信州へ行く途中、富岡インターで途中下車をし、3年前世界遺産に登録された、富岡製糸工場にを訪問した。ここは私の教師時代、6年生を受け持つ度に明治新政府の二大政策「富国強兵」「殖産興業」で必ず教えてきた所である。

行って、見て、聞かなけれは分からないこととは、この世界遺産のことである。私と変わらない年頃のガイドさんは私と元同業者、それがピンと分かるのだから面白い。こういう歴史遺産はガイド付きの恩恵が大きい。(工場は明治五年の完成。当時は製材技術が無く、すべて手のこでの作業で完成ささた)

ところでここが日本の近代産業の発祥の地である、と言う。確かにそれまでだって家庭内で絹糸を紡ぎ、機を織って来た。しかしそれでは太さが均一でなく、製品の質もまばらな粗悪品でしかない。故に当時の日本の主力輸出品ではあっても、価格は買いたたかれたのであった。

工業化とは均一の品質を安定して供給することである。具体的にはフランス人の技師を雇い、外国製機械を導入し、立派な建物を建て、何よりも熟練した女工を育てることであった。
話を聞いて、改めて困難さを感じたのは、繭(まゆ)玉から繭糸の先端を取り出すたけではなく、1から1、5kmあるそれを五本位束ね、切らず絶やさず撚り続けて行かなければならない。それだけでない、一つの繭玉、つまり1本の糸でも始めと終わりとでは太さが半分位異なるそうである。これらを瞬時に見分けながら同じ太さの均一な糸になるよう素早く作業するには、相当な熟練が要る。
富岡製糸工場は、まだ電気がない時代で、作業は日中だけ。寮も食堂での賄いも、教育棟や病院も全部込みの超最先端エリート工場であった。政府のもくろみ通り、ここから全国へ製糸工場が技術が飛び火して世界一の生産国へと拡大していくことになる。拡大してから、女工哀史とか野麦峠とかの時代になって行く。

来て、見て、聞いてみなければ分からない世界遺産であった。
ケパ

行って、見て、聞かなけれは分からないこととは、この世界遺産のことである。私と変わらない年頃のガイドさんは私と元同業者、それがピンと分かるのだから面白い。こういう歴史遺産はガイド付きの恩恵が大きい。(工場は明治五年の完成。当時は製材技術が無く、すべて手のこでの作業で完成ささた)

ところでここが日本の近代産業の発祥の地である、と言う。確かにそれまでだって家庭内で絹糸を紡ぎ、機を織って来た。しかしそれでは太さが均一でなく、製品の質もまばらな粗悪品でしかない。故に当時の日本の主力輸出品ではあっても、価格は買いたたかれたのであった。

工業化とは均一の品質を安定して供給することである。具体的にはフランス人の技師を雇い、外国製機械を導入し、立派な建物を建て、何よりも熟練した女工を育てることであった。

話を聞いて、改めて困難さを感じたのは、繭(まゆ)玉から繭糸の先端を取り出すたけではなく、1から1、5kmあるそれを五本位束ね、切らず絶やさず撚り続けて行かなければならない。それだけでない、一つの繭玉、つまり1本の糸でも始めと終わりとでは太さが半分位異なるそうである。これらを瞬時に見分けながら同じ太さの均一な糸になるよう素早く作業するには、相当な熟練が要る。

富岡製糸工場は、まだ電気がない時代で、作業は日中だけ。寮も食堂での賄いも、教育棟や病院も全部込みの超最先端エリート工場であった。政府のもくろみ通り、ここから全国へ製糸工場が技術が飛び火して世界一の生産国へと拡大していくことになる。拡大してから、女工哀史とか野麦峠とかの時代になって行く。

来て、見て、聞いてみなければ分からない世界遺産であった。
ケパ