惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

5月11日(土)のつぶやき その4

2013年05月12日 | miscellaneous

本当に景気のいい話というのはこんな風に、たとえそれが外国の話であって、自国はどっちかいうと損してるかもしれない場合でさえ気分を朗らかにしてくれるものなのである



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5月11日(土)のつぶやき その3

2013年05月12日 | miscellaneous

擁護するついでに同じ比喩でイチャモンも書いておけば、確かに我々は音階を聴くし、その時系列として音楽も聴くわけだが、音階の方にことよせた音楽理論のようなものは、だいたい、どこまでがトンデモでどこからがそうでないのか、本当は誰にもはっきりさせられない議論になりがちだということだ


東方Project第14弾 東方輝針城 ~ Double Dealing Character. (2:30) #sm20832364 nico.ms/sm20832364 とりあえず霊夢さんの前髪ぱっつんとマジカル☆さくやちゃんスターの話題でもちきりのようだ


某C大大学院の入試問題が核心をつきすぎて痛いw pic.twitter.com/fM2Q0a1eXt

celsius220さんがリツイート | 3507 RT

ゼニにならん、世の中の役にも立たないと言ったら、理科系のたいていの基礎学問だって同じことなんだがな。まあ世間の人は学生も含めて大学(院)=職安としか思ってないということだわな


それはそうと「根拠を示しつつ、論理的にあなたの考えを書きなさい」という設問の文章は日本語として微妙によくないな。ここは「あなたの考えを論理的に書きなさい」でいいはずだ。論理的な議論が根拠に基づくのは定義上当然だ


そらまあ根拠に基づかない論理的な議論はたったひとつだが存在して、それは「自明である」(笑)というものだ。けれどもそれが大学院の入試問題の解答として不適であることは、それこそ自明だ(笑)


俺は知的世界のあれこれとはほぼ無関係に計算機屋になったものだから、「大学=職安」という世間の常識がどうしてそう思い込まれるようになったのか、本当は不思議で仕方がない


日本の大学は学問の府どころかレジャーランドにすぎない、という言い方なら、遅くとも1970年代の終わり頃からあったわけだが、あれも不思議だった。レジャーランドでなかったら誰が何しに行くんだろうか

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その不思議は大学に入ってみたら判った。学部4年とか修士2年の人とかはみんな血相変えて就職活動していたからだ。ああなんだ、ここは職安だったのかと


その時は気づかなかったのだが、大学のサークルとかは、ある程度までは今でいう「婚活」の、つまり結婚相談所のようなものでもあった。「ある程度までは」というのは、誰もがそこで将来の配偶者を決めるわけではないという意味で、ほかの何かがあったという意味ではない


これでも最初に大学生だったころは合コンのたぐいはたくさん出席したものだったが、それはもう、女の子がたくさんいるところで酒が飲めて愉しいから行くので、それ以外の意図も目的も何もなかった


そういうものではないのだと初めて知ったときは、そらもう心の底からびっくり仰天したぜww こいつらは何食わぬ顔しながら、頭ん中じゃそんなつまらんこと(と言ってはいけないのだろうが、俺にはつまらないのだから仕方がない)ばっかり考えてやがるのかって


@hiroco2003 炊事洗濯の家事労働を化学の枠組みで覆えるかと言ったら、そら無理に決まってるな。調味料や添加物の化学とか、化学ゾーキンの化学とか、そういうのならいくらでもあるはずだが、調味料それ自体は食事ではないし、雑巾それ自体は掃除ではない


2chあたりで時々やってる「嫁のメシがまずい」ネタのスレッドとか読むと変に感心してしまう。ああいうのはどの程度事実なのかはよく判らないのだが、話半分だと考えてもこれはちょっと凄いというか


調味料の化学みたいなものをどんな風にどれだけ延長したって、ああいう話には指一本たりとも触れることができないであろうことは確実だと思える


つべこべ言っても科学者というのは自分の知識の手の届かないことに対しては謙虚なものだ。そうしたことは大方のところ弁えていて、だから「料理化学」は存在しないのだろうと思う


新発田農業という県民以外読めないらしい名前

celsius220さんがリツイート | 1 RT

隣県の出身だから俺は読めるぜ。「しばた」って


新潟の人がこう言ってるところを見ると、あっちの方では「石動」とか「雨晴」とか「滑川」とかは読めないということなんだろうかな・・・


アルシンド「友達なら…」 観客「あたりまえ~!」まさかのコール&レスポンス #埼玉スタジアム pic.twitter.com/5We0ROzrfF

celsius220さんがリツイート | 2 RT

現代の天動説『アベノミクスのゆくえ』(書評・池田信夫) agora-web.jp/archives/15349… ”著者は「ゼロ金利でマネタリーベースを増やしてもマネーストックは増えない」日銀理論を否定するために両者の相関を示しているのだが、なんとそのグラフは1996年で終わっているのだ!”


