goo blog サービス終了のお知らせ 

心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

NNNN

2006-09-18 08:25:01 | 国際協力・現地NGO分野
きょうから3日間、会議に代理出席します。

ネパールでは、100以上の日本のNGOが、国際協力活動をしていると言われています。
そのうちのいくつかが、相互ネットワークを通じて情報交換や協力を推進し、NGOの活動の質的向上をはかることを目的として、略称4N(NNNN)=ネパールNGOネットワーク連絡会=Nippon NGO Network for Nepalを作っていることは聞いていました。

日程の概要です。
18日 10時 開会
    13時 各団体紹介(1団体3分)
    18時 分科会
19日 午前  希望活動現場を訪問
    午後  見学報告より問題点を浮き彫りに
    夕方  グループディスカッション
20日 午前  事例報告/先進例
    午後  今後のNNNN活動への提案 

ところが、きょうから4日間、ラトナパークでマオ派学生の集会予定と、大使館ML情報がありました。
連れ合いの学校では、きょうはバンダだと予告して、授業は中止としているそうです。

ぼくは、会場のホテルは歩いて数分なので、早めに行きますが、
予定通りに会議が行われるかどうか・・・
気になります・・・

ウンザリすることも多い、この業界ですが、
ガンバッている人々と、出会えるのではないかと、
楽しみにしているんです・・・

Curriculum Vitae を書く

2006-09-05 17:42:35 | 国際協力・現地NGO分野
Curriculum Vitaeとは、英文経歴書です・・・

10年来の付き合いがある、心理社会リハをしている、ネパール精神保健NGOの担当者からTelがあって、「CVがほしい」と言うのです。

4月には「あなたの経歴には、私たちのNGOは小さすぎる」などと、介入を敬遠したのに・・・
今度は、担当者だけでなく、チフスから回復したばかりと言う、代表の精神科医師からも昨夜にTelがあり、方針変更のようです。

声がかかるうちがハナだと思うので、急ぎ作成して、
夕方、手渡すことにしました・・・

日本の履歴書との違いは、
自分は、かつてこの仕事で○○を担当していたから、○○ができるということを明記して、遠慮なく、売り込むことでしょうか・・・






資源を節約し、健康を悪化させない、木を燃料とするストーブ

2006-09-04 11:36:18 | 国際協力・現地NGO分野
Eさんの紹介を得て、ネパール人医師で、
資源を節約し、健康を悪化させないストーブを工夫されている、
Mさんのお宅に伺いました。

奥様手作りの、バフ(水牛)のモモ(ギョーザ)、
ツゥクパ(煮込みうどんの祖先?)などを頂きながら、
じっくりと打ち解けた話しをしました。

ご存知の方も多いと思いますが、
この国の山岳地帯の家々のキッチンは、
煙が充満していて、目を開けるのも困難で、むせ返るような状態です。

燃料となる木材を効率的に利用するということと、
気管支系を中心とした疾患を予防するという目的で、
Mさんは、2年前から活動を開始しているということでした。

すばらしい着眼だと思いました。
ぼくの経験から付け加えると、ネパールだけの問題ではなく、ラオスの山村調査のときにも、切実に感じたことでした。

既に、
インドから輸入した鉄板を使い、
1台あたり、およそ70ドル程度の実費をかけて、
カトマンズで大小の4タイプの約250台を試作し、
彼の出身地であるソロクーンブ地方に、
支援者がヘリコプターをチャーターしてくれて、
150台は送ったといいます。

彼は、「問題は輸送なんだ」と言います。

ぼくは、そうではなくて、
その地域に在る資源を使っているか、
その地域に補修できる技術者を作っているか、
つまり、持続可能性・対費用効率の問題だと、思いました。

これからも付き合いが続く人だと思うので、
じっくりと、ぼくの考えもわかりやすく、具体的に、伝えていこうと思います・・・




ベシサハル県病院でH医師夫妻と会う

2006-08-19 01:34:58 | 国際協力・現地NGO分野
ドミニカ共和国で一緒だった mamayu さんからと、
先日に予想外の12時間の山旅の後に訪問できたN医師から、
勧められていたH医師夫妻に会いに
ポカラから片道3時間使って、
ベシサハルへ出かけました。

