ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

それから

2016年04月23日 | ネコのコールと‥‥

23日は私の誕生日。
朝起きて、いつもの仕事がなくなり、足元も歩きにくい事もなく。ベランダに洗濯干すにも開いたドアを気にする事もなく、気が抜けてました。

が、この事は神の大いなる計画の内にあると、ケパさんに励まされるのに、ぼっと過ごしてしまいましたが、Facebookや、Line、Mailなど多くの励ましと祈り執り成しを頂いて、感謝します。

夕方は、コールのお世話になったどうぶつ病院へ最後の支払いに丁寧に最後を扱っていただいたのに、この料金でよろしいのですか?と、支払いを済ませ、感謝。
医院の外庭のスペースから院内を覗いて、ありがとございます。さよなら。

今夜はお祝いの食事に行くよ。予定通りだと言って、届いてたハガキを持って
私を励ましてくれます。
ピアノ生演奏でリクエストを弾いてくださる。
♪トロイメライ と♪ノクターン これ聴くともっと切なくなるけど、大好きな曲です。
コール(使命・召命)と私達に
神様が成された事を、しっかり受け止めて歩みます。
ご計画を私達に語ろうとされていると、
これから大いなることの始まりですと。

そして同じ金曜日の先週に起きた熊本地震。被災地の多くの方々のために祈りを。
アーメン



ドルカス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しいお知らせ・コールの召天

2016年04月22日 | ネコのコールと‥‥
先ほど、お昼の2時20分ごろ、私たちの愛ネコのコールが、突然天国へ行きました。
その時間にコールが急に苦しみ始め、チアノーゼ症状に陥ったので、あわてて近くの行きつけの病院に運びましたが、すでに心肺停止状態であり、救急救命処置もむなしく、死亡が確認されました。レントゲンなどの結果から、死因は肺に水が充満し呼吸不全になったものとわかりました。

どうしてそうなったのか、何らかのショック状態から急に水が肺にたまることとか、あるいは急性肺炎を起こしていたのか、私たちが思い当たるのは、いつもよく毛玉を口から吐き出すのを苦労していましたので、毛玉の詰まりが、誤嚥して肺に入ってしまったかもと想像しています。とにかく、特定できていません。

コールの異変に気づき、ドルカスが介抱している中でそれこそ「アッと言う間に」逝ってしまいました。その時間は10分もなかったでしょうか。本当に呆気なく、コールが居なくなった事実を今はまだ、なかなか受け入れることができません。しかし動物といえども神の許しなしには何事も起こりませんので、このことには「(神の)時が来たしるし」と示されています。(ブラッシングに全部委ねている元気な時のコール)
コール、私たちへの使命を果たしてくれて、ありがとう! 動物には罪がないので、私たちが天国へ行った時、真っ先に迎えに来てくれた犬と猫がいたら、それはアーク(契約の箱)とコール(使命)です。



ケパ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この笑顔に

2016年04月22日 | いやし
名古屋教会メンバーのお二人。

それぞれ闘病中で入院中であり、自宅療養中なのですが、先週だったでしょうか❣️
日曜日礼拝に出席された時の笑顔。
こちらが励まされるような笑顔です。


いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。


聖書の言葉です。
そのようにされてます。すべての事を喜んで感謝して、神様に祈ってるのです。

私はお二人に励まされてます。
だからね、私も祈ります。
夏のキャンプでは、必ず笑顔のお二人と再会します。



ドルカス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本地震について

2016年04月21日 | 示されたこと
熊本は「名水百選」での選出数No,1である。阿蘇の恵み受け、緑の大地、湧水や温泉に恵まれていた。その熊本が今回の大地震で最も苦しんでいるのが、《水》であると熊本の友人が現況を知らせてくれた。ライフラインの中で最も遅れており、友人はほぼ私費でかけ合って水を箱買いをし、同じ県内なのにマイカーで大渋滞の中を一日がかりで届けたりした。現地で受け取ってくださった方は泣いて喜んでくださった、とある。モノもあるだろうが、心も届いたにちがいない。遠く離れた私には、祈ることと献金することしか出来ないのだが。

