ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

落書き!!

2013年05月10日 | 生活

落書き!!
ではなさそうな、きれいに描かれた、でも高過ぎる塀。まさか工事現場のはずではない。と、よく見たら、○○小学校のグランドのフェンス。子供の姿が見えない代わりにね、子ども達が遊んでる。ボール遊びしてもこの道路までは絶対転がってこないね。

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聖会ってなに?

2013年05月09日 | 教会のこと

No16   来週の金曜日、船橋キリスト教会のカリスマ聖会が開かれる。船橋は2ヶ月に1回きちんと開かれてきたので、新たな出発の二年半年少しの今回で16回目となる。いわば聖会の恵みにあずかって来た教会である。
  さて「聖会」とは何だろう?私は子どもの時代から50代になるまで、ずっといわゆる福音派の教会に居たので、はじめは訳がわからなかった。これはそれまで私の理解していた「特別伝道集会(略称:特伝)」に近いが、しかしそれよりふんだんに、日常的に開かれているものである。要するに日曜日の礼拝とはちがう、平日の集会なのだが、聖霊派からカリスマ派まで、聖霊の働きを重視する諸教派は集会の中心を特に「聖霊の働き」に据えた会だから「聖(霊さまが主体となる)会」と呼ぶようになったと思う。


 そんな訳で「聖会」には神さまを求める人が、自主的に集まって開く会なのだ。賛美も賛美歌よりもゴスペルを歌い、手をあげて祈るし、「いやし」や「預言」など聖霊の賜物の働きが起こっていく。ぜひ神さまを真剣に求める方々は「聖会」に参加し、その恵みにふれて欲しい。  ケパ

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昨夜は書けなくて・・・

2013年05月08日 | 祈り

 夕方,田舎の友から久しぶりに電話がかかって来てドキッとした。涙声で「電話番号変わってなくて良かった。声が聞ける」と。どうしたのと聞くと、共通の友の訃報を知らせてくれた。

 10年以上も前にその友はスポーツ仲間だった。公園のハーブガーデンの手入れボランテアにもS 誘った。口数の少ない静かに話をする笑顔を思い出す。そのハーブガーデンのリーダーだった電話の友人は、誰にも言えない辛い心中を涙ぐんで私に語った。私にとってもショックだった。

 亡くなった友は私よりずいぶん若く、私は東京へ出てきていらい、連絡も途絶え何も知らずにいて、友の病状をもしらずにいた私は、祈る事も出来なかった。

 それで神様に悔い改めた。そして連絡をとることも出来無かった事を、大事な友に神様の事を伝える事も出来なかったことを、すべて主にあって感謝した。

 今回の一部始終をケパさんに言うと、「それをこれからやるんだよ。船橋でね。二人で 多くの人々に福音を伝えよう。その友だちに出来なかった分もね。」
 神様どうぞ私の信仰を強めて下さい。ドルカス

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神とサタン

2013年05月06日 | 聖書

Satan_29  かつて私は、どうして神はサタンの存在を許しているのだろうか?と思っていた。神の力をもってすれば、たちまちの内にサタンを滅ぼし、火の池の中に投げ込むことができるはずだ。それなのに、その活躍を許しておられるから、私たち人間が罪に苦しまなければならないではないか、と。

 しかしそれは神さまのご性質がわからない無知による。神は聖なるお方で、罪とか悪とか汚れにまったくほど遠い存在だ。神を信じる私たちは、滅ぶべき肉の体を着ており、肉のこころを持っている。言わば神の国を汚染してしまう存在なのだ。それをあぶり出してあからさまにする働きをするのがサタンの役回りなのだ。

 自分の滅ぶべき罪がわかり、またそれを自分でどうすることもできないので、ただ神
Christに拠り頼み、幼子のように救いを求めて祈る。サタンは私たちが悔い改めて神に立ち返るために、あえて解き放たれているのだ。偽メシアや反キリストたちは、再臨時には用が済むとさっさとゲヘナの火の池に投げ込まれるが、ご苦労なことにサタンはさらに千年後また解き放たれるのは、そのためなのだ。