前日に、ようやくTel連絡がついたと思ったら、
「1週前に電話が通じた」というH医師の話しでした。
ここも、マオイストの支配地域に隣接し、通信に影響が出ていたらしい・・・

診療や検査にじっくりと同伴させていただき、
またご自宅の医師住宅で昼食を頂くなど、
とても暖かく、迎えていただきました。

海外のキリスト者団体から改築の支援を受けたという建物は、
とても清潔で、また手入れがなされていて、
ネパールの普通の公立病院とは違い、
異文化からの特別な支援的介入があることを感じさせました。

H夫妻は、
大使館付き医官やJICA専門家という経歴を持つ医師の2人で、
その後開いた山形での内科と小児科の開業医院をたたみ、
ネパール人プロジェクト主催者からの支援要請に応じて、
どこの団体からの経済的な支援も受けず、
エコーや、内視鏡機器までを自分で持ち込み、
毎日、午前午後に、
7日間歩いて受診してくる人々を含め、群れなす外来と入院者、数10名への診療を、
ネパール語を身につけながら、
既に3年間、
自腹で、続けている方でした・・・!

スゴイ!
ぼくには、初めて出会うタイプの途上国支援者でした。

しかし、
地域や配属機関についての、現状や問題点の把握が少ないみたい・・・?
ネパール人医療従事者への、日常的な指導助言が見えてこない・・・?
今日の国際協力で重視されている、組織マネージメントへのかかわりは・・・?
入院ベッドの稼働率?・・・「不明」
よくある疾患?・・・「小児科だけならわかる」
村の保健ポストとの関係は?・・・「よい」

既にプロジェクト開始後、5年を過ぎた今もあるという、解雇された元職員を中心にした地域からの抵抗や反対が続くなかでの、協力プロジェクトの、今後の見通しは?
診療自体を、ネパール人とは別の場面で、日本人やインド人という外国人たちが担ってしまうことの、今後の見通しは?
今後、外国人が引きあげたときの、現地化の見通しは?

持続可能性は・・・
対費用効果は・・・

そうしたことを問うのが憚れるくらいに、
2人には、燃えるような、この地域出身者というプロジェクト主催者への信頼がありました・・・

たしかに、協力者個人のソンも得も考えない、お金の絡まない、清い、愛他的な、国際支援だ・・・
しかし・・・
自己満足を越える成果を残せるのだろうか・・・
高額所得者にしかできない活動・・・
などという想いが、同時に、ぼくには残りました・・・

時間を置いて、また、会ってみたいと思っています・・・


タイで今回、学んだこと

2006-08-14 14:31:51 | 国際協力・現地NGO分野
・中進国となったタイでも、村レベルでは保健ボランティアを使った地域保健ケアシステムを導入していること、
・CBRを、政策的に後押しして、現地NGOも取り込んで進めていること、
・障害児者政策は、およそ2002年以降に着手されたばかりなこと、
・したがって、まだ、地域リハに、教育部門と医療部門との間での葛藤は生まれていないこと、
・地元NGOに、意欲的で経験のある、よい人材が育っていること、
・日本からの支援は、焦点づけのないバラまきではなく、現地の指導者育成や、専門的助言など、援助戦略をしっかり考慮して行われるべき段階にきていると考えられること、
などが印象的でした。

日本では、専門家による、専門機関での障害児者支援が行われています。
日本では、専門家に拠らないという定義上、CBRはありません。
しかし各専門ケアをつなぐ、地域での横のケア作りが必要となっている・・・と感じました。
いわば、先進国型のCBRを創出することが必要なのかもしれません・・・

開発途上国での障害児者を視野に入れた地域開発という意味では、
タイの実践は、予想通り、よいモデルになると思いました。

今回のスタディツアーは、横浜に本部のある、NPO法人FHCYアジア障害者パートナーズが主催でした。
つきっきりで案内された、代表のOmさんの熱意と配慮には頭が下がりました・・・感謝!
Mさん、Yさん、Tさん、Okさん、Sさん、Aさん、スタッフのHさん、Wさん、そして全盲で通訳のHさん、別れに涙された現地NGOのSさん、Rさん・・・
同行者たちは魅力的な方々ばかりで、スタディツアーを堪能させていただきました。
質問攻めにも時間を頂いて、たいへんお世話になりました・・・
(ガンバルNGOスタッフに比べて、ODA派遣ボランティアの多くに見られる、業務的なふがいなさ・対費用効果的なもったいなさを、痛感もしました・・・)

