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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

ネパールにおける学校建設支援の後に起こること

2007-07-23 18:43:50 | 国際協力・現地NGO分野
一緒にNGO訪問などをしてきたネパール人のKさんからきのうTelがあって、
首都から400Km東の村から校長と先生が出てきているから、会ってくれないかと言うのです。
それで2時間たっぷりと話し合いました。

ここネパールへの日本のNGO支援では教育分野が目につきます。
それも学校建設というプロジェクトが多い。
この校長の学校も、東京の高校がバザーなどで資金を集めて数校の建設をしてきたうちのひとつだそうです。

新たに公立学校ができたときに、政府は、初年度のみ10万ルピーの備品等々の費用と、教師ひとりに4万ルピーなどの年間予算を付けるそうです。
この7月からの新年度では、ネパールの教育予算の方式が変化し、より地域側の努力が求められるようになりました。
上の予算で教員を雇用するには、月4000ルピー(約8000円)出せないわけで、交通費や扶養家族を考慮するとその地域外から雇うことはほぼ不可能で、地元で探すしかないようです。
これは簡単ではない・・・

バスで12時間かけて首都に来たという30そこそこの若い校長は、
図書室を作りたいと、そうした支援をしているNGOを探して訪問して要請し終わり、
日本のドナーとの間に立ってくれているK氏に、そのドナー用の近況の報告と、資金の受け取りなどをしていくということでした。

ぼくには、JICAへの要請についての質問が中心でした。
校長は、NGOがしてくれない学校備品や教員給与補填などの支援がほしいようですが、ぼくは「JICAへは教員ボランティアの派遣要請が現実的ではないか」と、ぼくは答えました。
そして過大な期待を生まないために「実際にJICA教員ボランティアが入っている学校をまず見に行ってはどうか」と勧めました。

・教員ボランティア側の言語能力の問題、
・カウンターパートとなるネパール人教員は必ずしも日本のボランティアから支援を受けたり、教育方法を学ぼうと思っているわけではない現実、
・記憶中心のネパールの教育方法と、一諸に遊んだり、こどもに考えさせたい日本の教育方法の方向との間に齟齬があること、
などの、ぼくが見聞きしてきた問題点も話し合いました。

そのうえで校長は「若い教員たちばかりだから」教員ボランティアがほしいという結論でした。
あすには村へ帰るそうなので、まず村落開発委員会VDCとの話し合いをし、
それからJICAへの問い合わせ、実際のボランティアの入っている学校を訪れる、などに着手するということでした。
時間がかかります・・・

短期間で、効果も目に見えやすい校舎建設も意味がありますが、
その後に引き続いて起きてくる諸課題についても視野に入れた支援が工夫される必要があります。



人なつっこかった未就学児

2007-04-10 10:33:06 | 国際協力・現地NGO分野
シミコット村を歩き回っているときに出遭って、人なつっこく見つめられた2人の姉妹です。
クルタスロワールを着ているから、女の子!です。
言葉が通じなくて確認できなかったけど、たぶん10才と6才くらいかなあ。

チベット文化圏では、伝統的には煙突を作らずに炊事する家屋に住み、しかも入浴する習慣がないから、真っ黒・・・

学校のある時間帯に、モノ運びをしているのでした。
未就学児童ですね・・・

ネパールの山岳地帯では就学率は5%という数字も読んだことがあります。
たしかに、飛行機から見える、信じられないくらいに遠く離れた尾根筋に在る小さな村々・・・

教育の機会を増やすためには、
入れ物としての学校施設も、
人的資源としての教員養成も、
魅力ある授業をする技術研修、
奨学金制度も、
また児童労働の代替策や
家庭の収入増策、
現実的な保健改善策、
親元から離れて通学するための寮の建設、
はたまたアクセスを改善する道路建設
などの対策が総合的に必要だと考えられます・・・

プロジェクト目的の見直しが必要?

2007-04-10 09:57:11 | 国際協力・現地NGO分野
ネパール、カルナリ県フムラ郡シミコットの小学生たちの下校シーンです。

この子どもたちの先生を、この地域の出身女性から作ろうという、プロジェクトなんですね・・・
ただ、この小学校で尋ねると、校長以外の5人の教員はすべて女性でした・・・

プロジェクト目的の見直しが必要か・・・?