使われない復興予算 1兆2600億円余りに(NHKニュース) nhk.jp/N47Q65P0 確証はないが、こんなことになるのはどうせ、入札条件とかで面倒くさいことばっかり言って「おいしい仕事」の形を作っていないからだろうと思う


いつか似たようなことを呟いたことがあったなあ、と思って探したらあった twitter.com/celsius220/sta…


全然関係ないけど、今朝ファミレスでメシ食いながら新聞を読んでいたら、国内のシラスウナギ不漁でアメリカ産のウナギにとんでもない高値がつくようになって、かの地では時ならぬウナギ長者が陸続と誕生しているのだそうだ


記事が手元にないので正確な字句は再現できないが、インタビューに応えた漁師の人が「日本人はこいつをカバヤキにして食うんだってな、そいつはうまいのかい?」などと語っていて微笑を誘われた。うまいぜ。マクドナルドのテリヤキなんかとはわけが違うぜ



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5月11日(土)のつぶやき その2

2013年05月12日 | miscellaneous

正直、複雑性の科学を学ぶことの第一の意義とは、その困惑の経験だと言っても過言ではない気がするくらいだ

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たとえば「反応拡散系におけるパタン形成」といって、それとおんなじことはPhotoShopで簡単にできるわけである。ランダム・ノイズの画像に対してコントラスト拡大とGaussianぼかしを交互に適用することを繰り返すと現れるパタンがそれなのだ


理論解析だ何だということになればもちろんひと仕事だが、どっちみち言うほどたいしたことが言われているわけではない。要は非線形フィルタの反復適用なのである。そして(反復適用と聞いてティンと来なければならないところだが)進化(ゲーム)理論というのもそれなのである


何のことはない全部同じ話じゃないか、ということが次第にわかって困惑することになるわけだが、そもそもこれらの話をひと通り全部触れて回ることができる(また自然にそう促される)ところに複雑性の科学を学ぶ意義があるわけなのだ


いま言った程度のことなら、多少上手にくだいて説明すればたぶん、小学生でもたやすく理解できることだ。現実には誰もそれをしないので、大学院までの十数年間も無駄にむつかしい算数と取っ組み合いを強いられているんだ!(集中線)なだけだ

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女の子の標準語は京都弁でいいです。

celsius220さんがリツイート | 6 RT

いい感じに酔っていればなおよい、と言っておきたい


小林秀雄や吉本隆明という人はけして頭もよくなければ文章もうまくない。どっちも女で死にかけたことがその知の基底にあるけど。

celsius220さんがリツイート | 8 RT

小林秀雄はトーダイの仏文の優等生だったんではなかったっけと思わないでもないが、まあ頭がいいということを「女で死にかけたりしないこと」と定義すれば小林もバカのうちには入るのか

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小林も吉本も文章はうまくないというのはまったくその通りだと思う。吉本に至っては上手に見せかけようという配慮の跡すら見当たらないときているw


文学思想的なことはさておいて、吉本が文章を書くように計算機プログラムを書けたら爽快だろうなと思う。コンパイラがエラーを吐いたらソースコードの方からコンパイラを叱り飛ばすという(笑)

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決してマゾヒズムではなくそれは計算機屋の見果てぬ夢ではある。コンパイラも計算機プログラムの一種だから、それが人を叱り飛ばすことはあっても、人から叱り飛ばされることはできないのである


東方輝針城 - ニコ百 dic.nicovideo.jp/id/5084899 #nicopedia ”「上海アリス幻樂団」制作の弾幕STG「東方Project」の第14作目。2013年5月26日の第10回博麗神社例大祭にて体験版の頒布が予定されている”


