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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

最後の最後、神は証の時をつくられる

2019年01月21日 | 証し

私たちクリスチャンは、神の証人である。それが実に不思議な形で用いられたりして、神を崇め賛美する時がある。
先週の木曜日、私はテニスをしていたのだが、相手はT君といって、40代半ばの実に気持ちの良いスポーツマンだ。よく二人でサシの勝負、シングルスをしていた仲間だ。しかし彼には、私が牧師だなんて、一言も言ったことはなかった。テニスの世界では、この世の職業や地位、年齢など一切関係なく、むしろ明らかにしてはいけない慣習がある。唯一の価値観は、勝負で決まるテニスが強いか弱いか、それだけである。(今日は全豪オープンで、錦織圭とカレン・ブスダの5時間5分の歴史的な戦いがあった日。最後の最後まで勝負の行方が分からず、錦織のサービエースで一閃、ベスト8に)

けれども先週の木曜日は特別だった。きっかけは私のディレクター椅子だった。車からコートに行くまで、彼と落ち合ったので、気のいい彼は私の椅子を持ってくれた。それから1試合戦って、破れた私が持参した椅子にどかっと座った時に異変が起こった。「な、なんだ、尻が冷たい!」と、驚いて立ち上がると、な、なんと私のお尻はびしょ濡れ、まるでお漏らしだった。

振り返って見ると、キャンパス地の椅子全体が水たまりになっていた。椅子の上にはお茶やポカリの水筒もない。「何がこぼれていたんだ?」と私は思わず叫んだ。「さっき僕が運んだ時は、濡れてなかったですよ」とT君。私は慌ててタオルでお尻を拭きながら、不可思議な現象に、つい「これは天使のお漏らし、イタズラに違いない。臭いがないから、きっとそうだ」と。

するとT君は「面白いことを言う」風に笑った。少しムッとした私は「天使って、君は信じないだろうが本当に居るんだよ」と。それから約1時間、テニスコートのベンチで私の証が始まったと言うわけ。
「実は私はクリスチャンで、しかも牧師なんだ。クリスチャンってね、天使のような霊的な存在を信じるだけじゃなくって、永遠のいのち、奇跡を信じるんだよ。」
「奇跡を、ですか?」
「うん、例えば処女からイエス・キリストが生まれたこと。」
「えーっ、本当ですか?」
「確かにあり得ない事だよね。T君、正直に言うと、実はそれを本当に信じれたのは、信者になって30年後だった。それまで大教会の執事とかを長年やっていたんだがねぇ。いや、これは私の力でなく、神によって信じさせていただく試練と恵みにあずかった結果、と言うべきだろうな。」

こうして思いがけず年齢の壁を越えて? 心から友と呼べれるT君に、私は罪と救いの必要、十字架の赦しと解放について、神が実際に人間に語りかけ、触れてくださる愛にまで、T君に余すところなく伝えた。(二人が話し込んだコートのベンチで)

話終わってから、T君は言った。「何もかもが信じ難いお話ですが、ただ一つ、僕はテニスを通して中村さんを知っている。だからあなたは嘘をつくような人ではない。信じ難い話だけども、嘘とは思えない。」と。
※確かにテニスをすれば、百の言葉より相手の人間性がストレートに分かる。まして再々やっていれば。

こうして私たちはLINEの交換をし.もう一試合をして別れた。数日後判明したことがあった。T君などとの木曜日のサークルは、残念ながら再結成が難しく解散の憂き目に。と言うことは、T君とゆっくり話せる機会としては、まさにこの日が最後の最後だったのである。

主をほめたたえよ。


ケパ








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