マオ兵士が村に戻り高校が満杯・・・

2007-04-08 20:39:47 | 国際協力・現地NGO分野
今回は、ネパールでも貧しいといわれる西部の山村に、子どもたちが喜ぶ、女性の小学校教師をつくるために、I.Ed。資格をポカラの大学で取れるように奨学金を出しているNGOが、ぼくの知人のネパール人に依頼して、郡教育局・高校長・小学校長・生まれた村から離れて寮に住む対象の人(4人でした)へ直接に説明するのに、くっついて行きました。
極西部の村を見たい・・・というのがぼくの動機でした。

さいわい、予約などないにもかかわらず、その全員に会うことが出来ました。
傾斜地にある3000mの村での移動は、空気が少なく、ゆっくりゆっくりした歩みになります・・・

そのときに聞いた話;
かつてマオ派がこの村を支配したとき、各家から1人の兵士を出すように、強制されたのだそうです。
そして、娘を出す家が多かったのだそうです・・・娘はいつかは家から出て行くのだから、という理由で・・・なんという・・・!
それが昨年秋の内戦終了以来、村に戻ってきているんだそうです。
それで、9年生が100人、10年生が80人と、かつてない大人数になっているんだそうです・・・今年の10年生の女性は5人というのに・・・

同じゲストハウスに2人組がいて、問うと国連スタッフでした。
30代初めと思える韓国人女性がスタッフ、40代と思えるイギリス人男性が英語ーネパール語の通訳という組み合わせでした。
先週に、マオイストがコングレスの活動家を誘拐して行方不明になっているという情報があって、その確認だと言います。武装警察との面談、調書の作成などをしていました。
現在のネパールも、決して、平和に包まれているわけではありません・・・

自分の社会を支える人たち

2007-03-24 09:48:32 | 国際協力・現地NGO分野
今回は、学校建設・奨学金・識字学級などのプロジェクトをしているNGOを訪問していました。

前回のゴルカに引き続いて、ネパール人自身の積極性と出会えました・・・!

写真は、信頼を集めている医師(後ろ向き)・カトマンズから通って得意の日本語とマジメさでNGOとの連携の要にいるKさん(左)・地元で家業に精を出しながら支援するPさん(右)です。
覗き込んでいるのは、この識字学級に通う女性たちの一部です。

識字学級は週5日、午後5時から7時が普通ですが、ここでは計画停電の日には昼に開いているのだそうです。

この日の調整は、
半年の前半コースを終えた人たちが、予定されている3ヶ月の後半コースに参加したいかどうか?
また困っていることは?
などでした。
それらの資金を日本のNGOが支援しているわけです。

このような、意欲を持ち教育された人的な資源がある社会では、経済成長があれば、社会はけっこういい感じで展開していくのではないかと、ぼくには思えるんだけど・・・
ネパール社会の現実は、昨年11月の内戦終了以来、暫定内閣の組閣で行き詰まり、私利私欲の渦の中心となってしまった250年余の王制改革の中心にあったマオイストが今度は襲撃されるという、混乱のなかにまだ、あります・・・



ネパール偉人による総合村落開発NGO

2007-03-16 12:00:38 | 国際協力・現地NGO分野
トリシュ・メヘル・クラブのゴルカ支部 Tulasi Meher Uneso Club,Gorkha へ行ってきました。

貧者支援60年になる、トピーを被り、男性の民族衣装のドウラ・スルワールの上に、肩に破れのあるイギリス式のブレザーを羽織り、小さなショルダーバッグを背負った、小柄で日に焼けた、ムルミ Rudra Lal Mulmi 翁86才が、心血を注ぐNGOです。

カトマンズからポカラへ向かうプリティビ・ハイウエイのムグリンの少し先のアブ・カイレイから北へ24km北の丘陵地帯へ入ったところです。
四駆で片道約3時間半でした。

