ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

人は本来、愛されるために造られた

2017年07月19日 | 
「神の小屋(The SHACK )」という実話を小説化した本を読んでいて,平易な譬えの中にハッと気づかさせられたことがあった。

この話の中、主人公マックがパパと呼ぶ神様と会話するシーンでのこと。神は飛んできたカケスに、エサを手の平でついばませながらこう言う。※()内は私の注釈。
「たいていの鳥は飛ぶために造られている。この子たちにとって、(餌をついばむために)地面に降りている時間は、飛ぶ能力のある生き物としては制約を受けている時間であって、その逆じゃない」(写真はカケス)

それから主人公マックに、次のように言う。
「そしてあんたは、愛されるために造られた。あんたがもし、愛されていないかのように生きるなら、それは制約を受けている状態なのであって、その逆じゃないんだよ(つまり本来のあるべき姿ではないんだよ)」
続けて、
「愛されずに生きるということは、鳥から翼を切り取って飛べなくするようなもんでね、あんたにそんな風に生きてほしくないんだよ」

この作品の特徴は非常にきわどく、平易なことばで神様が語ることだ。実際、冒涜に感じる人も多いようだ。しかしこの平易なたとえは素晴らしいと私は思う。神の本質は「愛」だと聖書ははっきり説いている・・・・(1ヨハネ4:16、詩篇5:12)。

その神によって造られた人は、神に愛されるために造られたのだ。それはクリスチャンなら当然な理解であるが、上にあげたたとえは胸に迫るというか、たとえようもなく「そうだ、そうなんだ!」と私を引き上げて行く。
全世界にたった一人でも、心から自分を愛してくれる存在がいたら・・・・どんなにか生きる力が湧いてくることだろうか。人間世界の出来不出来などは、神にとってはまるで関係ない。人間は神の作品なのだから、本当の価値は神だけが知っている。その神が
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)」
と宣言し、続けてまた、
「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ(同5)」
とイスラエル(=クリスチャン)に語っているのだ。神を真に信じ従う者は、神を心から愛している。愛すればこそ、よろこんで自分を捧げるのだ。従いなさい、捧げなさいと求められているから献身したり、殉教するのではない。自分の命よりも神を愛しているからなのだ。神がまず自分の命を十字架で捧げて愛してくださったから。

神の愛を受け入れてない人は、人間としての正しいあり方をしていない不自然な状態なのだ・・・・それは飛ぶために造られている鳥が飛んでいないような・・・・そんな不自然な状態なのにそれに気づかない。これが人間の不幸と言わずしてなんと言おう!



ケパ






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