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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ダウンした

2018年01月06日 | 健康・スポーツ
田舎へ行くとついつい食べ過ぎて、また暮れからのスケジュールに押され、寝不足などで体調を崩すのが常だった私が、最近はとても快調であったのに‥‥

今回は、帰りの車の中でまずいではないかと、思ってたら、やはり帰宅した夜になって悪寒と胃の差し込む痛さ。

あっ〜 やっぱりではなくて
祈らなかったじゃないの〜と、感謝した。

三好での夕食は消化されず、帰宅して2時間過ぎてもそのまま胃に残っていて、
ますます悪寒はひどくあり、胃も痛む。だから荷物は調子見ながらゆっくり片付けるだけ。洗濯もできない。

カンボジアチーム聖会視聴も

ほどほどにして、早めにベットへ。
熱を測るも嫌だ〜(インフルエンザでありませんように)

昨日は午前中家にいてくれたケパさんが、出かける前に、かかりつけ病院の受付をしてくれて、
それでは〜〜と、起き出してマスクして出かけるが、
診察では、朝より熱が下がっていて、ドクターから熱が出て来たならすぐ来るようにという事で、初期風邪の診断。
とりあえず、
インフルエンザの判断にも至らないようで一安心して、安静にして家の中で過ごしてたけれど悪寒は引き続きあるので、

ケパさんすいません。夕飯はご自分でね〜

結局今朝も、昼近くまでゆっくり体を休めたら、だいぶ良くなってる。

午後には2日ぶりの、コーヒータイムは、
妹からの頂き物の小布施の落雁と☕️

でした。

まだ、コーヒーの美味しさは味わえませんでしたが〜〜

さあ、明日の準備に励もう

ドルカス








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召命

2018年01月05日 | 使命
最近、音楽の道を歩んでいると思っていた若い青年が、突然、牧師への道を歩むと宣言した。
私は彼の少年時代から関わって知っていたので、驚いたし、喜んだけれども、すぐに一つメッセージを送った。
「喜ばしいことだ。ただし君に神からの召命(神から牧者として召されること)がはっきりあったならば」

牧師になって、つくづく思うことは、神からの召命があってなったことだ。しかし、かなり若い時分に牧師になろうと思った時があって、その時、牧師に召命が必要なんていう意識がなかった。
つまり神の召命なしに牧師になろうとしたのだ。これは実に残念な結果をもたらす。ある意味、恐ろしいことなのだ。そしてその時には、そのことを誰も教えてくれなかった。ただ私はその時に何か、心に引き留められるものを感じて、献身をためらった。今となっては、神に感謝していることなのだが。




ゲパ




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アイドル(偶像)を警戒しなさい

2018年01月04日 | 聖書
近所に船橋大神宮と言う、比較的大きめのお宮がある。元旦の日の夕方、家に帰ろうとしてその前を通りかかって驚いた。大勢の人が境内に入ろうとずらっと並んでいるだけでなく、駐車場待ちの車の大渋滞で、なかなか我が家に着けなかった。(下の写真は本文とは関係ありません)

普段は全くこんなのを見かけない所なので、これまで同種のものを見るたび、日本人とは年中行事時になると宗教心のスイッチが入るのかな? と思っていた。がしかし最近はそうでなく、これこそ偶像崇拝の極み、と思うようになった。

もちろん皆、神仏に祈願しに行くのだが、要するにそれは自分の願いや望みを、神仏をも使って何としてでも叶えさせるためなのだ。あるいはもっと漠然としていて、自分の不安を解消させようとしたり、何らかの合力を神仏から得ようと。そう、あくまで自分のために。
己自身が神という偶像になっていること、そのことに偶像崇拝が染みついている日本人は気づけない。ただし、無神論国家のこの国ではそれが当たり前であって、かく言う私の方がおかしい存在である。

手前味噌で恐縮するのだが、キリスト教は、その偶像崇拝を禁じる(最下の御言葉を参照)。十字架を信じた人とは、己の罪深さに芯から絶望し、罪の身代わり、十字架の救いの恵みにあずかった人である。キリストによって罪が贖われ、神から新たないのち、永遠のいのちを与えられた人たちでもある。
神ご自身が私を命を捨てて愛してくださった。だからその神の愛に応えたいと願い、自分の取るに足りない願いより、ただ神の御心だけを行いたいのである。自ら進んで神の僕として生きるクリスチャンは、まず神の御心を行おうとする。確かに自分の願いもするが、それが神の御心ならば、という大前提がある。神は最も私を愛してくださっており、御心が最善であることは体験を通してもよくわかっている。

それがあるのと無いのとでは、偶像崇拝であるか否かの大違いにもなる。クリスチャンは祈って、たとえ願いが叶わなかったとしても、むしろ神の計画は自分の願っていることよりもさらに最良の結果が用意されていると、かえってそれを喜ぶのだ。たとえ現状が最悪の結果であろうとも。これを信仰と言う。(モーセ・ウィキペディアより)

✝️子どもたちよ、偶像を警戒しなさい(1ヨハネ5:21)
Dear children, keep yourselves from idols.

✝️あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(出エジプト20:3)
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実家では

2018年01月03日 | 感謝
今朝起きたら、昨夜からの景色は一変しました。

庭も真っ白。早速に白髪男組は雪かき作業。

5時頃に一度雪かきをした義姉が、今日の雪はサラサラだからよかった〜と。

今日はどこにも行かず、またまた美味しいものを食べてるだけ?

ブロイラーになっちゃうと、
ケパさんは嘆いておりましたが(帰宅してヘルスメーターは乗りたくないようで)

日陰は根雪になりそうですが、
雪降りの後は良い天気になるんですね。
午後に2時間ほどオンライン会員の姉妹達とお交わりも出来ましてね

夕方には、兄、姉夫婦と

近くの♨️へ出かけて

温まってきました。

久しぶりの♨️に、私たちはホクホク。−3℃の外気でも、身体は暖かく実家へ戻りました。
心も身体もホッカホッカでゆったりね(๑˃̵ᴗ˂̵) 感謝です。

夜には、いつもの時間に、連鎖祈祷会も。恵みです。それぞれの家庭で祈りました。


ドルカス





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2018年の幕開けは

2018年01月02日 | 生活
礼拝の後、一日の夕方に姉たちと、谷津干潟と三番瀨に行って来た。

三番瀨は、船橋に遣わされて初めて祈りに来た場所。

あの時と季節が違い、さらに夕暮れ時。

東京湾のここで美味しい海苔が採れるそうで、さらに春には潮干狩りも

西の空に沈む夕陽はとても綺麗、
振り返ると、

振り返るとスーパームーン。
幻想的な色でした。

そして今日は姉夫婦と

信州は上田の実家です。浅間山いいね!
夜は、兄夫婦、新婚の甥夫婦、妹と甥、10人、楽しく夕飯です。

そして、兄のお洒落な頂き物の頭巾をかぶりはしゃぐ兄達です。

今はもう父母はいませんが、
こうして兄夫婦が迎えてくれました。



ドルカス







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特別礼拝

2018年01月01日 | 教会のこと
特別礼拝が行われています。


今日は横浜教会と、合同礼拝です。


聖餐


そして献金感謝のお祈りは、m姉です。


さらに今日は
横浜教会の大貫牧師のショートメッセージ

聖書は 1ヨハネ を開き
韓国は行かれた時の証しから、語ってくださいます。

後半は
牧師賛美の後に
ケパ牧師のメッセージは、
聖書マタイの福音書 11章12節 から

1分動画から、私たちの行くところをテーマに熱いですよ!語ります〜〜

天のエルサレムについて語ります、

ドルカス



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