ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画「ROOM-ルーム」

2016年04月12日 | 映画•映像
 本年度アカデミー賞の主演女優賞をとった「ルーム」を観た。これは同名小説の映画化であるが、アメリカでの17才の女高生誘拐監禁事件を背景に、母子の戦いとその後のいやしを描いたものだ。
 映画は五歳になったジャックの誕生日から始まる。日常的なバースディーケーキ作り、それに立てるロウソクをほしがるジャックから、次第に母子の過酷な現実が明らかになっていく。ありがちなホラー的なキワモノでなく、どんな状況にあっても息子に愛をそそぎかける母の強さ、子どもの愛らしさと共にこの映画のテーマが描かれていく。
 ネタバレにならぬよう中心点だけを言うが、この映画の真のテーマは観る人に委ねられている。ジャックが徹底的に守られ、男性恐怖症にも、憎しみに包まれることもなかったことにある。だから解放後ジャックがもっとも速く過去を受け入れ、社会に適応し、母を幾度も解放する力になった。

   ・・・・なぜか?・・・・

 私の見方はこうだ。ジャックはむろん憎い犯人の子だ。しかしインタビューアーが明らかにしたように、生理学的なその事実を彼女はがんとして受け入れない。「100%私の子」だと。このことからいくつかの不思議が明らかになっていく。一つの部屋だけの世界で、二人は現実から互いの精神を守る架空の物語の世界にいることで守られたこと・…どうしてあそこまでジャックを男から隔絶しようとしたのか。どうしてジャックを心から愛し、男への憎しみから守ることができたのか・・・・など。そう、人がどんな理由があろうとも、憎しみに取り憑かれるなら、その憎しみの剣をしまっている「さや」・・・自分の心まで傷つけ病んでしまう。

 この映画のように、現状がどんなに悲惨で直視し難かろうと、物語を紡ぐことで一時的にせよ、そのような最悪のダメージを防ぐことができる。しかしこれは反面、きちんと現実を把握するバランスがあってからこそだ。彼女は現実をもきちんと把握し、脱出の知恵とタイミング、勇気を失わなかった。結果的にはかなり大きな心の傷を負いはしたが・・・・。
私も子ども時代、甘美な夢を描き続けることで、自分を守ろうとしていた。しかしこれは子どもだから許されたが、問題を先送りにし、ずれを大きくして問題をこじらせ、解決を遅らせるだけであった。精神を病む人々のケースで、いつまでも物語を紡ぎ続けようと、一つの部屋に閉じこもり続けてしまうことがある。時に病む人の部屋を現実はノックするのだが、少し扉を開けただけで真の自分は違うと言い、また元の部屋に戻って逃避するのだ。たとえ一般人でも神を信じない多くの人は、自分の罪を認めはしても、他者と比べてまだマシと慰めて、その罪が永遠の世界でさばかれるたましいの世界を受け入れようとはしない。これもまた、来たるべき現実の逃避に過ぎないのだ。
 現実の自分に生きるとは、かくも微妙で難しく見える。しかし確かな希望があるとしたら、それは私たち人間にではない。人間には希望はない。神に、信仰にある。なぜならすべての罪を神である十字架のキリストが私を負ってくださるからだ。すべてを赦されることで、ありのままの自分を受け入れられる。そのことなしに、自分というルームから出ることが、解放されることが私にはなかった。   


ケパ
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