ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

熊本地震について

2016年04月21日 | 示されたこと
熊本は「名水百選」での選出数No,1である。阿蘇の恵み受け、緑の大地、湧水や温泉に恵まれていた。その熊本が今回の大地震で最も苦しんでいるのが、《水》であると熊本の友人が現況を知らせてくれた。ライフラインの中で最も遅れており、友人はほぼ私費でかけ合って水を箱買いをし、同じ県内なのにマイカーで大渋滞の中を一日がかりで届けたりした。現地で受け取ってくださった方は泣いて喜んでくださった、とある。モノもあるだろうが、心も届いたにちがいない。遠く離れた私には、祈ることと献金することしか出来ないのだが。

全く話は変わるが、これがもし首都圏で起こったら、と想像すると、なんと熊本の数百倍の人口である。熊本という、十数万の地方都市でかつ、対策本部である政府が機能していてこれだから、首都圏の場合おそらく全世界が駆けつけても、全くの不足だろう。あまりにも多い救助場所や各避難所への配送(ロジスティクス)がある。つまり支援は実のところ、ほとんど期待出来ないと予想しなければならない。ならば生き残った者は、首都圏の場合、助けを当てにするのではなく自らで生き、助け合うしかない。地震が収まるまで最低3日間分の水、簡易トイレ、食べ物や寒さ対策を用いて生きなければならない。携帯機器が使えない状況も想定した上で、家族が再会する手順、つまり自宅、一時避難所、連絡メモ場所などを決めておかなければならない。
その上で、余力がある間に、首都圏を至急に脱出する必要があると私は思う。なぜなら、避難所においても物資は不足するだろうし、ライフラインの復旧は数ヶ月、数年はかかると思われるからだ。避難所に留まっていて、その状況の先になにが起こるか、想像できる事態は恐ろしいものだ。だから避難所に残る方は、身体が動かない方とその介助者、真に地方に当てのない人だけが残るべきだと思われる。熊本でのことが特別なのではない。

またたとえどのように備えようと、明日の命が自分でもわからないことは明らかだ。ビルのコンクリート天井が崩れてきたり、車に乗っていて橋桁ごと落下したのでは、それまでである。だから自分の命が永遠にあると思わず、肉体の命が滅んだ後の、魂の行き先を確保しておくことも大切だと思う。これは、肉体の命がある今でしか出来ないことなのだ。そこで確かなことは、世界で最も間違いのない行き先、キリスト教の天国である。これは多くの人々によって検証し尽くされた教えであり、人類最古の四千年の歴史と不変の唯一の聖典、聖書があり、かつ世界最大の人々の信仰なのである。これをチェックしないのは、あまりにも井の中の蛙ではないか。ぜひ教会を訪ねてほしい。もし信仰を強制するような教会があれば、そこは名だけの偽りのキリスト教会で、どこえなりとも告発してほしい。





ケパ
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