全く話は変わるが、これがもし首都圏で起こったら、と想像すると、なんと熊本の数百倍の人口である。熊本という、十数万の地方都市でかつ、対策本部である政府が機能していてこれだから、首都圏の場合おそらく全世界が駆けつけても、全くの不足だろう。あまりにも多い救助場所や各避難所への配送(ロジスティクス)がある。つまり支援は実のところ、ほとんど期待出来ないと予想しなければならない。ならば生き残った者は、首都圏の場合、助けを当てにするのではなく自らで生き、助け合うしかない。地震が収まるまで最低3日間分の水、簡易トイレ、食べ物や寒さ対策を用いて生きなければならない。携帯機器が使えない状況も想定した上で、家族が再会する手順、つまり自宅、一時避難所、連絡メモ場所などを決めておかなければならない。
その上で、余力がある間に、首都圏を至急に脱出する必要があると私は思う。なぜなら、避難所においても物資は不足するだろうし、ライフラインの復旧は数ヶ月、数年はかかると思われるからだ。避難所に留まっていて、その状況の先になにが起こるか、想像できる事態は恐ろしいものだ。だから避難所に残る方は、身体が動かない方とその介助者、真に地方に当てのない人だけが残るべきだと思われる。熊本でのことが特別なのではない。

またたとえどのように備えようと、明日の命が自分でもわからないことは明らかだ。ビルのコンクリート天井が崩れてきたり、車に乗っていて橋桁ごと落下したのでは、それまでである。だから自分の命が永遠にあると思わず、肉体の命が滅んだ後の、魂の行き先を確保しておくことも大切だと思う。これは、肉体の命がある今でしか出来ないことなのだ。そこで確かなことは、世界で最も間違いのない行き先、キリスト教の天国である。これは多くの人々によって検証し尽くされた教えであり、人類最古の四千年の歴史と不変の唯一の聖典、聖書があり、かつ世界最大の人々の信仰なのである。これをチェックしないのは、あまりにも井の中の蛙ではないか。ぜひ教会を訪ねてほしい。もし信仰を強制するような教会があれば、そこは名だけの偽りのキリスト教会で、どこえなりとも告発してほしい。





ケパ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歯科医

2016年04月19日 | 健康・スポーツ
今日は朝から歯科医です。まごまごしていて家を出るのが遅くなり、大幅な遅刻。
だから当然治療室に入るのも、予約時間以上に遅くなってしまいました。
ところが、先に診察室に入ったはずのケパさんご手間取ってます。今日は新しいマウスピースが出来ると言ってた‥‥
私はすでに終わって もう待合室です。

実は自分で意識してなかったけど、私は夜に歯ぎしりを結構してるらしい。歯ぎしりは、自分の歯そしてアゴにまでとても影響を及ぼすようです。
だから夜はマウスピースをはめる事が大変重要です。
この頃経験した事。
右上奥歯に圧痛を感じ、それはそれは丁寧にブラシして、隙間ブラシもしてマッサージもして寝たのに痛みが取れない。癒されますようにと手を置いて祈ったよね~

しかし朝起きても痛みがあるの。週末歯科医へ行こうと決めて、とりあえず前夜はマウスピースするの忘れてたので(新しく作り直したマウスピースは慣れながら使うようにと指示があった)その夜は、ちゃんと使い休んだ。

翌朝起きて、わぉビックリ、奥歯が痛くない。歯茎も腫れてない。
祈りがきかれた~~
良かった。感謝!感謝!❣️だったのです。もちろん祈りです。そしてマウスピースする事を思い出し、はめて寝たらこのようだった。のです。
いつも、どのような小さな事も祈る。そして思わされた事を行なったら良いと、本当に思わされました。


ドルカス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「スポットライト」に見る生涯独身制の闇

2016年04月18日 | 信仰
映画「スポットライト」。これは先週末から公開されたが、アカデミー賞の作品賞をとった映画なのに、行って観ると席はガラ空きである。これは日本がカトリック、もしくはキリスト教国でなく、認知度(話題性)が低いためであろうか?
しかし全キリスト教徒、および関係者には、ぜひとも観てほしい映画である。この映画を観終わってドルカスが聖書の一節を呟いた。