写真は、バンコク・旧王宮の寝釈迦の頭部です。


タイ南部ナコーン・シー・タマラート県CBR訪問

2006-08-14 00:41:35 | 国際協力・現地NGO分野
カトマンズからバンコクに飛び、5日夕方から、8日間の日程が始まり、
きょう元気に、ネパールへ戻りました。

行き先は、タイ南部マレー半島にある、ナコーン・シー・タマラート県です。
夜行寝台列車で、18時間もかけて、ゆっくりと到着しました。

ここのFCD(タイ障害児協会?)支部が、
日本のNGOの支援も受けて、
病院・障害児教育センター・統合教育をしている小学校・村の行政組織などの各機関の障害児者ケアをコーディネイトし、
訪問活動もしていました。 

この地域は、
マレー半島の仏教の拠点で、
黄金の塔を持つ写真のプラマハータート寺院があり、
古くは山田長政の最後の地、
旧日本軍上陸の地、
でもあるといいます・・・

タイ南部の障害児者ケア スタディツアー

2006-08-04 12:58:33 | 国際協力・現地NGO分野
あすから、タイ南部の障害児者ケアを見に行きます。

制度が多様にある英国や日本などの、先進国型のケア
ドミニカ共和国のような、地元NGO中心のケア
カンボジアやネパールなどのような、地域限定の外国からの支援ケア、
タイはどのようなのでしょうか・・・?

途上国の開発支援は、障害児者の社会参加を視野に入れて行われるべきと、確信しています。
WHOは、開発途上国での障害児の多さを指摘しています。
保健ケア活動の導入の結果、後遺症や状態が固定していくと判断できる、障害を持つ人びとが見えてきます。
また、社会を豊かにする支援プロセスの、後にではなく、その初めから、社会的な支援をもっとも必要とする弱者が、活動の対象範囲に含まれるべき、と考えるからです。

地元政府が、その方針を出せるようになるまでは、
どのような支援を、
誰が、
誰を対象にするのがよいのでしょうか・・・

13日には、ブログ更新できると思います・・・

暑いだろうなあ・・・!

チョルジャリ・ミッション病院のN医師 ルクム訪問7

2006-08-01 06:40:22 | 国際協力・現地NGO分野
2時間歩いて、途中のバザールではガイド君とチヤなどもたしなみ・・・
余裕で、9時過ぎには、ミッション病院に到着しました。

けっこう!努力をして、ようやく、到着できたので、感慨無量・・・

N先生は病棟回診中でしたが、声をかけるとすぐに、シャワーの手配をしてくれました。

ガイドをしてくれた青年には、約束の500ルピーと、今朝の分を上乗せして支払いました。
上機嫌での別れ・・・
まあ、日当が150ルピー平均の社会だから・・・

外人用の職員住宅の世話をするディディは、洗濯も、腹に入れるものも、手早く、準備してくれました・・・

しばし、ベッドで、睡眠・・・

午後に病棟へいくと、N先生の周りには、入院者の輪ができていました。
写真で、頭しか見えないで、埋まっているのが、そうです。
人柄なんでしょう・・・
すばらしい!

4年半養成の医師   1
1年半養成の准医師  4
3年養成の看護師   0
1年半養成の准看護師 4
ほか30数名のスタッフ
外来1日平均   100 
入院病床      40
職員給与は、診療費でほぼまかなえているそうです。
建物の建築・維持や、医療機材購入などは、国外のキリスト教団体からの寄付によっている。
現在1人の外国人ボランティア(医師)の役割は、助言・提案・スーパーバイズなど。
(この項は、資料が到着したのち、より正確に、書き直します)

