ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

都会か田舎か?

2017年07月05日 | 随想
イソップ童話の「田舎のネズミと町のネズミ」は、みなさんご存知だろうか? 童話では街暮らしを戒める内容だった。私自身は田舎育ちで、学生時代以降はほとんど街暮らしをしている。しかし教員時代には田舎暮らしもあったので、両方がわかる立場でもある。

都会人は、自然が好きである。こせこせしない広大な自然や別荘に憧れ、キャンピングカーとかでそれを実践する。確かに都内などの住宅環境を見るにつけ、それが分からないわけではないし、チョイ自然を堪能することは、都会人にはオアシスだ。しかしまた、まったくの都会人から田舎暮らしをうらやまれると、それは幻想を抱き過ぎていると感じることがある。

第一、広い土地があればどれほどその維持管理が大変か、まるで分かってないと思う。庭師を何人も雇える大金持ちならそれも良いが、例えば330㎡(百坪)ぐらいの敷地の家に住んで見るとよくわかる。少し広めだが、田舎ではよく見かける築山がある生垣の家である。

この程度の家でも、どんなに慣れても困るのは、雑草との終わりなき戦いである。ドルカスにはもっと広い庭があり、私にはかなりの耕作放棄地が周囲にあったので、草の伸びるこの時期はゾッとする。広い土地はこりごりである。加えて田舎はまさに自然が豊かなので蚊やゴキブリ、ムカデや毛虫などにも悩まされる。それに今晩のように大雨が降れば、都会ほど潤沢に金をかけて整備されない田舎は、その被害が大きいのである。都会人が自然を美しく思い、憧憬と癒しを感じるのは自由だが、田舎人は生活の場である身近な自然に対し、そんな感覚はない。

私のような田舎人が違和感を感じる典型的な例は降雪だろう。雪を美しく思うのは都会人で、降雪地方で暮らす人にとっては、『克雪』の季節の到来である。朝早くから家の前や道の辛い除雪作業が待っている。仕事に車で出かけなければならないが、雪や氷の路は職場に着くとそれだけで神経がすり減っていて、グッタリである。
いや、大人と違って子どもは雪合戦などできて楽しいだろうと思われがちだ。だが実際には子どもにとって、サッカーや野球ができなくなるのだ。


今都会に住んでみて、本当に都会のありがたみがよくわかる。特に船橋は関東でも雨や雪が特に少ない湾岸地域で、寒暖差の少ない暮らし易い地域だ。病院やお店は目の前で、車がなくても基本、自転車と電車でどこへでも行ける。
確かに住居は狭いが、家族構成が最小なので、狭さはむしろ掃除が楽、光熱費が安いと問題にならない。今はマンション住まいだが、近年では集合住宅にも法が整備され、トラブルはほとんど聞かない。マンションにはエレベーターがあって荷物運びに助かるし、建物内に駐車場まであるので、まったく雨に濡れないで行き来ができる。ただ一つ、空中住居のため植物好きな方にはベランダという制限がつくのが不満かもしれない。

けれども田舎暮らしには良くも悪くも、近所で共に暮らし助け合ってきたご近所さんという濃密な人間関係がある。これは実際に助け合いのメリットがあって、地域で支え合い生きる素晴らしさがある。ただ車の運転が出来なくなったら、田舎で自立して生きていくのは大変になる。
私が自分の田舎に行っていつも気になるのは、田舎に行けば行くほど、また年ごとに耕作放棄地が増え、元の山に戻って行くことである。道路だけは立派になっても、過疎化、高齢化で田舎が次第に山谷と化し、鹿や猿が跋扈して行くのを見るのは辛い。

さてさて、どちらが良いか、一概には言えない。結局、自分が良いと思うところが一番良いのだが。



ケパ




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