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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

カウンターパート夫妻に日本食

2006-01-22 12:15:47 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
前から話していた、カウンターパート夫妻を、自宅に招いて、日本食を提供するのを、きょう実行しました。

写真は左から、トンカツ・寿司・刺身・ミートローフ、その外側に・サラダ・赤飯・日本酒・日本茶です。
寿司と刺身は、前に話したペルー人の寿司屋で、大枚をはたいて調達しました。
しかし受けたのは、自作のトンカツと赤飯、日本茶でした。

夫妻は、幼馴染なんだそうです。
妻が心理職で、夫は自動車販売・修理会社自営で、ニューヨークへ買い付けに行くそうで、英語が出来る人でした。
スペイン語と、ややこしくなると英語も入れて、会話も十分に盛り上がりました。

アミーゴが一人増えました・・・

公私混同

2006-01-22 11:57:20 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
ぼくの住んでいる向かいのアパートには、1昨年8月までは、ぼくたちが「鳩オジサン」と名づけていた、毎朝、駐車場にエサを撒いて、鳩にエサをやる人が居ました。

大統領選挙が終わったら、そのオジサンが、毎朝、迎えの車で、出かけるようになりました。軍服を着て。そのアパートには、24時間、2人の護衛の兵が詰めるようになりました。
まあ、ぼくの住まいも安全になって、良いことなんですが・・・

写真は、そのアパートに消防車が来て、工事の跡の土を、放水で洗い流しているところです。
今まで、雨が降るとあふれていた、そのアパートの排水溝の工事の後です。
伸び放題になっていた、そのアパート前の街路樹も、きれいに刈り込まれました。

権力を持つと、何でも出来る社会というのは、困ります・・・

送別と感謝の食事会

2006-01-17 04:14:14 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
週末テニスをズーッと一緒させていただいているご夫婦が来月、任期終了で帰国されます。ラテン社会20年のベテランです。

ぼくの着任時には、釣りやスポーツなどの情報をたくさん問い、そして答えて頂きましたし、まだ西語が不自由なときに車が故障したときには、通訳にお店まで来てもらったこともありました。
連れ合いは、買い物情報や、南米の方々とのお茶会など、交友を広げさせてもらいました。

そのお礼の気持ちをこめて、手作り食事会をしました。
一緒に山登りをした写真などをPCで見たり、カメラ好きのダンナさんが800万画素という、今の日本では普通のデジタルカメラに驚いたり、けっこう、盛り上がりました

まだ決まっていないのに、次の任地には遊びに行くから・・・とか、老後は、一緒にチリに住まない? などという誘いを受けてしまいました・・・
外国での日本語による人付き合いは、思いのたけを話してしまうせいか、どこかマニックというか、ハイになってしまうところを感じます・・・




大使主催「新年祝賀会」「新成人祝賀会」

2006-01-14 10:14:55 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
写真はあえて載せませんが、大使公邸という広い芝生の庭の在る豪華な邸宅で、お抱え日本人コックが作る日本食をつまむ、在留日本人と日系人、約150人の集まる、立食パーティでした。

税金を取り戻すんだからいいかという想いと、もう時代遅れの儀式を公費で続けているバカバカしさと、すっきりしない気持ちです・・・

というわけでリゾートに3泊してきました

2006-01-08 12:14:03 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
年始の休暇を使って、行きたかったリゾートで3泊してきました。
ソスアです。
写真の海越しに見える台形の山の辺りは、プエルト・プラタで、約30Km先です。

首都から1号線と5号線で行きは5時間、帰りは5号と山道の21号、そして1号を使い3時間半、往復で660Kmの走行で、問題なく順調でした。
有機農業指導の、同郷のNJさんと話し、以前一緒にボートチャーターして海釣りに行き、まったくダメだったJOCV・WTさんが任期延長していて会えたのも、出かけた甲斐がありました。

海岸ではのんびり、借りた椅子に寝そべって、ビールを飲み、クラブサンドィッチなどをつまみ、グダグダと過ごし、少しだけ泳いでシュノーケルで魚の群れを見ました。
入り江に囲まれた静かな海で、バナナボート、グラスボート、シュノーケルツアー、釣り船などのアクティビティのあるところで、古くから娼婦の多いと言われている、歩いて回れる小さな街がありました。

グリグリ・ラグーンがあるリオ・サンフアンで小船でマングローブ水路を抜けて、洞窟のツバメの巣をのぞき、また風があって若者が多いというカバレテへも、車で出かけました。
名物というイセエビなどのマリスコス料理も、奮発しました。

連れ合いは今月下旬に帰国予定です。
しばらくはない(であろう)熱帯の海を楽しんでいてくれたようで、よかったと思っています。




コンセプシオン砦=ラ・ベガ・ビエハ

2006-01-08 07:41:22 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
コロンブスが、1943年9月25日にスペインのカディスを出航した第2回航海で、エスパニョーラ島のイサベラへ到着し、新大陸初の居留地の建設を始めたのは、前にも述べましたが、1494年12月でした。
熱帯病や反乱などを抱えながら、金を求める内陸への探検が始まります。

