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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

高谷好一  「世界単位論」 京都大学学術出版会

2010-06-15 17:02:51 | 
高谷好一 2010 「世界単位論」京都大学学術出版会 270pp 1800円

6月10日に出版されたばかりの、ホヤホヤの本だ。
乗換駅の岩波書店の書棚で出会った。

地球的な大きなパースペクティブが気持ちいい。
著者は1990年代に既に基本的な枠組みは発表していたらしい。

「世界単位」とは、「同じような考えを持つ人たちがいっしょに住む社会、同じような価値観を共有する人たちが住みあう社会・・・こういう地域的なまとまり」のことで、著者の造語だ。
「かつて・・・地球は、そうした世界単位群の共存的集合体だった。」
「ところが、近代に入ると・・・植民地主義者が・・・奪い合い、勝手に再分割してしまった。」
「分割線が、生態的にも、歴史的にも、また土地の人たちの考えとも全く関係のないものだった・・・国境線の引き直しを含めて、境界のあり方を考え直して見なければならない。」
「本来、地球は多様な社会から成り立っているべきなのだが、たった一つの方向に引っ張られていこうとしている。」という認識である。

第1章では、「多様な自然と世界単位群」として、12の世界単位についてアジアを中心に述べている。
「森の広がり」として、焼畑、ジャワ・バリ、山間盆地、タイデルタを述べ、
「裁くと草原の広がり」として、一続きの砂漠、ペルシャ世界、モンゴル世界、
「野の広がり」として、中華世界、インド世界、
「海の広がり」として、インド洋世界、東南アジアの海域世界、海中国世界について述べている。

和辻の風土論を想起していたけど、似て非なるものだ。
ただ、クメールのインドシナ半島支配は全く触れられていない。インドネシアから広がる巨石文化にも触れられていない。

著者は1936年生まれのもともとは洪積層という地層を研究する、理学部出身者だという。
旧探検派にシンパシーを持ち、地域研究に進み、地域間研究へと進み、そして地理的な単位としての世界単位論を概念化して、世界研究へと展開してきたという経過の説明がコラムにあった。

第2章では、世界単位の3類型について述べている。
「そこの生態に依拠して出現し、その生態が今もなお色濃く残っているような世界を、生態型の世界単位」とし、「森」で述べた地域を挙げている。
「人々が、港という点と航路という線の上を移動しながら生きている」「ネットワーク型」として、インド洋、モンゴルやイスラム商人の交易世界、東南アジアの産出地と海外取引の世界を挙げている。
そして「コスモロジー型」として、インド世界と中華世界を挙げる。「一つの大きな思想が、いくつもの生態・生業区を抱え込み・・・しかもその求まった世界が相当長期にわたって存続してきた」という根拠である。

第3章では、近代の植民地主義による地域分割について、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、ラテンアメリカ、アフリカを概括する。

第4章は最終章で、日本の役割を述べ、50年後の世界を夢想している。
日本については、縄文時代から説き起こして、「床のある家に住み、米の飯を食い、八百万の神を信じ、まれびとを受け入れるという、今の私たちの基本的な体質が出来上がった」という。「森の木々も仲間、動物たちも一緒といった一元的世界観」や「遠い海の向こうから来るものを神として受け入れる」という縄文期があるからとする。
そして、「地域の個性こそが宝」「原住民が主人」という2点が「人類と地球の存続のためには基本的に大事」と締めくくる。

これは、いわゆるグランドセオリーだ。
歴史も、経済も、生態も、人々の様子まで含んで論を進めるわけだから、多少はムリがある。
だから、著者が論及している地域について、ここは「短かい旅だった」などと述べるとき、もし、そうした地域にもっと長く、またもっと多様な地域での滞在と調査経験があれば、さらに重厚な論考が生まれたかもしれないと思える局面は幾多ある。
そうした部分があったとしても、筆者の独創性には敬服する。
今西学派、ここにありと思う。

パイオニアワークという言葉を懐かしく想い出した・・・


Trekking in the Nepal Himalaya, Lonely Planet

2010-02-17 10:38:52 | 
Trekking in the Nepal Himalaya, 9th ed. Lonely planet, 2009

