるはずである。けれども、そもそもそうした「遺伝情報の手抜き(生物学的コストの削減)」が可能であるのは、大枠さえ決めておけば細部の仕上げは後天的に、個体が個体として振る舞う中で生じる非線形フィルタリングが自然的に達成してくれるからである。
初期の発達は、というよりも人間の全生涯にわたる発達過程のすべてはこの、最も早い時期に成立する非コンパクトな模倣系(と仮に名づける)の働きを主体と志向的な意識の系として再構築するような形で進行するのかもしれない。