 神の知恵と深淵は測りがたく、偉大だ。どんなに試練や困難があろうとも、神に拠り頼むなら神はそれを最善の結果へと変えてくださる。良きことしかお出来になれないのが神さまなのだ。

 えーっ、悪い役向きはサタンを活用させて、最後の最後はお役御免で、サタンはやはり火の池に・・・・です。  ケパ 

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大型連休中の聖日

2013年05月05日 | ゴスペル

大型連休後半の中日は聖日でした。外はいつもより人が多いのかな。と思わされますが、
教会に集う私たちには余り影響もないこと・・・・

  そんな今日の礼拝は、金曜日のゴスペルジョイントコンサートの日、それぞれの神さまから頂いた恵みの証しが盛りだくさんで、祝福されました。Live

 

 今回もコンサート前に路上ライブのあったのですが、かつて無かったことがありました。
私がコンビニまでポスターを拡大コピーに行って帰ると、なになに どしておまわりさんがいるの? えっうるさいって通報? そんな 
しかし、当のTrueVineのお二人は、「しょっちゅう有ることよ」と、対応も慣れたものでした。

 30分以上歌った後だったので、何の影響もなく、通りすがった方、立ち止まって聴いている方の耳にはしっかりと届いていましたからと、主に感謝しました。


コンサートが終わって気がつくと、私の携帯に何度か電話して下さった方がいました。会場が地階だったのと、身に付けていなかったので応対できませんでしたが、終了後も電話下さって、「路上を聴いていてとても良くって、もう一度聴きたい。どうしたら聴けますか?」と、問い合わせて下さいました。

ハレルヤ もちろん17日の イオンモール 光の広場での Giftsのライヴお誘いしました。さらにご一緒に歌いましょうとお誘いしたのでした。 

今回のコンサートは2倍3倍の祝福です。 ドルカス

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ゴスペルを聴きながら

2013年05月04日 | 随想

Truevine  昨日行われた「TrueVineとPeacefulのジョイントコンサート」(右イラスト)は感動的だった。歌詞がこころにズンズン入ってくる感じは初体験だった。そんな場の空気があったせいか、観客はみな砂漠に雨が降るように、吸い込まれるように聴いており、気が付けば歌い手の方も時間を忘れて次から次へと歌っていた、そんな感じだった。同時に観客が少人数だったので「贅沢だ」とか「モッタイナイ」という、もっと多くの人にこんな素晴らしいものを・・・・と悔しい気持ちも同時に感じながら聴いていた。

 ところでゴスペルは歌のジャンルとして確立されているが、ソロシンガーとバックコーラスの掛け合わせとか、コーラス的にハーモニーとかをあまり重視せず、ソウルで行くという点が独特だ。要するにリズムさえ合えば、多少音痴でも思いっきり歌っていいのだ。拍手
 この日、コンサートの終了後に初めて参加されたご婦人から、「みなさんはクリスチャンみたいですが、ノンクリスチャンも加わって歌えるのでしょうか?」と質問をいただいた。もちろん「歌うのはノンクリスチャンであろうと、なんら問題ありません」と答えたのだが、ではゴスペルの歴史というものに以下、簡単に触れたい。(次はWikipediaの説明)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Gospel2  奴隷と してアメリカ大陸に連行されたアフリカ人は彼ら独自の言語・宗教などをいっさい剥奪された。その苦しい状況下で、彼らのうちのある人々は、救いを与えるゴスペル(福音)と出会い、個人的なキリスト教への改心を経て、神に彼ら独自の賛美をささげるようになった。こうしてアフリカ特有の跳躍するリズム、ブルー・ノート・スケールや口承の伝統などとヨーロッパ賛美歌などの音楽的・詩的感性が融合してスピリチュアル(黒人霊歌 negro spiritual などとも言う)という現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれた。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ここにあるように、ゴスペルとはアフリカ大陸から奴隷狩りとして拉致され、命からがら新大陸に連れて来られた黒人たちが、クリスチャンとなって神に捧げるようになった祈りの歌である。キリスト教は憎い白人たちの宗教であったが、しかしこの宗教は「神の前に人はみな平等」という驚くべきものだった。黒人たちは白人たちにでは無く、自分たちを平しく扱ってくれる真実の神によりどころを見出し、こころを注いで賛美したのがゴスペルなのだ。