例えば、"evocation"という単語があって、文脈では訳せるんだけど、単語としての訳語がとんと思いつかない。こういうのなんなんだろうと思う。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

そんなこと言われたら龍炎狼牙センセイは涙目だな


ライフゲームにはいろいろなモデルが可能だけど、基本は、初期設定から滅亡が算術されないこと。生きてみないとわからないということ。で、これで、どう適者生存がモデル化できるかというと、初期設定に環境を含めるのは矛盾だから、なんともなあ。

celsius220さんがリツイート | 4 RT

しばらく外出していたのでこれについて書けないでいたが、ライフ・ゲームのようなセル・オートマトン(セルラ・オートマタ)が複雑性の文脈で注目されたというのは、まさにそのコンウェイのライフ・ゲームで万能チューリング・マシンを構成できる、つまり計算万能な系であることが証明されたからだ


つまり「適者生存(survival of the fittest)」という文脈はこのあたりの研究の流れの上では本質的な事柄ではなくて、どっちか言えばまさに「生きてみないとわからない」創発性ということが注目点の本質としてあったわけだ


それでこんな本も出ていたわけだ ── 星野力「進化論は計算しないとわからない ―人工生命白書―」(共立出版,1998) kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/978… 共立のアカウントの人に業務連絡:これは今買った本じゃないし、オススメするわけでもないのでリプライは無用だよ


なんかよく判んないけど、あんまり星野さんをホメるとわたしのセンセイがオコルんだよ(笑)まあ十年以上前の話だし、センセイも教授になったからもういいかなと


そんな私事はさておき、さっきのRTは栗本慎一郎が「歴史学と生命論」という問題の立て方をしていることについての疑問を呈するところから出てきたものだ twitter.com/finalvent/stat…

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栗本がなんでそんな風かと言ったら、そもそも栗本の基本的な考えのうちに創発ということを実体的に考える強い傾向があるからだ。それは栗本の「意味と生命」を読めばすぐわかることだ


歴史学の方にそれを置き直せば、だからそれは民族とか民族に帰属する文化とか文明であるとかが実体としてあるものだという考えになるわけだ。尋常な歴史学がそれを認めないのは当たり前っちゃ当たり前の話だし、栗本がそれを拒否したり嘲笑したりするのもこれまた当たり前だということになる

1 件 リツイートされました

俺もさすがに民族を実体として考えるのはどうかと思う方だが、ただ栗本のような思考を擁護して言えば、実体として存在しないということはどんな意味でも存在しないということなのかと言ったら、それは、そうではないのではないかという主張を提起することにはなっているということだ


わかりやすく言ってみれば、フーリエ基底は実体として存在するわけではない(あるいは仮にそれを実体とすれば時間の方が虚仮になってしまう)わけだが、フーリエ基底が実体でないからと言って、それは我々が音階を聴かないということではないということだ



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5月11日(土)のつぶやき その1

2013年05月12日 | miscellaneous

自分という個が存在するのは確かであるが,自分を定義しようとすると,人間であるとか,女であるとかはよいとしても,身長とか足のサイズとかは成長と共に変わるし,成人しても誤差の範囲では変化があるし,性格も変わるので,どこまでいっても自分を定義できない.気がする.

celsius220さんがリツイート | 1 RT

こういう考えは誰でもときどきやるわけだが、これだと「自分」どころかたいていの対象物は定義できないということになる。対象物を構成する素粒子は(そこまで細かくしなくても任意の部分は)大なり小なり運動量を持っていて、不断にその状態を変化させている


そこで普通は対象そのものではなく対象を覆う閉じた領域を考えて、その閉じた領域の方を使って議論する。対象の概念は多少曖昧になるが、議論の方は確かになる


で、俺の考えでは、このやり方でも通用しないものの典型が「自分」というものだ。閉じた領域の直径をどれだけ大きく取っても、その領域からはみ出すような「自分」の部分が存在するということだ


なんでそんな途方もないことを考えるかというと、つまりそれが、人間存在が自由意志を持つということの含意だと見なせるからだ


物理に選択の余地はない、にもかかわらず、我々は誰でも自分自身についてなら自分が自由意志を持ち、行為なり判断なりを選択できるし、また事実そうであって疑いの余地がないと思っている。この、一見相容れないような事実を両立させるにはどんな考え方がありうるか?