ロンリィ・プラネットのネパールトレッキングガイドの最新版。

・アンナプルナ街道では、ベニからジョムソムまでバスないしジープとあるし、
・アンナプルナサーキットでも、ブルブレかシャンゲまでのクルマ利用が言及されている。中国支援による道路建設は進み、トレッキング地図を塗り替えている。
・シミコットからヒルサ-シェー間のチベット国境越えカイラス行きトレッキングについては、ネパール側と中国側の信頼できるエージェントを通じてVISAなど国境越えを手配するよう記載してある。一人越えはまだ難しいのかな?道路は、ネパール側のどこまでできているという記載はない。
・ネパール最高所にあって到達困難なポクスンド湖については、ドウナイから3日だけど、ジュムラードウナイ6日とかベニードウナイ12日というアプローチも捨てがたい。後者は河口慧海のルートを掠めるし・・・
・コングマ峠5535m、カラパタール5545m、チョ峠5420m、ゴーキョ5360m、レンジョ峠5345mの3峠コース20日間も魅力的。
などなど、飽きないガイドブック。

連れ合いがまたネパール駐在2年と決まった。
ぼくは今回は2年目に入ったばかりの相談室とデイケア、そして講義などがあるので、日本をベースにしてときどきトレッキングなどを楽しみに行くということかな・・・
バルディアあたりのカルナリ河の釣りも、12日間ラフティングもいいらしいし。

「人権白書Tokyo-被差別者から見た東京の差別と人権」

2010-02-16 10:04:02 | 
人権白書Tokyo作成実行委員会2009「人権白書Tokyo-被差別者から見た東京の差別と人権」

知らなかった・・・
分断ではなくて、こうして輪が広がっている。
人権を声高に叫ぶ大連合。

アイヌ民族、外国籍住民、婚外子、在日コリアン、障害者、精神障害者、女性、性同一性障害、同性愛者、ハンセン病、、野宿労働者、などがここにある。

開放同盟が音頭取りみたい。

********************

平らに生きたい、ともに生きたい、本当に相手に役立てることを探求したい、地球的な視野を持ちたい、そして楽しくやりたい・・・ぼくはそう思っている。

昨晩はBSで映画「ガンジー」。
その清貧で裏表のない生き方には心から敬服する。
カトマンズで、ガンジーの弟子でバグマティの河原に住んだという人の友人と会ったことがある。
ゴルカなどの村落開発をしている現地NGOの代表で、人望のある、破れたブレザーを着ている小柄な老人だった。

けど、権利獲得の方法として非暴力を絶対化するのは問題化解決としては正しい戦術なのだろうか?

心の中に、怒りはなかったのだろうか?
ガンジーは相手の否定を言葉によっては行っている・・・

内的行動と外的行動の関係・・・難しい・・・

たとえば性欲の抑圧というのは、ガンジーも行い、
宗教者に多く見られる生き方ー禁を破った人もしばしば。

欲望に素直に依拠すること、
欲望を論理や倫理で統制すること。
イスラム教も仏教(日本では哲学みたいになったけど)も、自己統制が教義に見える。

片雲には誘われてしまうほうなんだけど、ぼくは。
せいぜい本質を見つめようとする自分でありたい・・・プロセスを大切にして。

人権を考えることは深い思索につながっていく。

田嶌誠一2009「現実に介入しつつ心に関わる-多面的援助アプローチと臨床の知恵」

2010-02-08 09:54:32 | 
田嶌誠一2009「現実に介入しつつ心に関わる-多面的援助アプローチと臨床の知恵」金剛出版

 途上国駐在から帰国して2年。カウンセリングルームをオープンして1年が経過。
 日本社会への復帰過程をいまだ意識しているので、心理臨床関係の近刊をネットで調べたり書店に出かけたりして一部は購入して関心を持って読んでいる。概説書が多いとか、認知療法などマニュアル的な技法本がずいぶん出ていて深みに欠けると思っていて、それは臨床心理士志向の大学院生増大バブルが背景だろうと考えている。
 この本の帯には「密室カウンセリングはどこへ行く-心理援助の基本は、クライエントの希望を引き出し、応援することである。」とある。全く共感して手に取った。