その7つある支部のひとつのゴルカ支部では、
スタッフ2人で約1ヵ月半かけて行う、対象村落のPRA調査に続いて、
・健康ーヘルスポストのスタッフ給与支援・予防接種支援・TBA研修・女性の健康・トイレ建設・排煙コンロ・広報
・教育ー識字(6ヶ月+3ヶ月)・就学前教育
・農業ー野菜栽培・きのこ栽培・水牛銀行・ヤギ銀行・香草栽培・練炭つくり・家禽飼育・しょうが栽培
・現金収入ー竹細工・縫製
・青少年活動ーグループつくり・リーダー研修・小図書館つくり・スポーツ機材配布・ジェンダー研修
・施設建設ー学校建設と維持・飲料水供給と維持・灌漑
・女性ーリーダーシップ研修
・マイクロファイナンスー経理研修
・共同作業研修
・禁煙キャンペーンー小論文コンテスト・キャンペーン
・HIV/AIDS予防ー研修・調査・家族カウンセリング・キャンペーン
・しょうがい児者リハビリテーションーキャンペーン・研修・集団ミーティング・理学療法
などの活動を、2年間を1クールとして、住民参加型で行っている・・・!

内容の充実と、包括性と、継続性、積極性、そしてスタッフの謙虚さにも感動・・・!
いくつもの村で活動する国際協力団体の実践の統合した形がここにありました!

さて、トリシュ・メヘルとは、隣国インドのガンジーに共感して、自身はパタンのバグマティ河原の小さな庵に済み、貧しい女性に糸紡ぎを通しての経済支援や、アルコールや肉食の拒絶運動を進めた、ネパール人なら大半の人が知っている偉人だそうです。
そしてムルミさんも、26才のときに、デリーへガンジーに会いにいき、暗殺される35日前にも会っていたと言い、ガンジーとトリシュ・メヘルを師と仰ぐ人なのでした。

ぼくの前任地であるドミニカ共和国のADRの創設者と彼女にリードされた組織を想い出しました。
優れた指導者を持つ組織は、その清廉さが、思想が組織の隅々の人にまで浸透していくすばらしさ・・・

システムを持って、誰でもできるNGO活動というのも、夢見るけど、多くの国際NGOがそうであるように、獲得した予算内の活動に縛られていってしまっている現実!

そして、ムルミさんのような偉人はそういないという、これも現実!

高齢になるムルミさんは、後継者と、年間約800万円になるという活動費用への支援とを、真に求めているようでした。
14年目という、古いけど手入れの行き届いたパジェロで同伴して往復してくれ、息子と呼んでくれて、うれしかったけど、ぼくにお金の提供は難しい・・・

日本のどなたか・・・こういう活動へ財政支援できる方はいませんか・・・!?

写真は、早朝のゴルカからの朝霧に沈むドランド・コーラ流域です。

補足1;なお、名前のユネスコは、かつて助成を受けていた期間があるということで付いているそうで、現在ではまったくのネパールの国内NGOです。

補足2;このゴルカ郡は、250年前にカトマンズへ出てきて現ネパールを統一したシャハ王朝の出発地です。しかし現在はマオイストの支配地域でもあります。このNGOへ、マオイストからの介入は一切ないということでした。

補足3;マオイストが支配地域で禁酒政策を取っていることは先に述べました。貧困の中で余計な出費から家計を守り、飲んでいる時間を労働へ向けるため、また惹起しがちな家庭内暴力を予防するためと聞いています。ガンジーがそうだったことは、ここゴルカを訪問して、想い出しました。ネパールのマオイストはガンジーの系譜にもあるのでしょうか?あらためて、ガンジーの著作を読んでみたいと思いました。

オーガニック環境系NPOの展示販売会

2007-02-03 21:53:10 | 国際協力・現地NGO分野
タイ南部の障害児者ケアを見に行ったときの団体が参加した、浜松町であった展示販売会にお手伝い or オジャマムシで行ってきました。
古着・有機のパンやクッキー・竹細工・アジアの雑貨・有機化粧品・藍染・セラピー・マッサージ・タロット占い・古本屋・ピースボートなどの100近い出店と、トークショウやライブがにぎやかでした・・・

ビルの3階という、わかりにくい場所なのに、人並みが続いていました・・・
東京ってスゴイ!とにかく・・・人が多い!

