ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

泣いた思い出

2011年12月11日 | 感謝

 今日の東京アンテオケ教会ゴスペルライブで、Giftsがこんなことを言っていたCjh18
(要約)・・・・先週の仙台のライブのおり、東日本大震災に関わった人の話の中で、もっ ともリアルで生々しい人の話を聞いた。その人はGiftsのコンサート中、ずっと泣いて泣いて、泣き続けていた。コンサート後、その人にわけを聞くと・・・・
「被災地の救急の仕事をしていた。現場では、津波の跡のがれきの中から人を見つけ助ける任務だった。やっと人の体を見つけ、急いで体を取り出すと、ある人には首から先がなかったり、またある人には片腕がなかった。またある人には太い柱が腹部を貫通していた。このような遺体を見て、逃げるわけにもいかず、黙々とその後の作業を続けなければいけなかった。そうこうしている内に、どんな様子を見ても、心がなにも感じなくなってしまった。その結果今自分は、鬱と診断されて治療を受ける身になった。でも今、Giftsのゴスペルを聴いて涙が出て泣けて止まらない。ようやく自分の中に、泣くというような感情が、こころが戻って来ました。」

 この話を聞きながらわたしは、状況は全く違うが、過去自分がこれほど人は泣けて涙が出るのかと思った、そんな記憶を思い出していた。もしその時コップがあったら、きっと涙で満たしたのではないかと思うほど泣いた。泣いて泣いて、涙が階段を流れて幾段も落ち、幾筋かの模様をつくっていた。

 自分がどれほど長く泣いていたのかもわからない。大声で大の男が呻き叫ぶように泣き続けた。家族がいなくなり、明日はマイホームを引き渡すという、最後の日に掃除に来ていた。掃除が終わって一人引き上げようとした時、急に我慢ができなくなって、二階への階段にうつ伏して泣き続けた。「ここに家族が居た。ここに1居た!」と。

 今のわたしがどれほど幸せか、あの時の自分と涙を思い出すとほんとうに感動する。涙はいやしの力がある。それ
も体験した。「男は泣くな!」と強い規制がかかっていて、泣くことができなかった。しかし恥も外聞もなく、泣かなければ溶かされ癒やされない痛みや傷がある。Giftsに泣いたあの隊員も、泣くことで規制が外され、感情がよみがえってきたのだろう。わたしもあの時、涙を流しきれたからこそ、今「神はすばらしいことをわたしにしてくださった!」とこころから感謝することができる。過去の苦しみがあるから、わかる幸せがある。いや、幸せは苦しみの下味がなければ、ほんとうの幸せとは言えないのかもと思う。新しい家族と、その心をあたえてくださった。信仰が一つ、いのちの目的も一つ。こころからこの道を通された神をほめたたえる。 (ケパ)

コメント
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