ポルトガルと同じ大きさと報告しベガ・レアル(王の平原)と名づけた中央盆地を、大弓の射手・火縄銃手・鎧を着た騎馬武者・大工・石工などとともに、道を広げながら、進んで行きました。
まずサント・トマス(現地名はフォルタレサ)に宿駅を作り、そしてマグダレーナ砦(現地名はマコリクス・デ・アバーホ)、サンクタ・カテリーナ砦(現地名のサンチャゴ近く)、エスペランサ砦(ヤキー川シバオ側)などが作られました。

そして当時グアリオネクス領地内であった、リオ(川)・ベルデ沿いの小高い丘にコンセプシオン砦を1495年に建設し、入植を行いました。
ラス・カサスは、「イサベラ砦に次に良い砦」と述べています。
写真には、左奥に銃眼胸壁を持った土とレンガでできた丸形の砦、中央に教会跡があります。
それを囲んで郷士たちの住居跡、石を刻んだ排水溝などもありました。

そして1562年、大地震に襲われ、そののち南側約6Kmにある現在のラ・ベガ(人口20万)に移転していったのでした。
現在はラ・ベガ・ビエハ(古いラ・ベガ)と呼ばれています。
約67年間の兵どもが過ごした、夢のあとです・・・

親切なおじいさん解説員が、質素だけど埃ひとつない、発掘品が収められた小さなムゼオ(博物館)の鍵を開けて、説明してくれました。
(21号沿いに、ラ・ベガからモカにむかい約6Kmでサント・セーロの教会入り口、それをさらに北へ約2Km進み、道路の左側へ入る、わかりにくい場所。入場料一人20ペソ、気分が良かったのでチップは50ペソにしました!)


アンパンや ひとつ廃業

2005-12-29 07:18:40 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
甘いものも大好きです。
時々、アン味が食べたくなります。
東京では、上野にあるアンミツヤのファンです。
でも血糖値は大丈夫です・・・

サントドミンゴには、アビチュエラ豆で作ったアンパンを売る店が、台湾人の経営で2軒ありました。
近くて、安いほうのリンコルン通りの店に今日行ったら、女性用の服装店に変わっていて、聞くと、パン屋は止めたと言うのでした・・・!
ここの食パン=パン・ブランコも、モチモチとしていて、大好きだったのに・・・

あと3ヶ月で任期終了とは言え、ちょっと淋しい・・・
娘さんが服装店を経営するとして、あの愛想のよかった、バイク好きの店主のおじいさんはどうするんだろう・・・?



ワインバトル

2005-12-27 03:43:22 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
チリ産赤ワイン4種をまずひとつづつ飲み、のちに別容器に入った4種を飲み、どれがどれかを当てるゲームを、週末テニスの仲間たちとしました。

日本茶では、闘茶「南北朝・室町時代、茶会で本茶(山城国栂尾産と、のちには宇治茶も)・非茶などを判別し、茶の優劣を競った遊戯(広辞苑)」というのがありますが、そのワイン版です。

6人で行い、ワインに凝っている人と稲作の専門家との2人が完全に当て、2つと1つを当てたのが1人づつ、全くはずれが2人でした。
ちなみにぼくは、完全にハズレでした。

口に残る繊細な渋さや甘さの区別、香り、ワイングラスにつく模様、色などを、感じ取る必要があるのだと、わかりました。
それと反省点は、次のワインに移るときに、グラスを水で洗う人は、水分を完全に取ることが大事、ということも・・・

もし次の機会があったら、絶対、ガンバリます!

ポルトガルX'mas

2005-12-26 02:29:27 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
連日の食事会が続いています・・・

23日は、中央省庁で品質管理を専門とするSV宅で、3家族6人のロシアン・チキン(?)を中心に、楽しみました。

昨日のイブは、ポルトガルX'mas料理を本国人の調理で、3家族と単身赴任者2人の8人で、時も忘れて過ごしました。
何回か訪れた部屋ですが、特別にキリスト生誕の人形や、かわいいツリーなどが飾ってあって、目新しく感じました。ぼくは気持ち的には、日本人のお正月の飾りつけに近いのかなと、思ったりしました。

写真は、その料理です。
1番手前は、ヤギ肉の煮込みです。サラダをはさんで、タラとジャガイモ・たまねぎのパイです。その奥に、カモ肉とご飯があります。
写真にはありませんが、抹茶ケーキと、種子島出身の旦那さんが自宅で挽いているというコーヒーが、シメでした。

日本では今日でもいろんな名前をつけて、宴会ですね。
ここでは家族でよびあって、手作り食事会が多いです。

3日目の今晩は、夕方のテニスの後に、テニス仲間が1軒に集まって、ワインを中心にした集まりをします

ドミニカ共和国のX'mas (2)

