☆錦織のコーチ、マイケル・チャン
錦織選手のコーチであるマイケル・チャンは16歳でイエス・キリストに従う明確な信仰を持ち、わずかこの数ヶ月後の17歳で全仏のチャンピオンになった。その授賞式での言葉は「主イエス・キリストに感謝します。イエスなしでは、私は何者でもありません」だった。(全仏当時のマイケル・チャン)

☆信仰とスポーツ
スポーツにおいて、大切なことは「勝つ」意志である。が、「勝つ」という明確な目標は、信仰者にとって一見、ふさわしくないように思える。だいたい、「敵を愛せよ」の精神に反する(笑)。それはともかく、勝つためには二つの方法しかない。すべてルールの範囲内でのことだが、第一に、自分の力を出し切って打ち勝つ。第二に相手の弱点を攻めて勝つ、これ以外にはない。
☆クリスチャンのメンタル
何もテニスだけに限らないと思うが、勝敗に関してはメンタル面が非常に大きい。力に大差が無ければ、勝利への意志力で八割方決まる。そしてそれは、眼前の争う相手というよりは、自分との戦いであると私は思っている。その時、クリスチャンの恵みを受けている。
☆最後の最後まで
恵みはいろいろあるが、一つだけ述べてみよう。
まずもって第一に勝負する者は、自分を信じなければならない。戦う前から「相手は強い」と恐れたならば、それは95パーセント敗戦する。実際にたとえ形勢が不利でも、マッチポイントの瞬間まで、必ず逆転できると信じ続けなければならない。あきらめた時、その瞬間、勝負の決着がついた時である。私はその瞬間まであきらめない。なぜなら負けたくないというより、集中を終わらせたくないのである。(ただ集中する)

☆感謝し集中する
クリスチャンは普段から自分と戦っている。自分の肉的な心とである。生活のすべてに神の恵みとあわれみを見出す。その上ですべての栄光は神、主のものである。
だから私は、自分を信じなければならないシーンではいつもその状況を感謝し、ただ集中することだけを祈っている。もし勝てたらそれは神の力であり、もし負けたら、それも神のゆるされたことであり、そのことにも大切な意味がある。すべてが益にされる(ローマ8;28)。だから勝負にこだわっているように見えても、実は感情やメンタルにブレが、ほとんど生じないで済んでいるし、勝てても主に栄光、負けても謙遜にそのことから学んでいる。「次に対戦する時、この相手にはどう攻めるべきか」と。力を引き出してくれる相手を、すべてを感謝している。

☆最後に
私たちは終末のリバイバルに召されている教会である。その時、むろん神によって力が与えられるが、普段からも肉体面、精神面においても訓練されている必要がある。クリスチャンのスポーツはそのやり方、方法は色々であろうが、ただ「備える」という一点において有用であると信じる。
ケパ
錦織選手のコーチであるマイケル・チャンは16歳でイエス・キリストに従う明確な信仰を持ち、わずかこの数ヶ月後の17歳で全仏のチャンピオンになった。その授賞式での言葉は「主イエス・キリストに感謝します。イエスなしでは、私は何者でもありません」だった。(全仏当時のマイケル・チャン)

☆信仰とスポーツ
スポーツにおいて、大切なことは「勝つ」意志である。が、「勝つ」という明確な目標は、信仰者にとって一見、ふさわしくないように思える。だいたい、「敵を愛せよ」の精神に反する(笑)。それはともかく、勝つためには二つの方法しかない。すべてルールの範囲内でのことだが、第一に、自分の力を出し切って打ち勝つ。第二に相手の弱点を攻めて勝つ、これ以外にはない。
☆クリスチャンのメンタル
何もテニスだけに限らないと思うが、勝敗に関してはメンタル面が非常に大きい。力に大差が無ければ、勝利への意志力で八割方決まる。そしてそれは、眼前の争う相手というよりは、自分との戦いであると私は思っている。その時、クリスチャンの恵みを受けている。
☆最後の最後まで
恵みはいろいろあるが、一つだけ述べてみよう。
まずもって第一に勝負する者は、自分を信じなければならない。戦う前から「相手は強い」と恐れたならば、それは95パーセント敗戦する。実際にたとえ形勢が不利でも、マッチポイントの瞬間まで、必ず逆転できると信じ続けなければならない。あきらめた時、その瞬間、勝負の決着がついた時である。私はその瞬間まであきらめない。なぜなら負けたくないというより、集中を終わらせたくないのである。(ただ集中する)

☆感謝し集中する
クリスチャンは普段から自分と戦っている。自分の肉的な心とである。生活のすべてに神の恵みとあわれみを見出す。その上ですべての栄光は神、主のものである。
だから私は、自分を信じなければならないシーンではいつもその状況を感謝し、ただ集中することだけを祈っている。もし勝てたらそれは神の力であり、もし負けたら、それも神のゆるされたことであり、そのことにも大切な意味がある。すべてが益にされる(ローマ8;28)。だから勝負にこだわっているように見えても、実は感情やメンタルにブレが、ほとんど生じないで済んでいるし、勝てても主に栄光、負けても謙遜にそのことから学んでいる。「次に対戦する時、この相手にはどう攻めるべきか」と。力を引き出してくれる相手を、すべてを感謝している。

☆最後に
私たちは終末のリバイバルに召されている教会である。その時、むろん神によって力が与えられるが、普段からも肉体面、精神面においても訓練されている必要がある。クリスチャンのスポーツはそのやり方、方法は色々であろうが、ただ「備える」という一点において有用であると信じる。
ケパ