 初学者には当面は現実的な業務課題にならない「密室カウンセリング」を想定した本の多さは、心理臨床バブルを誘導してきた河合御大の功罪のマイナス面だろうと考えてきた。20代や30代の社会経験の浅い若いカウンセラーが相手できるのは限られていて、費用負担がない構造で、しかも同世代のクライエントを徒手空拳で相手するのが精一杯だからだ。さらにそうした近刊書の著者を見ると、実は心理臨床の現場経験が限定された人々が中心であることにも気づく。

 この本は「ベテランセラピスト」の手になるものだ。臨床場面のリアリティが共有できる。フィールドとしては大学学生相談とスクールカウンセラーの事例がほとんどだけど。
 こうして、「面接室内でのカウンセリング(心理療法)だけでなく、クライエントをとりまく生活空間全体に注目して、ネットワーキングと居場所づくり、家庭訪問などの非密室的カウンセリングを駆使し、その人に合った幅広い援助を行おうとする」姿勢は、心理の国家資格化に向かう今、その業務範囲についてわかりやすいまとめになっていると感じた。そしてさすが大学人で、論理的な整理に向かっている。
 心理臨床家が貢献できる範囲は心理テスト場面や面接室だけではなく、現実生活空間を含めてもっと広いというのがぼくの実感だ。わが意を得たりの感あり。著者と何かの機会に出会って話し合うことができたらと思った。

 有料開業型心理臨床でもこのアプローチはクライエントの現実生活的な重荷を軽減させ心的な課題を展開させていくためには基本姿勢と感じていて、ぼくはクライエントの生活空間全体を視野に入れてクライエントの想いを引き出しながら密室心理面接を実践しているけど・・・

「改訂 世界の精神保健医療―現状理解と今後の展望」へるす出版

2009-12-25 00:58:19 | 
新福尚隆 浅井邦彦 編集、「改訂 世界の精神保健医療―現状理解と今後の展望」、へるす出版
が、X‘masの日に出版されます(3200円+税)。
著者献本が1週前に届きました。

カンボジア pp.112-119 とネパールpp.164-173 を分担執筆しました。
関心ある方はどうぞ。
図書館に購入を申し込んでくれてもうれしいかも。

13年間の開発途上国精神保健支援経験を日本の関係の人々に伝える作業の一つのつもりです。

またまた途上国で働きたくなってきている・・・

「中央アジア・ロシア・東ヨーロッパ・アラブ」の精神保健をやっている日本の専門家はいないんだって。
「中米・カリブ・大洋州」もいないみたいだけど・・・

「夢丸」と「エンプレス」

2009-12-23 09:54:55 | 
澤茂夫2006「定年後にヨットで出発 夫婦で世界一周 夢丸物語」出版

1943年生まれの著者が55才で出発したヨットで周る5年半、8万Kmの世界一周旅行。
沼津の古宇港から出発し、小笠原・ポナペ・コスラエ・バヌアツ・ニューカレドニア・ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカ・カーボベルテ・ポルトガル・ジブラルタル・スペイン・フランス・イタリア・ギリシア・マルティニク・グレナダ・ボナイエ・パナマ・マルケサス・バヌアツ・沼津などという航路。
著者は、クルマのボディパーツの生産技術者で、クルマの改造やスキューバ・ウインドサーフィンなどの趣味を経て、28フィート「フェリシア」ヨットの6人の共同オーナーになったのが44才のとき。そこで操船や航海技術を身に付ける。その後、41フィートのクルーザー中古艇を1200万で購入し、夢丸 Mi Esperanza と名づけ、退職して外洋航海の準備に入った。
1999年当時の環境の下で公衆電話などを使ってWeb上に公開してきた約60回の日記をもとに、編集者が解説する形式の本。
「旅する毎日を楽しみ」そのために人生設計をした記録のように思えた。