こんなことも話しあいました・・・
・ネパールでの保健協力の歴史と人々、
・互いに知っている、カンボジアで働いていた、あの人この人のこと、
・持続可能性に配慮した、10年目の病院運営のこと、
・計画性を持ちにくく、持ち場を離れても人の輪に集まってしまう職員のこと、
・日本での生活と途上国支援とを統合させる工夫、
・協力現場を支える日本側NGO本部の工夫、
などなど。

ひさしぶりの、また活動フィールドの場での会話は、隠すところなく、あけっぴろげで、うなづく所が多かったです・・・


ネパールの国民食 ダルバート;ルクム訪問2

2006-07-31 22:13:35 | 国際協力・現地NGO分野
それで・・・
気を取り直して、
30分先のカランガのブータニ・ホテルへ歩き始めました・・・

空港も、村の中も、角という角に、兵士が武装して立っているところでした。
そういえば、飛行機で隣の席だった、身体強健そうで、英語を話すネパール人は、2週間の休暇が終わって、任地に戻るんだと話していました・・・
たぶん、高い地位の兵士だったんだっ・・・!

すぐに通りの外れまで行ってしまって、関所のように門を作ってガードしている兵士に尋ねたら、ぼくは宿泊先を通り過ぎているのでした・・・

ホテルというイメージではない・・・普通の3階建ての家でした・・・

昼なお暗い階段を、目を凝らしながら上がっていくと、すぐに屋上へ出てしまい、問うと、当りでした・・・!

そこからは、
用件を伝え、
ローカル蒸留酒のロキシーを1カップ飲み、
通りを散歩し、
明日のガイドが挨拶に現れ、
写真のダルバートを、ひさびさに食べ、
安らかに眠りました・・・

ちなみにネパールでは、1日2食、夕食は夜8時過ぎが普通で、断らない限り、ご飯も、タルカリと呼ばれるおかずも、継ぎ足し続けられます・・・

ルクム訪問1

2006-07-31 21:59:06 | 国際協力・現地NGO分野
4日間、マオイストの支配地域ルクム県にあるミッション病院訪問の旅に行ってきました。

カトマンズから出発した、19人乗りのツインオッター機は、ネパール中央南部のダン空港に降り、次にはルクム空港に着きました。
おおよそ1時間半。
山岳地帯で、標高1600mはある、台地にありました。

さっそく「病院はどこですか」と尋ねると、あそこと丘のさらに上を指差してくれました。
「15分で着くよ」と、聞いていた通りだったので、汗をふきふき、勇んで出かけました。

病院に到着すると、案内する人が出てきて、外国人たちが展望のいい東屋で涼んでいるところに到着しました。

ぼく   「日本人のN医師と会いたいんですが・・・」
彼らの1人「だれ?」
ぼく   「ここはミッション病院でしょ?」
彼らの1人「ミッション病院は、一日歩いた000にあるよ・・・」
     

ぼくは、降りるべき空港を間違え、同じルクム県の県(ディストリクト)病院を訪ねてしまったのでした・・・

でもMSF(国境なき医師団)のスタッフであった彼らは、親切に、宿の取り方、ガイドの探し方を教えてくれました・・・

予想しなかったヤマ旅の始まりが告げられました・・・!


カンボジアへ

2006-07-14 00:08:12 | 国際協力・現地NGO分野
あすからカンボジア・シュムリアップへ向かいます。
関わってきたNGOプロジェクトの幕引きとなるか、あるいは、再建か・・・

バンコク・カオサンに明日夜に到着して1泊し、陸路で国境を越え、1日かけてシュムリアップへ入る予定です。
今回は、いつもの10ドル程度のものではなく、少人数を募集した片道1000バーツと、やや高いものに乗ってみようと思っています。

このブログへの書き込みが、19日(水)までできない見込みです・・・

ムラの女性への縫製技術研修とスモールビジネス支援NGO

2006-07-03 16:42:15 | 国際協力・現地NGO分野
知り合ってから約10年になる、日本発のNGOへ、本部から預かった手紙と現金を、現地スタッフに届けてきました。現地側NGO運営のコラプション(汚職)を、本部側は心配しているからでした・・・