50数種もある、タイの障害児者団体の製品の値段やテーブル上の位置などを頭に入れながらの展示販売でした。
売れ筋は、麻のバッグ、ココヤシで作った食器やポシェット、ゾウやナマズのキーホルダーなどで・・・
飽満!?日本では、実用品ではなく、おしゃれものが売れ筋なんだ・・・と、感じました。

その関係した出店は交替人員が豊富だったので、けっこう会場を歩く機会がありました。
知り合いはいないと思い込んでいたら、声をかけられて、驚きました。
団体は違いましたが、2000年ごろにプノンペン駐在が同時期だった、Mさんでした。
今は、イギリスのオータナティブなポリシーで出版している団体の日本代表のようで、ひさびさに関心事を互いに話して彼の意欲を強く感じ、なんかうれしくなりました・・・

それと、集まっている人々を見ていて思ったこと・・・
まるで、ヒッピーのファッションを連想してしまった・・・
ただ60年代70年代と違うところもあって、色はサイケデリックなものはなく、素材を含めてナチュラル系になっている・・・

こういうカウンターカルチュアが、
多数派にならないとしても、しっかり表現できるような時代になっている・・・
と感慨深かったです・・・

100戸の小さな村に1300人が通う学校ができていた

2006-10-22 12:49:54 | 国際協力・現地NGO分野
写真の、手前側がカトマンズーポカラを結ぶ幹線にある、アドン・ガットという小さな町。
カトマンズ・バラジューから発着するローカル・バスで65ルピー、1時間半ほど。

トリスリ河にかかる長い吊り橋を渡ると、行き先のアドンタール村。
正面の三角の山の裾野とトリスリ河との間に、水田やインゲンの畠、食肉用のニワトリ飼育場などがある、静かな農村が広がっています。

電気は3年前に届きました。
クルマやバイクは、狭い橋があるためにやって来れません。
水道はなく、また沢からの水は十分ではなく、不足気味ということです。
なお吊り橋ができたのは、最近のことで、渡し舟の時代が長かったんだそうです。

吊り橋の右手の高台に、このプロジェクトで建て直された、260人が通う小学校が見えます。
その先には、中学・高校・10+2(テンプラスツーと呼ばれる大学入学前教育)をする校舎があり、
合計1300人が近郊から通っています。

近くの村での小学校建設も取り組まれています。
約1割の貧困層には、年100ドル程度の奨学金制度を持っています。

ここでの一連のプロジェクトは、10数年前に、始まりました。
この村で生まれ育ち、今でも毎週のようにここへ通っている、村が大好きなK氏が、コンセプトを持ち、懸命に努力して、継続してきました。

ネパール人の正しいNGO

2006-10-19 13:41:35 | 国際協力・現地NGO分野
自国の人々を、自国人が相互に支援して、国造りをしていくのが普通ですよね、
外国人がはるばるやってきて手を出すのより・・・

ただ、ここネパールを含めて、開発途上国の国内NGOには、
外国から流入するお金を目当てに、なんとかごまかして詐取するという、
お金儲けの下心で行われているものもあることは、
残念なことに、現実として見つめなければなりません・・・

先の4Nの会議で知り合って、なぜかウマの合う、
タメルでゲストハウス経営をしているネパール人が、
カトマンズから西へ約60Km離れた故郷で、
学校造りを中心にやっている活動を見に行けることになりました。

今回はセメントなどを運ぶというのに便乗させてもらいます・・・

住民参加型プロジェクトの成功事例!

2006-09-27 23:53:10 | 国際協力・現地NGO分野
16年前の最初の段階では、ネパール人の人類学者が助言を得て、写真の正面の丘の上にある12教室のある、大規模な学校建設が関わりの中身で、今では、ここに写っている地域全体の前後にまで、活動地は広がっていました。

住民の要望があり、
貧しい生徒に奨学金を支給するようになりました。

徒歩2時間もの遠距離から通う子どものために、
寄宿舎を作りました。

NGOは郵便貯金支援を得たので、水力発電に取り組み、
住民は水路作りと、研修を受けて保守を担当して、
学校と近くの村々に明かりが灯るようになりました。

厳しい条件の山村の生活自体を支えるために、
作物の選択や、進め方の改善などの、農業支援に着手中です。

課題は、まったくケアがなくなって久しい、保健分野の支援だそうです・・・

担当しているkさんは、「一部費用や保守などは地元が負担する、持続可能な自立型プロジェクト」と言っていましたが、
ぼくには、「住民の要望を聞き、それを実現する外国からの適切な支援形式をそのつど熟慮した、参加型村落開発プロジェクト」が進行していると、見えてきました。

常駐する外国人スタッフはいなくて、
外国人支援者が、年に2回程度、訪問するだけで、
ここまで到達していることには驚きました!