++++++++++++++++++

崎山克彦2002「南十字星に進路をとって-ヨットで巡る何もなくて豊かな島々」新潮文庫
1999年の「南太平洋の旅」新潮社の改題。

1991年から暮らしているという「何もなくて豊かな島-南海の小島カオハガンに暮らす」の、元出版社勤務の崎山さんが著者。
フィリピンからカリフォルニアに南太平洋航路を廻航する72フィートのヨット「エンプレス」のクルーの一人となって、60才の著者がパラオ・パプアニューギニア・ソロモン・バヌアツ・フィージー・サモア・ハワイなどを経由していく8ヵ月半-予定は3ヵ月半だった-の航海記。
「自由で個性的な生き方をしている魅力的な人間」たちは魅力的。

「土地や家や財産を持つことにこだわら」ない生き方には賛成!なんだけど、
とは言っても月4~9万円という、通知されたこれからの年金月額を考慮すると、
わが日本では住居を所有していないと年金だけでは生きていけないというのも現実認識。

+++++++++++++

ヨットがいいと、ズッーと思っている・・・
自分のお金で最初に買った単行本が堀江謙一「太平洋ひとりぼっち」だったナ。

前川實2009「決戦!八王子城」揺籃社

2009-07-08 09:55:29 | 
前川實2009「決戦!八王子城」揺籃社

「八王子城の謎を探る会」を主宰する歴史研究家の地元の出版社からの5冊目の著書。全88ページのブックレットです。

「茶道太閤記」「小田原記」「北条氏照軍記」「武徳編年集成」「慶安古図」という古い記録と、それらの解説本、そして新たに国立天文台暦計算室での調査資料などを駆使して、豊臣勢が北条勢が守る八王子城を落とした経過を、時刻と場所を追って、地図で示しながら記載していて興味が尽きませんでした。

天正18年6月23日とは、グレゴリオ暦の1590年7月23日なんだそうです。
前日22日22時48分の月の出を合図に、満月から5日後の下弦の月明かりに乗じて、3000人の守備隊に、6隊からなる50,000人が攻撃を掛け、18時間後の23日午後2時頃の決着までを推論していっています。
包囲して談合し無血開城するという戦術ではなく、討ち死約2500、負傷者6000という、死闘があったと伝えています。

ぼくの生まれた街からの兵も参加してたんだ・・・

八王子城は、今では北高尾山陵とも呼ばれている、高尾山との間に中央道を挟む北側稜線に在りました。
昨年夏に歩き、戦国時代の山城で、至るところに遺構があるのと、小さな祠のある狭い本丸跡が印象的でした。
それは「兵どもが夢の跡」を感じさせる山歩きでした。

この小本の地図を持って、また歩いてみたくなりました。

鬼頭宏 2007 「図説 人口で見る日本史」 PHP

2009-05-01 19:45:00 | 
鬼頭宏 2007 「図説 人口で見る日本史」 PHP
それによると;

*********
縄文時代;8100年B.P.2万人
     2900年B.P.7.6万人
弥生時代;1800年B.P.59.5万人
奈良時代;725年451万人
平安時代;800年551万人
安土桃山時代;1600年1227人
江戸時代前期;1721年3128万人
中期・後期 ;1750年3101万人、1804年3075万人
幕末・維新期;1822年3191万人、1846年3230万人
明治時代、前後;1873年3330万人、1900年4654万人
大正時代  ;1920年5596万人
昭和・戦後期;1950年8411万人
平成期   ;2005年12777万人
**************

資料に基づいて推計を進める手続きには知的に興奮。

今から1万年前から縄文期には、人口は2万から7万人で、平均寿命が15・6才と推定されているのは驚き!

弥生の人口増加要因は予想されるように水稲耕作、そして朝鮮半島からの大量の渡来人など。

人口停滞の要因は、戸籍登録のごまかし・本籍地からの浮浪・任地からの逃亡・伝染病などの疾病・渡来民の減少・気候の変化・中央集権という社会制度の変化・少子化・出産抑制・戦争・飢饉・移民・晩婚化・環境汚染と破壊、などを整理している。

アメリカ大陸での混血は約500年の歴史しかないが、
私たちはアジアで5000年もの混血のなかにいるというわけか・・・

*********
人類の「人口爆発」についてはビラバン1979の説を紹介していて、
・中期旧石器時代から後期旧石器時代への過渡期の紀元前3万7千年から3万5千年ころ、
石器製作技術の著しい進歩や狩猟の効率化による。
・新石器時代の紀元前8千年から5千年ころ、農業革命、定住、集落形成による。
・起源前800年から起源1年頃、
・800年から1200年まで、
・1700年から現在まで、産業革命を契機として。
*******

