高谷好一 2010 「世界単位論」京都大学学術出版会 270pp 1800円
6月10日に出版されたばかりの、ホヤホヤの本だ。
乗換駅の岩波書店の書棚で出会った。
地球的な大きなパースペクティブが気持ちいい。
著者は1990年代に既に基本的な枠組みは発表していたらしい。
「世界単位」とは、「同じような考えを持つ人たちがいっしょに住む社会、同じような価値観を共有する人たちが住みあう社会・・・こういう地域的なまとまり」のことで、著者の造語だ。
「かつて・・・地球は、そうした世界単位群の共存的集合体だった。」
「ところが、近代に入ると・・・植民地主義者が・・・奪い合い、勝手に再分割してしまった。」
「分割線が、生態的にも、歴史的にも、また土地の人たちの考えとも全く関係のないものだった・・・国境線の引き直しを含めて、境界のあり方を考え直して見なければならない。」
「本来、地球は多様な社会から成り立っているべきなのだが、たった一つの方向に引っ張られていこうとしている。」という認識である。
第1章では、「多様な自然と世界単位群」として、12の世界単位についてアジアを中心に述べている。
「森の広がり」として、焼畑、ジャワ・バリ、山間盆地、タイデルタを述べ、
「裁くと草原の広がり」として、一続きの砂漠、ペルシャ世界、モンゴル世界、
「野の広がり」として、中華世界、インド世界、
「海の広がり」として、インド洋世界、東南アジアの海域世界、海中国世界について述べている。
和辻の風土論を想起していたけど、似て非なるものだ。
ただ、クメールのインドシナ半島支配は全く触れられていない。インドネシアから広がる巨石文化にも触れられていない。
著者は1936年生まれのもともとは洪積層という地層を研究する、理学部出身者だという。
旧探検派にシンパシーを持ち、地域研究に進み、地域間研究へと進み、そして地理的な単位としての世界単位論を概念化して、世界研究へと展開してきたという経過の説明がコラムにあった。
第2章では、世界単位の3類型について述べている。
「そこの生態に依拠して出現し、その生態が今もなお色濃く残っているような世界を、生態型の世界単位」とし、「森」で述べた地域を挙げている。
「人々が、港という点と航路という線の上を移動しながら生きている」「ネットワーク型」として、インド洋、モンゴルやイスラム商人の交易世界、東南アジアの産出地と海外取引の世界を挙げている。
そして「コスモロジー型」として、インド世界と中華世界を挙げる。「一つの大きな思想が、いくつもの生態・生業区を抱え込み・・・しかもその求まった世界が相当長期にわたって存続してきた」という根拠である。
第3章では、近代の植民地主義による地域分割について、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、ラテンアメリカ、アフリカを概括する。
第4章は最終章で、日本の役割を述べ、50年後の世界を夢想している。
日本については、縄文時代から説き起こして、「床のある家に住み、米の飯を食い、八百万の神を信じ、まれびとを受け入れるという、今の私たちの基本的な体質が出来上がった」という。「森の木々も仲間、動物たちも一緒といった一元的世界観」や「遠い海の向こうから来るものを神として受け入れる」という縄文期があるからとする。
そして、「地域の個性こそが宝」「原住民が主人」という2点が「人類と地球の存続のためには基本的に大事」と締めくくる。
これは、いわゆるグランドセオリーだ。
歴史も、経済も、生態も、人々の様子まで含んで論を進めるわけだから、多少はムリがある。
だから、著者が論及している地域について、ここは「短かい旅だった」などと述べるとき、もし、そうした地域にもっと長く、またもっと多様な地域での滞在と調査経験があれば、さらに重厚な論考が生まれたかもしれないと思える局面は幾多ある。
そうした部分があったとしても、筆者の独創性には敬服する。
今西学派、ここにありと思う。
パイオニアワークという言葉を懐かしく想い出した・・・
6月10日に出版されたばかりの、ホヤホヤの本だ。
乗換駅の岩波書店の書棚で出会った。
地球的な大きなパースペクティブが気持ちいい。
著者は1990年代に既に基本的な枠組みは発表していたらしい。
「世界単位」とは、「同じような考えを持つ人たちがいっしょに住む社会、同じような価値観を共有する人たちが住みあう社会・・・こういう地域的なまとまり」のことで、著者の造語だ。
「かつて・・・地球は、そうした世界単位群の共存的集合体だった。」
「ところが、近代に入ると・・・植民地主義者が・・・奪い合い、勝手に再分割してしまった。」
「分割線が、生態的にも、歴史的にも、また土地の人たちの考えとも全く関係のないものだった・・・国境線の引き直しを含めて、境界のあり方を考え直して見なければならない。」
「本来、地球は多様な社会から成り立っているべきなのだが、たった一つの方向に引っ張られていこうとしている。」という認識である。
第1章では、「多様な自然と世界単位群」として、12の世界単位についてアジアを中心に述べている。
「森の広がり」として、焼畑、ジャワ・バリ、山間盆地、タイデルタを述べ、
「裁くと草原の広がり」として、一続きの砂漠、ペルシャ世界、モンゴル世界、
「野の広がり」として、中華世界、インド世界、
「海の広がり」として、インド洋世界、東南アジアの海域世界、海中国世界について述べている。
和辻の風土論を想起していたけど、似て非なるものだ。
ただ、クメールのインドシナ半島支配は全く触れられていない。インドネシアから広がる巨石文化にも触れられていない。
著者は1936年生まれのもともとは洪積層という地層を研究する、理学部出身者だという。
旧探検派にシンパシーを持ち、地域研究に進み、地域間研究へと進み、そして地理的な単位としての世界単位論を概念化して、世界研究へと展開してきたという経過の説明がコラムにあった。
第2章では、世界単位の3類型について述べている。
「そこの生態に依拠して出現し、その生態が今もなお色濃く残っているような世界を、生態型の世界単位」とし、「森」で述べた地域を挙げている。
「人々が、港という点と航路という線の上を移動しながら生きている」「ネットワーク型」として、インド洋、モンゴルやイスラム商人の交易世界、東南アジアの産出地と海外取引の世界を挙げている。
そして「コスモロジー型」として、インド世界と中華世界を挙げる。「一つの大きな思想が、いくつもの生態・生業区を抱え込み・・・しかもその求まった世界が相当長期にわたって存続してきた」という根拠である。
第3章では、近代の植民地主義による地域分割について、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、ラテンアメリカ、アフリカを概括する。
第4章は最終章で、日本の役割を述べ、50年後の世界を夢想している。
日本については、縄文時代から説き起こして、「床のある家に住み、米の飯を食い、八百万の神を信じ、まれびとを受け入れるという、今の私たちの基本的な体質が出来上がった」という。「森の木々も仲間、動物たちも一緒といった一元的世界観」や「遠い海の向こうから来るものを神として受け入れる」という縄文期があるからとする。
そして、「地域の個性こそが宝」「原住民が主人」という2点が「人類と地球の存続のためには基本的に大事」と締めくくる。
これは、いわゆるグランドセオリーだ。
歴史も、経済も、生態も、人々の様子まで含んで論を進めるわけだから、多少はムリがある。
だから、著者が論及している地域について、ここは「短かい旅だった」などと述べるとき、もし、そうした地域にもっと長く、またもっと多様な地域での滞在と調査経験があれば、さらに重厚な論考が生まれたかもしれないと思える局面は幾多ある。
そうした部分があったとしても、筆者の独創性には敬服する。
今西学派、ここにありと思う。
パイオニアワークという言葉を懐かしく想い出した・・・