カトマンズのリングロード北東の外側、約2Kmにある、ムラの女性への縫製技術研修と、それを基にしたスモールビジネス支援をしているNGOです。

6ヶ月間の基礎コースにきょうは3人、上級コースに6人、卒後部門に2人が、4人の指導スタッフのもとで、女性用・子供用の衣類や、紅茶入れやペンケースなどを布で縫っていました。過去5年間で、135人が研修を終了したそうです。

3年?ぶり、2回目の訪問ですが、研修所スタッフは覚えてくれていて、フランクに話ができて、気持ちのいい時間でした。

ただ・・・製品が売れない・・・
また、卒業生の3人組を作って縫製の店を出してきたけど、仕事が来なくなってしまい、閉店せざるを得ないことが続いているんだそうです。
提供できる作業の質が高くないので、たくさんいる同業者との競争に勝てない、とスタッフは言います。
現金収入へと結びつけるのは、むつかしい・・・!

組織運営上の問題については、コラプションなのか、コミッション社会であるネパールに一般的なことなのか、という見極めが必要と思いました。

また国際協力の技術論としては、Vocational training 支援分野に共通した課題で、研修生の住む地域で必要とされる技術を把握し、それを研修で身につけてもらい、開業後の一定期間まで支援する、ということに進む必要性を、ぼくは感じましたが・・・

いつか、じっくり、議論したいと思いました。

JOCS N先生と再会

2006-05-30 00:48:07 | 国際協力・現地NGO分野
N先生とは、かつてカンボジアで、保健NGOの活動について話し合いをしたことがあります。
ぼくが関わっていたNGOの現地プロジェクト立ち上げの前ですから、7年前頃でしょうか・・・

JOCSは、ネパールへの保健協力を切り拓いたNGOです。
南部インド国境の、タンセンでのI先生の献身的な活動は有名で、バクタプルにはその名のついた記念病院があるくらいです。

住民との最前線で活動を作ることは一貫していて、ポリシーのある団体だと感じています。
駐在期間は、他の団体より長く、3年間を原則としていたり、またモノの供与を原則的にしないという面もあります。
強い宗教的な信念に裏付けられた、工夫があるからでしょう・・・

きょうはネパールの医療の特徴についての話題になりました;
・医者の診察時間が数分間で印象的になされる
・患者家族への説明はほとんどない
・首都を離れると、2年養成の准医師が診療を担い、6年制医学部卒の医師はほとんどいない
・看護職についても同様

旧知の方々の名前が出てきて、とても懐かしかった・・・

これから2ヶ月は、辺地にある医療機関へ診療の支援に入るそうです。
それもマオバディの支配地域にある・・・
可能であれば、訪問させていただきたいと希望しました・・・

これで、今回お会いしたかった方たちとの話しは一応、終了です。
あす1日ゆっくりして、31日は早朝に空港へ向かい、4週ほど一時帰国します。

原初的な地元「NGO」

2006-05-29 14:15:00 | 国際協力・現地NGO分野
先週土曜に、今住んでいるアパートに新しく入った方がいて、恒例という食事会が大家さんのリビングでありました。
モモ(チベット式蒸しギョウザ)が前菜で、おかずが外国人向けに多く工夫されたダルバート(ネパール定食)を、ビールやロキシー(ネパールの粟や米から作る蒸留酒)をたしなみながら、楽しみました。

スウェーデン滞在やエアフランスの駐在員を経て、外国人用の家具や電話、ケーブルTVや掃除サービスつきのアパートを建て、経営に移ったネパール人が大家で、仏・英語が堪能で、奥さんはそれに加えて日本語も可能です。

ひょんなことから、大家さんがPCに映像を写して、自分が友人たちと時々、300ドル程度のお金を出し合いながら、17年間続けているという、カトマンズ南部地域のムラへの関わりを説明し始めました。
「ずっと週6日間働いて、一日だけが休日だったけど、その日にはムラを訪ねて、高い給料をもらっている自分がすることがあると思った」と動機を言います。

共同の水場の介入前と介入後の写真でした。
水場の改善は、保健や教育、経済活動など、すべての生活の基本部分へのサポートです・・・

また、農家が育てている水牛のエサ代を貸し出し、12%の利子の返済を求めながら、sustainable(持続可能)な自立を支援する活動もしていると言います。
お金をあげてしまって利子を取らないと、祭りで殺して食べてしまうだけに終わるんだと言います。