そこは生涯独身であった使徒パウロが1コリント7章で言った言葉で、パウロは信徒に罪を犯すよりは、と結婚を勧めた後、独身で神に仕えることに対してこう述べたところだ。
「私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります」と。

この一節を私なりに理解すると、あまたの危険や困難がある異邦人伝道には、自分のような独身がベストだが、独身とは神からの特別な力(賜物)を受けたり、召しが要る。だから独身者として立つことは、その人の意思ではなく神の力による。そこを間違うと罪を犯してしまう。だから伝道者は独身かどうかにこだわらず、人それぞれでよい。
カトリックは修道会が基本で、ひとかどの聖職者は皆独身である。神に身を捧げる、それがいかに清いことのようでいていかに不自然か。男性ならその肉体の世にある限り、不断の戦いの連続であって、外見はともかく心の内で抑えきり勝利することなど不可能だとわかるはず。可能ならそれは神によって選ばれ、賜物を注がれた特別な人だけのものである。健康な心と身体を持った通常の男性にとっては、生涯独身など不可能である。不可能なことなのに、独身でなければ上位聖職者には進むことができない。それがどれほど罪深く罪と偽善を生む温床になるか、その実態をこの映画は暴いている。こうしてみるとプロテスタントの牧師というもの、むしろ結婚しているべきだが、これがあらゆる意味で健全なのである。少なくともプロテスタントでは、聖職者が独身を強要されることはない。神の御心のままに、である、

映画はアメリカのボストン・グローブ社という新聞社のメイン特集記事欄「スポットライト」の編集部から始まる。このスポットライト欄は、社会的な大問題を長期にわたって取り上げる記事欄のことである。
この欄で「聖職者による児童への性的な虐待」に対し、カトリック教会が組織的な犯罪の隠蔽工作をしていたことが暴露されていく。映画は司祭の半分ぐらいが不適切な性関係を経験しており、中でも幼児・児童への性的虐待をする性的倒錯した司祭は全体の5%に上るとしている。私はこの数字に納得する。倒錯していれば結婚への願望はない? そのような聖職者がいること自体、清い水に5パーセントの泥水が混じっているようなもので、もはや飲めるものではない。
映画で記者たちが最も重要視したのは、異性間の間違いを犯す正常なタイプ?の聖職者にではなく、幼児や、子供への倒錯した性犯罪者である司祭をかばい、病休扱いにし、しばらくしてまた復職させるという、被害者を増産する隠蔽体質のことである。つまり身内意識の自浄力のなさ、犯罪認識の甘さである。これを組織犯罪とみなしたのだ。
カトリックは行為の有無を問題にするが、聖書では神はその欲望が湧く心、それを罪と断罪される。カトリックの存在基盤である弟子のリーダー、ペテロは妻を同行しながら伝道したのだ。神に仕えながら、神を恐れないのだろうか? それなら神にゆるされ祝福された結婚をして、熱心に神に仕える方がよい。
このカトリックに対し、プロテスタント教会は牧師の結婚を認めている。いやむしろ既婚していることを一人前として認めている。カトリックの独身性とプロテスタントの結婚した聖職者のどちらが正常で、神のご意思に沿っているか。聖書を見れば明らかである。 ケパ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主日礼拝

2016年04月17日 | 教会のこと
始まりました
賛美の時、祈り
主の祈り
そして聖餐式
献金と、感謝の祈り、証し、賛美の時
預言の時
最後にこの賛美です。🎵 教会のかしら
メッセージの前に、ちょいと思い出話でにこやかな笑顔ですが、
メッセージが始まりました。
聖書 ローマ人への手紙 5章18節 から。

午後には神学校が始まって、しっかり学びました。
そして夜はアンテオケ教会のオンライン礼拝に参加。
チェコ宣教師のサリーさんが、チェコで取材を受け、TV出演した映像をみました。ハレルヤ~





ドルカス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はコンサートです

2016年04月16日 | ゴスペル
今日は座高円寺に来てます。
こころごすぺる
受付で、チケット受け取り
早目にきたつもりでしたが、席はもう一杯です。

今日は始まる前に、九州地方の熊本大地震で今たいへんな熊本と大分ために、黙祷を捧げてからコンサートが始まりました。主の十字架の教会も幾つかあります‥‥兄弟姉妹が主の、守りがあります様に。

