実はわたしは、過去なんども死んでいる。どなたでもあることなのかも知れないが、わたしもあるのである。小学4年生の時、近くの大川(江の川)を遊泳横断しようとして、あとちょっとのところで失敗。岸を目前に川の激しい流れに引き込まれおぼれてしまった。
今でも鮮明に、光射す水面が遠くなって行く中、自分が気を失ったことを覚えている。ハッと気がついてみれば、川の土手の上に転がされていた。土左衛門寸前で、どこかで見ていた高校生のお兄ちゃんに助けられたそうである。誰が助けてくれたのか、未だにわからない。(写真はその川の冬景色)
「ええっそんなことはないでしょう!」と信じていただけないだろうが、小学生の高学年でわたしは自殺志願者だった。今でも思い出すのだが、いったい幾たび夜の川に入り、また鴨居にひもで首を吊ろうとしたかわからない。親に理解されない悲しさ。愛されないつらさ。気に入られようと装う重圧の日々から逃れたかった。能力もないのに有名私学へ行くべく、がんばらないといけなかった。大した家柄でもないのに、他家を見下す虚栄もしっかりわたしに根付いていて、そうではない現実ががわたしを追い込んでいた。その時死は、「楽になるよ」とわたしを招き続けていた。
今でも「自分は何で死んでないのか?」と思うが、おそらく「息子の自分が死んで悲しむかも知れない親の顔を、死んでは見れない」という悔しさが思いとどまらせたからだと思う。しかしこれも後になれば益になっていて、その後高校生や大人になって4名以上の多くの友人の縊死と接することになったが、どんなにつらくても自身は二度と「死のう」なんて思うことはなかった。
最近ではわたしはガンになっていて、ほぼ間違いなく急性の大腸ガンで死ぬだろう、と覚悟したことがある。しかしこれはレントゲンなどの証拠が残っているにもかかわらず、まったくその痕跡すらなくなる経験をした。痔だと思っていた出血も実はガンだったはずだが、突然完全に止まったのである。その変わり目は何か?「命は神のものであることを告白し、神にもう一度自分の命を捧げ、その使命を全うさせてください」と祈ったのだった。結果わたしは癒やされ、「出て、宣教を始め使命を果たせ」とばかり、わたしを船橋へ押し出してくださった。
命は自分のものと思ってはならない。神のものである。人はどんなにがんばっても、自分の命の一日すら長くすることはできない。次の瞬間、交通事故かあるいは脳溢血で急に倒れるかも知れないのである。命は神のものであって、ただ今、御心があって与えられているだけなのだ。高ぶらず謙遜に、生かされている使命を果たして行きたい。
あ、ドルカスがカゼをひいてしまったようです。癒しの祈りと、感謝の特効薬をプレゼント。 (ケパ)
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それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。 「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカによる福音書 12:16-21)