 最近公開された映画「リンカーン」は30万人以上の戦死者を出しながら、白人自らの手で黒人解放を実現させた実話である。やや少し前、英国内の奴隷売買を禁じた法律制定を描いた映画「アメージング・グレース」も白人自らによるものだった。これらいずれも「人はみな平等である」とした聖書とキリスト教の影響を受けているのは当然だ。無論あまりにも多くの問題が、キリスト教社会にはあった。しかし同時に人類の歴史の中で、このような人間としての「平等」普遍的価値観を実現させてきたのも、他ならぬキリスト教社会だけである。だからゴスペルはクリスチャンだけのものでは無く、人類全体へのものである。と同時にその対象は、真の神への賛美と祈りである。 ケパ

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ハレルヤ。この青空です~

2013年05月03日 | 祈り

ハレルヤ。この青空です~
今日の船橋への道は快適です。ランチ時間帯の道路、渋滞は避けられています。祈って来ました。連休後半の都内の渋滞を避け、大回りですが湾岸線を走ります。青空が広がり気持ちがいいね。通り過ぎた窓の外の浦安のディズニーランドの駐車は満車です~。「開園時間過ぎていて助かったかなぁ。主に感謝だ。」とドライバーが、言います。(^_^v)♪

今日は船橋ゴスペルクラブ主催の、「ジョイントコンサートとワークショップ」です。甲府から「TrueVine」が来て下さって。今回は初めてm姉妹がポスター制作してくれて、新しい試みです。

ハレルヤ~  ドルカス

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信じる時

2013年05月02日 | 信仰


  学生の時、私の無二の親友がいて、彼にはどうしても信じてもらいたくて一生懸命に伝道したことがある。かれは話を聞いてくれたのだが、最後に言った一言に「ガクッ」となったことを覚えている。

 

 「お前のいうことは、ようわかったで。でもクリスチャンのような窮屈なのはまっぴDance_of_thanksgivingらだ。俺は死ぬ直前にお前と同じ神を信じる。そしてちゃんと天国へ行くからな。」

 

 「・・・・・・・・」

 

 

 確かに天国へ行けるだろう。けれどもこの親友は大事な点を見逃している。第一、クリスチャン生活はまったく窮屈ではなく、基本的には教会に行くのが楽しいから毎週行くのだ。第二に、人は死に方を選べないのだ。事故や脳卒中で突然死ぬ場合、永遠の地獄に行かなければならない。第三に、人生のほぼ全部を自分の好き勝手放題に使って、最後のわずかな時間だけで信じるわけだから、歴戦の信仰の強者がいる天国では、ひょっとして肩身が狭い可能性がある。永遠に・・・・・

  本当に熟慮するなら、そのような危険な選択はしない方が良い。「確かに神がいる」と思った時こそ、時であり、公にすることを先延ばしにしてはならない。天が下に時があり、信じるに時があるからだ。  ケパ

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害虫?ムシ歯に?

2013年05月01日 | 健康・スポーツ

害虫?ムシ歯に?
先日、かわいいでしょ。置いてくね。と頂いた、てんとう虫。 ナナホシテントウではないから、キャベツの敵かな?などと言ってますが、違います。これはあなたの歯に敵です。シロホシの赤い羽の下は何と、チョコレートです。 けしてキャベツには被害有りません。 先月のゴスペルコンサートの案内にの上でパチリ。なんと可愛らしくみえる。 今日は、水曜礼拝と学び、祈祷会を済ませてメトロの中です。今日はあまり意味のない健康に関する?話題でした。ドルカス

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