コンサート中は撮影ができないので写真無いのですが、フィナーレの頂いた写真。
こんなでした。今回もまた素晴らしかった。よかったです。

終了してからは、こんな風に
沖縄のボイスの3人
ゴスペルシードの春美さん
いろいろの方とお話できて、オンライン会員のmちゃん楽しそうでした。これで良かったね~



ドルカス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦

2016年04月15日 | 
. 私たち夫婦は、いつもどこででも一緒に行き、一緒にいるので、おしどり夫婦であると見られている(はずだ)。

しかし私にはかつて、まだ幼い二人の子どもを抱えながら妻の入院や闘病を支え、家庭崩壊、別居と今でも思い出すだけでも辛い、長い年月を過ごした時代がある。それだけに神から導かれたこの結婚には、①ケンカOK、ただし就寝までには復元力のあるケンカ。②できるだけ夫婦で共に同じ風景を見ていく。この二つをあらかじめ祈っていた。
ケンカしない夫婦というのは、ケンカすると壊れてしまう恐れがあるために出来ないわけで、これは表面上仲良くしているだけの偽りの夫婦である。男と女、体も違えば心も違う。互いの違いを理解し、その分だけ人間の幅を広げるものの、それには互いの葛藤、ケンカという生みの苦しみがつきものだ。しかし男女の違いが二本のレールを走る列車のように、子どもという命を与えられ、両性をバランスよく育て、多くの喜びを運んでいくものとなる。
しかしレールの幅が寄り添うのではなく、広がり続ければいろいろ夫婦関係が難しくなる。昔、普通の農家や商店などは夫婦で力を出し合って家業を支えた。だから互いをよく知り、互いが必要であった。しかし今の夫は会社、妻は家庭ではお互いの日常や問題がわからず、会話はすれ違う。これは心の一致に大きな障害となるのは当然だ。

今私たちはもうすぐ結婚して満8年になる。この間、神さまに祈った二つのことは、満願成就である。だからよくケンカもするが、すぐに仲直りする私たちは、嘘偽りない仲の良い夫婦である。
私はよく木工をするが、板と板を接着剤で貼り合わせた合板は、同じ暑さの1枚板より強い。接着剤はそれほど強力である。夫婦も二人だけより、神様が接着してくださった二人の方が強力である。
ただし今のところ、「猫の手も借りたい」ではないが、猫のコールも夫婦ゲンカの仲直りに一役かっている。
私たちがケンカを始めると、ドルカスが怒るぶんには逃げていて息を潜めているくせに、私が怒っている時は「止めなさい!」とばかりに噛みついてくるのだ。たとえ猫でも夫婦のケンカが分かり、ドルカスには猫手の打ちようがないものの、私は静止できる?とみているようだ。確かに可愛いコールの注意では、私も矛先を納めざるを得ない。これは猫の手を用いての神の手なのだろうか?

たとえどんな困難が人生にあったとしても、人間の幸せを清算するとしたら、世界で1人だけの理解し尊敬する伴侶を得るかどうかにある。神に人生を委ね頼る者は、間違いなく祝福される。



ケパ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震

2016年04月14日 | 自然

ケパさんとテレビでプロ野球中継、ニュースと観ていたら速報で地震の字幕。
現実なのか過去の地震なのかと、一瞬 眼と手が止まった。
震度7が熊本市内で。市内や周辺の市町村にTLCCCの教会が幾つか有る。
各教会の人々の安否の情報が、
東京アンテオケ教会のblog「全国教会の神学校」に情報が書き込まれるので、全国各地で執り成しの祈りがが始まっている。
既に2時間は過ぎているが、まだ余震が何度か起きている。 テレビでひっきりなしで情報がされている。

熊本にいるクリスチャンの友人に、心配ですぐメールした。 無事で家にいらした。良かった。

テレビの情報、blogでの情報、メールで伝わる混乱が、聖書に書かれている内容を思わずにいられない夜になった。
熊本の方々が、守られて夜を明かせますように。




ドルカス


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする