ローマの詩人ユベナリスの詩の一節「健全なる精神は健全なる身体に宿る」が、よく知られたことわざとして世界中に知られている。それだけ洋の東西を問わず、的を射ている言葉なのだ。
日曜日の第七礼拝終了後、つまり深夜になりかけのころ、近くの王手スーパーで買ったお弁当をチンして食べた。その後1時間過ぎたあたりから腹部の膨満を感じ「あれぇ」と思いつつ帰宅した。(※下の図絵は本文とは全く関係ありません)
帰宅後数時間すると、腹部の膨満感にはっきりと異常を感じる状態になった。翌朝は完全下痢状態で「くっ、苦しい〜」と、トイレと水分補給の繰り返しがまる一日半続いた。
この間、覚えているのはドルカスが始終祈っていてくれたことだが、私の方は苦しいばかりで、実際、ほとんど祈れなかった。祈ろうとしても、祈りに入れない。これではいけないと祈っても、情けないことに、続かないのだ。
神の恵みとドルカスのとりなしで、42時間後にはほぼ体長を取り戻せたのだが、不思議なことに、その時ドルカスと観たテレビ映画が「42〜世界を変えた男〜」だった。
改めて思うのは「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の真理だ。それが信仰の世界にも通じるということだった。クリスチャンは健全なる身体をも神に祈り求めなければならない。そうしないと「祈り」という、もっとも重要な恵みを失ってしまうのだ。
ケパ
日曜日の第七礼拝終了後、つまり深夜になりかけのころ、近くの王手スーパーで買ったお弁当をチンして食べた。その後1時間過ぎたあたりから腹部の膨満を感じ「あれぇ」と思いつつ帰宅した。(※下の図絵は本文とは全く関係ありません)
帰宅後数時間すると、腹部の膨満感にはっきりと異常を感じる状態になった。翌朝は完全下痢状態で「くっ、苦しい〜」と、トイレと水分補給の繰り返しがまる一日半続いた。
この間、覚えているのはドルカスが始終祈っていてくれたことだが、私の方は苦しいばかりで、実際、ほとんど祈れなかった。祈ろうとしても、祈りに入れない。これではいけないと祈っても、情けないことに、続かないのだ。
神の恵みとドルカスのとりなしで、42時間後にはほぼ体長を取り戻せたのだが、不思議なことに、その時ドルカスと観たテレビ映画が「42〜世界を変えた男〜」だった。
改めて思うのは「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の真理だ。それが信仰の世界にも通じるということだった。クリスチャンは健全なる身体をも神に祈り求めなければならない。そうしないと「祈り」という、もっとも重要な恵みを失ってしまうのだ。
ケパ