その答のひとつがさっきの説明だ。特定の人間存在を物理系に置き換えたとしたら、その系はコンパクト・サポートを持たない。コンパクト・サポートを持たない系について閉じた議論はできない


CD 「music for 陰陽師」 U.K.のブライアン・イーノと日本の雅楽演奏者団体である伶楽舎が岡野玲子のコミック「陰陽師」をコンセプトに作り上げた和風アンビエントアルバムだにゃ! =^~^= ←(にゃんこがイーノというネームにくいついて買ったのでした) =*~*=w

celsius220さんがリツイート | 2 RT

このアルバムなら俺も持っていたりするのだが、あれだ、某ニコ動の某動画のせいで「陰陽師」と聞くとつい笑ってしまうようになってしまったので聴けなくなったww ぷよぷよするなという奴だ


それはそれとして、昔tvkでやってた「少年陰陽師」という番組は結構好きだったな


見ているとどうにもショタ物の文脈が背後にちらちら見え隠れしてはいた(笑)が、それを気にしなければオーソドックスな少年の成長ドラマとしてよくできていると思った


なんでこんなことをうじゃうじゃと書いているかと言ったら、つまり午前3時の指標を待っていたわけだが、結局3時の指標ではドル円にはさほど大きな動きはなかったようだ


ドル円はどうやら102円が新たな壁になったようだ。夜半過ぎに101.985くらいまで行ったのだが、突破できず、そのまま101.6あたりまで戻して停滞している


ちなみにそのあたりで何度かエントリしたのだが、戻りの大きさを読み違えて損してしまった(またしても「専門書一冊分」だ)。俺が損した後に限って値動きが停滞してしまうので取り返すこともできない。恨みでもあるのかこん畜生め


業者が指標時にスプレッドをバカみたいに拡大するようになってからどうにも儲けが取れなくなっている


指標スキャルができないということよりも(だいたいそんなのは派手にやるものではないわけだ)、スプレッドが異常拡大すると、本来刺さるはずのないカバー用の指値に刺さってしまったりするわけである


結果、もともと難しい、動きの読みにくい時間帯にわざわざエントリすることになって、損してしまう確率が高くなってしまっているようである


危機はつねに「想定外」のブラック・スワンだということを身にしみて知りました。だから危機管理は、あらゆる可能性を想定するだけではなく、なるべく失敗した経験の多い人を雇うことが大事だ――とタレブはいっています。 ow.ly/kU8ph

celsius220さんがリツイート | 28 RT

このRTの中のリンク先にこんなくだりがある ── ”タレブは(略)いう。近代科学は自然をコントロールする方法を発見したが、社会はそういうメカニカルな方法では管理できない。社会現象は物理系のように一定の均衡に収斂するエルゴード性を満たしていないので、平均や分散は意味をもたない”


「エルゴード性を満たさない=平均や分散は意味を持たない」というのは間違いとは言わないまでも直観的ではないなあ、と思う。エルゴード性の普通の定義は「アンサンブル平均と時間平均が一致すること」であるはずだ


引用のタレブという人もベキ乗則に言及して、そこから先の引用の話につなげているわけだが、「平均や分散は意味を持たない」というところからするとベキ乗分布というよりはコーシー分布の話だろうと思う


どっちにしても(極値において)正規性を大きく逸脱する分布をもつ事象のクラスでは、最小二乗原理に強く依拠した制御の枠組みは「思いがけない破綻」の危険にさらされるのは確かである


とはいえ、制御工学の範囲でもそれを考慮したロバスト制御の考え方がある。統計ならロバスト統計だ。両者の「ロバスト(頑健)」がまったく同じ意味かというと微妙な気もするが、本質的に同じ関心から出ていることは間違いない


確証はないのだが、どうもこのあたりの議論を聞いていると、単に経済学一般が現代制御理論の文脈ときちんと結合できていないということなのではないかと思ったりしないでない。物理屋と制御(工学)屋が互いに話が通じやすいのに比べると、経済屋はどうもそれが通じにくい印象が強い


訳知ったことを言うつもりはなくて、わたし自身、出戻り学生をやってる間に、それ以前に仕入れた複雑性に関する知見や議論の実に多くが「そんなことは物理や制御(工学)の分野では何十年も昔からやってる」新しくも何ともない話だとわかって困惑したことが何度もあった



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