地元NGOの呼びかけ人たち

2006-09-27 23:31:26 | 国際協力・現地NGO分野
NGOが16年前に作った学校の校長、
村の名士たち、
元気な青年2名、
女性2名、
ダリットと呼ばれる「下層」の代表、
などがNGOを作ることを、
マオ派がようやくOKしてくれたのだそうです・・・

近々、カトマンズの社会省まで認可を得るために出かける予定というところまで漕ぎ着けたということでした。

これで、日本のNGOなどと、対等に議論する地元の組織が出来上がっていくことになります。

ただ、NGO事務所を飛行場の在るジュムラにある、郡庁舎内におくというのは、納得しにくいけど・・・


ティルク村の泊めてもらったチベット文化圏の家

2006-09-27 23:21:38 | 国際協力・現地NGO分野
こういう民家の2階の1室の木の床に、ヤクの毛で織った敷物の上に、寝袋を広げてやすみました。
2600Mの標高があり、朝晩は17℃くらい、昼は30℃になります。

食べ物は、朝はミルク・ティ、昼はチャパティのようなローティなど、夜は定番の、ダル・バートでした。
貧しい村の常ですが、動物タンパクは、何もありませんでした。
が・・・
リンゴと小ぶりのモモの収穫時期で、何個も、欲しい分だけ食べさせてくれました。

それと・・・地元産蒸留酒のロキシー・・・
酒類が締め出されることの多いマオ派の統治する地域なのに、
どこかで手に入れて毎晩出してくれるのがうれしかったです・・・

1.5畳くらいのヤクの敷物は、新しいもので、かすかなバターのような香りや、素朴な幾何学模様、床の冷たさを断熱できる手ごろな厚さなどが、とても気に入ったので、それを2500ルピー(約4000円)で譲ってもらって、持ち帰りました・・・
たぶん、ぼくの、一生ものの宝になるでしょう・・・


明日から西ネパール5日間

2006-09-22 14:18:24 | 国際協力・現地NGO分野
今度の会議で知り合った、「カルナリ協力会」のプロジェクトサイトを訪問することになりました。

マオ派の自治地域で、
学校建設などの教育支援・電化・健康管理・栄養改善などの総合村落開発支援を
16年間続けているところです。

西ネパール、カルナリ県ジュムラ郡デリチョルあたりの、標高2600mが行き先の村々で、
カトマンズからネパールガンジへ飛び、
ジュムラへ乗り継ぎ、
そこから4時間程度、歩いて到着なんだそうです。

ゲストハウスは、破壊されたそうで、
村の農家に泊めてもらうということなので、
寝袋・ムシ避け・ヘッドランプなどを準備しています。

マオの支配地域はアルコールがありませんが、
河には、マス科のサカナがいるらしく、
また、少し歩くと温泉があるといいます・・・!

学んで、そして、楽しんできます・・・

ホテル2泊3日(ーぼくは缶詰ー)会議終了

2006-09-21 02:05:03 | 国際協力・現地NGO分野
「NGOの相互理解・自立と共生をめざして Mutual Understanding and Solidarity for Sustainable Development 」が、この会議の呼びかけタイトルで、
日本から12団体、ネパール側は19団体の参加、人数では70人前後かと思いました。

で、そのタイトル部分の結論は、次でした。
1.支援のすべてのお金を、金額ではなく、大切にする
2.払える人には利用者負担金を支払ってもらう、価値がわかり、大切にするから。
3.自立するためには、基金を作り、利子で活動することを工夫する
4.活動を、外部からも見えるように、工夫する
NGOの現場の人たちの集まりということが、具体的な内容(ばかり?)である、ここから伝わるかと思います・・・

小集団討論では、熱のこもった時間が多く、国際支援のココロ(?)を改めて、確認した感じがあります・・・

ネパールの活動している、これまでぼくの付き合いのなかった20以上のNGOスタッフと知り合いました。

このブログの読者がいて?ビックリ・・・!
お付き合い、感謝!日本食品の差し入れまで頂きました!

ブログでも、ネパールでガンバル活動を、これから紹介していけると思っています・・・

カトマンズから1時間も先の病院を拠点にして活動する、障害児対象の地域医療リハビリテーションNGOから、これまでできなかったという心理ケアへの助言を求められたけど・・・
どうしようかなあ・・・?