集会場ないし休憩場を、土地を提供してもらって、材料は提供するが、建築や維持修理はムラびとたちでやってもらうということもしているようです。

ネパールの政党は、こうした活動を支援してくれず、むしろ置いてあった材料を、一夜のうちにどこかへ持っていてしまうなどの、妨害をするとも言うのです。
「政府の事業として行うと、政党はリベートが取れるからだ」と理由を理解しています。「自分は直接ムラびとに全部のお金が渡るようにしたい」と言います。
政府も政党も、全く信用されていません。

「JICAは支援してくれるだろうか?」というのが、彼のぼくたちへの問いかけでした。
「退職した今、ムラびとに開発を動機付けるソーシャルワーカーでありたいと考えてきた。」「このアパートには、JICA関係者が住んでくれて、JICAが自分たち家族のパンとバターを出してくれたと思っている。そうして、娘が留学することにもなった。そのJICAから支援を受けられればうれしい。」「日本のNGOの、現地支部であっても良い」というのが、彼の背景でした。

ぼくは、さして援助理論も知らない現地の人びとが、工夫しながら、お金を出し合って、細々ではありますが、今日の援助方法論にも合致した、有効な支援を作り出し、継続していることに驚きました。

彼は「やったことがなくて、よく分からない」と言いましたが、ぼくは、JICAのNGO支援部門や、このネパールで活動する日本のNGOに活動を説明するための資料作りの必要性やその構成を説明して、勧めました・・・

Jさんと8時間

2006-05-25 12:35:43 | 国際協力・現地NGO分野
Jさんは、63才になるんだそうです。
5年ぶり位かな?
少しふっくらとされて、酒は相変わらずでしたが、ヘビーだったタバコはきっぱりと止めているのに驚きました。
パタンゲートから少し西へ入った5階建ての、上の部分3階が事務所兼住居でした。
屋上からはカトマンズ盆地全体が見渡せる、旧ラナ家の敷地の一部です。

ひさしぶりでした・・・
団体設立から10年、カトマンズ北東部の職業訓練センター設立からは5年、湯河原や小田原などの元教員の同僚を核に支援が続いていること・・・
念願の土地の購入が終了したこと・・・
日本に留学させたネパール人青年が行方不明になってしまい(不法就労!)、ネパールの住まいで盗難にも会い、1年間はネパールに来る気にならなかったこと・・・
権力が集まる現地代表の、(ネパール文化に内在している?)金と女性を巡る公私混同が明らかになり、それとの闘いが大変なこと・・・
そして、うつを持ちながら生きることになったこと・・・
でも、年間150日間は滞在して、被差別カーストなどを訪ねるネパール全域の旅も、続けていること・・・
腰を落ち着けてネパールとかかわり、あるいは研究をするスゴイ人たちと会った感動、そして、しょうがないNGOやODAへの忌憚のない○○・・・
ベトナム・フエでの障害児教育への展望・・・などなど、話は尽きず・・・

国際協力としてみると、
「自立支援・対等支援を追及」という思想のもと、
ネパールの女性が「腕に技術を身につけ現金収入を得る」という目的に、
5年間で112名が研修を終え、39名が就労しているという成果をだしています。
ぼくには、組織運営の透明性の確立・就労先の開拓・多様な作業課題の開拓などが、当面の課題であるように思えました。
それと、リーダーであるJさんが、人の話をじっくり聞かず、思い込みが目に付くカナ?・・・とも・・・(躁転?加齢?泥酔?)

古い知人との、気を許した、楽しい時間で、帰りはひさびさに千鳥足でした・・・
ぼくは、安酒は飲むナ、と言われ、行く先々のアルコール依存者の飲み物を飲むことをポリシー(?)にしていたぼくには、ちょっと困るアドバイスでした。
まあ、この業界はカラダが資本なので、よく考えましょう・・・

来週に、ぼくは一時帰国しますが、この団体の縫製製品20Kg程度を日本で販売して資金獲得するために持ち込むのを、手伝うことにしました。

これから2年、いろんな形で、おつきあいをさせていただくと思います・・・