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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

初めてピアノが楽しくなった

2018年01月17日 | 教会のこと
私は姉に引きずられて、小学二年生ぐらいでピアノ教室で習い、多分二年ぐらいして挫折。その後、高校生になって奮起し、二年間男先生から個人レッスンを受けた・・・が、またまた中断。がしかし、ピアノの音は生来好きだったと思う。

ピアノを少しだけでもかじっていて良かったなと思ったのは、【小学校教員採用試験】でだった。何しろ試験の課題曲がバイエルの最も好きな曲だったので、嬉嬉として弾かせてもらった。が、しかしそれが仇となり「音楽専科も可能」に判定されてしまった。びっくり仰天、その後は必死に断わる羽目になってしまった。(自宅で練習)

高校時代から約半世紀の時を経て今、七年余り前から再びピアノを習い、実際に教会で弾く私がいる。まるで六十の手習いだが、以前と異なるのは弾くことが苦しいトレーニングや修行の類ではなく、楽しいことだ。
下手な私でも、それがたとえコードばかりでも、とにかく弾くことで、教会員の皆さんが賛美してくださる! ピアノで少しは格好がついて礼拝らしくなる。それは路上ライブでも。賛美大会の予選だけだが、伴奏者としての任を務めることができる。人生生まれてはじめてピアノを弾くことが、充実感のあるものとなって、楽しい! 感謝である。(ケパドル賛美隊で)

もちろん我が教会に、もう少しピアノが堪能な方が来られたら、直ちにこの座を譲るわけだが、これはそれまでの間のことである。それでも、人は人と介して喜びを得るものだとわかった。ただ上手になりたくて、密かに自分一人練習しているだけでは、得られなかったものた。

これは「礼拝に誰も弾く人がいな〜い」ので、仕方なく拙いながら恐る恐る手を上げたからであって、神様がくださった一種のプレゼントだと思う。あーあ、弾くって楽しい! 弾き終わった後は、一事に集中していた脳が解き放たれたようで、テニスの後のような心地よい疲労感でいっぱいになる。これってひょっとして老化防止にもなりそう。神様、ありがとうございます。





ケパ









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