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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

祈りの奇跡

2019年01月26日 | 証し



先々日、神さまに触れていただいて、生まれ変わった(born again )体験を書いたが、その時から神さまの不思議をいろいろ見た。その中でも特に覚えていることを、今日述べたい。

その時から四年の間、長女が結婚し、前妻がドルカスの亡夫と同じ胃がんで召天(拒食症もかなり影響したかも)した。「わたし、癒されに行く」と言って出て行った前妻の教会の葬儀が終わった時、その時ちょうど私も55歳(ひと昔なら退職年齢)であって、かねて祈っていた全献身の時が来たことを悟った。

退職が受理され、持ち家の売却や身辺の整理が進んでいた時、三つのお願いを神さまに祈っていた。一つは持ち家のローンが完済されること。施設の母や、母名義の今の家や墓地などを、姉がぜんぶ肩代わりしてくれること。最後の一つ、聖書だけは処分したくないことだった。これらすべては、ずいぶん虫の良いお願いのように思えたが、三番目を除いて叶わなければ東京へ行けないので、必死だった。そしてしたことは、祈ったことだった。(今も愛用している第三版のチェーン式聖書)


そのどうでも良いような三番目が、結果として実に凄かった。こういう次第である。その聖書とは新改訳のチェーン式聖書で第1版だった。なぜ不要かと言うと、第三版のものを持っていたからだった。献身し上京するにあたっては、身の回りの物以外、処分できる物は処分することにした。出発の前日は最後に残った蔵書をミニバンに全部積み込んで、昼食後にブックオフに行くだけになっていた。
ファミレスでランチを食べることにしていたのだが、私の心は最後の一つ、積んでしまった一冊の聖書の事が気になっていた。そこで食前の祈り「神さま、三つのお願いのうち、二つまでは聞いてくださり、奇跡のようです。ありがとうございます。けれども最後の一つ、聖書だけは捨てたくないんです。どうして良いのかわかりませんが、此の期に及んで本当にあなたに頼るしかありません。どうか処分しなくて良いようにしてください」と祈った。
ランチが済んで、いつものようにコーヒーを飲みながら、聖書を開いて読んでいた。すると三人の高校生が入店して来て、そのうちの一人が私を目指すかのようにやって来る。「今のこの町には知り合いなんか会ったことがない。まして高校生に知り合いは居ない、まさかね」と無視していると、なんと彼は私の席の横につかつか寄って来て言うではないか。「中村さん、それって、聖書ですか?」

びっくりして目を上げると、この高校生は以前近くのグラウンドで、少しだけお相手したテニス仲間だった。「よ、よくわかったねぇ。そう、そうだよ、聖書だ。」すると次に彼はこう言ったのだ。
「ぼく、聖書が読みたいんですが、どこで買ったらいいのかわからないんです。本屋にも置いてないし。」
明らかに彼は、私に聖書をおねだりしている感じだった。
「ぎょおえぇー、これまでの生涯で聖書をおねだりされたことなんて一度も無い。それが(半径20キロ以内に教会は一つもない)このど田舎で、高校生が、しかも処分寸前のこの最後の機会に言って来る?」
私は仰天したが、即これは祈ったばかりの答えだと確信した。「実は君にあげたい聖書があるんだ。それはチェーン式の聖書で、わからないところを教えてくれる聖書なんだ。うん、若い君に君にピッタリだよ。少しだけ待っていなさい、すぐ取って来るから。」

聖書をミニバンから持って来て贈呈する時、高校生三人は、喜んでくれたのか店内をはばからず、万歳の拍手をした。私と言えば、「正直もう無理、絶対聞かれっこない」、と思っていた自分の不信仰を反省していた。そして改めて、神は生きて働いてくださっている、こんな者の為にも、と感動していた。
あとあと振り返ってみれば、先の二つよりもこの方が、本当に大きな神の「私がついているよ。大丈夫だよ」と言う励ましだった。これは小さな、そして大きな奇跡だった。




ケパ





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