2005-12-23 01:47:03 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
今朝は、暗い7時前から、アパートが面している小さな通りが騒がしく、
そのうちに人の長い行列ができ、交通警察官も出てきて整理し始めました。

教育省の分庁舎で、食品セットをX'masプレゼントとして配っていることがわかりました。
ブラジル・レシフェにいたときには、スーパーに特別に安価な食品セット(油・米・小麦粉・缶詰など)が用意されているのを見て、お金を多く持たない人々への配慮を感じました。

貧困問題の根本的な解決にはなっていない、などとは今は言わずに、カトリックの博愛をよしとしましょう・・・
まあ、不満の爆発を防いでいるとも言えますが・・・

ドミニカ共和国首都のX'mas

2005-12-22 07:13:41 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
もう数日になりました。
市内の道路は、いたるところが大混雑です。
市民たちは、スーパーでの買い物に長蛇の行列を作っています。
お金持ちは、リゾートホテルへ出かけているようで、もう予約は取れないと聞きました。

大きい通りには、日本で言えば運動会テント?を張った、臨時の店が目に付きます。
なんだろうと思っていたら、花火を売っているのでした。

この国のナビダーは、あちこちで「打ち上げ花火」が数発、続けて上がります。
それと、七面鳥ではなく、「子豚の丸焼き」を出します。
街の飾りつけは東京に負けるけど、個人の住宅の軒先やベランダの電飾飾りつけは、手作りの心温かさを感じます。

ちなみに学校は、12月17日(土)から1月9日(月)までお休みです。
医療機関は、カレンダーどおりにしか休まないところもあります。

新しい手帳に、情報を書き写していると、新年を迎える気分になってきました・・・

忘年会?

2005-12-17 21:25:57 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
昨晩は、大人数の忘年会の誘いにはのらず、7人の小さな忘年会に参加しました。
2つのカップルと、3人の男です。

目をつけていたキューバ料理店 Bar Habana で、ダイキリ、キューバリブレ、セルベッサ(ビール)などをたしなみ、おいしい肉をつまみ、米料理で〆ました。

この国自慢のダンス音楽の元気なメレンゲやバチャータではない、弾き語りライブのラテン音楽は、哀愁のある知っている曲もあって、とてもおしゃれでした。
ラテンといっても、音楽はさまざまです。
ちなみに会費は500ペソ、約2000円です。

ここに集まった人たちの年末年始は、特に予定がないようでした。
ぼくを含めた学校に配属されたボランティアたちは、きょうから3週間の長い Navidad (X'mas) Vacaciones に入るんですが・・・

イブは、ポルトガル婦人宅に招待されています。
どんな料理がでるのでしょうか・・・?
ワインを持って出かけようと思っています。

テレビが好き

2005-12-15 23:01:43 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
1999年頃から、NHKテレビがほぼ全地球上で見れるようになっています。
例外は、アフリカ西端にあるセネガルのようですが・・・

ここでは、アメリカのTV JAPANに加入する方法です。
この地のケーブルテレビは99チャンネルありますが、そこには入っていず、独自にパラボラアンテナを屋上に立て、業者を介して契約します。

年末の予定を見ると、26日午後11時15分から5夜連続で「ハルとナツ」ーブラジル移民の物語ですねー、そして「紅白」はここの時間で31日午前9時半からです。
編集されているものと、liveのものがあることがお分かりでしょう。

盛大なX'mas、でも犯罪は増えない

2005-12-10 00:36:18 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
週末の今日、金曜日は、職場を休みにしての職員X'mas
10時から夕方までの長時間。

街の家々のベランダや、ビルにも、イルミネーションが光り、通りには大きな飾り付けがあります。
新聞には、セールの広告が、たくさん・・・
車の交通量が増えています。

先日の安全研修のときの地元警察の話では、12月に犯罪が増えないのは、つかまったときにX'masを家族と迎えられなくなるという心配が、泥棒の側にあるからだろうと説明していました。
でも、この時期の出費と借金のせいで、1月には増えるそうです。

熱帯の「冬」

2005-12-08 09:34:32 | ドミニカ共和国での生活・コロンブス
ウラカン(ハリケーン)のシーズンが終わって、11月中旬頃から、朝晩は20℃くらいまで下がるようになってきました。
日中の風も、南風(海風)から北風(陸風)に、変わってきました。
夏時間冬時間の調整のない国ですが、今は、日の出は7時頃、日没が6時頃です。
昼の気温も、5℃くらい下がって、29℃程度です。
雨は、たまに通り雨がある程度に、減りました。

それで、職場ではカゼがはやっています。
ぼくも、朝晩の涼しい頃にはパジャマを着るようになり、仕事には半袖ではなく長袖のシャツで行き、しかもじっとしている会議用には、薄い上着か、ジャンパーを持つようにしています。
日曜夕方のテニスも、5時から7時だったのが、4時から6時に変更になり、終わる頃にはナイター照明が灯るようになっています。

ただ、昼に外を歩けば、汗がドッとでてくるのは、1年中同じです。