そして筆者は、先進諸国の21世紀の人口減少について
「文明の閉塞感が意識の根底にあってのことではないか」と思慮し、
「資源の有限性と地球環境の持続可能性は切羽詰っている」と述べ、
開発途上国の人口増加については、
「先進国は教育の改善の援助と同時に、その国の経済自立支援をしなければならない」と言う。

********

ぼくには、先進諸国の人々が、独善的なエネルギー消費を見直すーこのあたりは「不都合な真実」への気づきを初め、緒にはついているーなど、
つまり生活を簡素化していくことがまず一歩のように思える・・・

最近思うのは、エコ・ブームをエサにしている新たな無駄な消費の動き・・・

同時に国際経済システムを、開発途上国が自立に向かえるよう改編することが不可避・・・
これは、一部の人々から既得権を奪う革命的な事業なんだけど。

ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」上・下 草思社

2009-04-29 21:08:41 | 
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰訳2000「銃・病原菌・鉄」上・下 草思社
原書は1998年にいくつかの賞を受けているという。

著者は、分子生理学者であり、かつニューギニアを特にフィールドとする生物地理学・進化生物学の研究者らしい。

「人類の歴史は世界の異なる場所で異なる発展をとげてきた」事実に対して、
「歴史は・・・社会は、環境地理的および生物地理的な影響下-居住環境の差異-で発達する」ことを学際的に統合しながら謎解きをし、立証しようとしている。

「研磨加工を施し、刃先の長い石器を最初に作ったのは日本人だった」
「世界で最初に土器を発明したのも日本の狩猟採集民だった。それはヨーロッパで土器が見られるようになる5000年前、南北アメリカ大陸で見られるようになる9000年も前」
という記述は、足元についてのもので興味深い。

地名や歴史的事実を地図やネットなどで再確認しながら、
博学な著者から、ぼくはひさびさの知的な興奮を味わっています・・・



リン・ホワイト「機械と神」みすず

2009-04-12 22:22:55 | 
リン・ホワイト・ジュニア「機械と神」みすず1990

「キリスト教は自然物の感情を気にしないような仕方で自然を搾取出来るようにした」P.88
「聖フランチェスコは、彼が自然および自然と人間との関係についてのもう一つの別のキリスト教的見解を考えたもの(人間を含むすべての被造物の平等性)を提案した」P.95

中世農業技術史という分野を専攻するらしい著者は、キリスト教の歴史には詳しい反面、異文化や、開発途上国への視点や、宗教意識や行動の現在的な変容や、そして精神分析などには不十分な言及だと思います。
産業革命を挙げないのはどうして?

現在の生態学的危機をもたらした要因としてキリスト教に注目しているわけです。
神はアダムに自然の管理を任せた・・・そうでしたっけ?
そうであれば、当然、責任はある、ということになる。
ひとつの卓見でしょう。

しかし「その救済手段もまた本質的に宗教的でなければならない」P.96は違うのはないか・・・

ちなみにこの本が本国で出版されたのは1967年、
ヒッピームーブメントのさなかで、それへの言及もあります。

訳者あとがきによると、
R.デュボスは「目覚める理性、人間のための科学」1970のなかで、
「サンフランシスコのヒッピーは聖フランシスを自分たちの守護神とし、
ホワイトを預言者扱いしている」と、触れているのだそうです。

たった40年の間に、生態学的な危機は危機的な状況に進み、
学的な探求も広がってきた、と感慨深いです。

これから毎月1回、NPO法人APEXの「開発とNGO研究会」に集まった12人で、環境・エコロジーの古典を読んでいきます。
一人だと眠くなってしまう古典はこういう機会に読んで話し合うのがぼくにはいいと思います。

岡野憲一郎「自然流精神療法のすすめ」星和書店

2009-01-29 17:33:17 | 
岡野憲一郎「自然流精神療法のすすめ」星和書店

これは2003年の出版だけど、
月刊誌「プシコ」冬樹社への連載をもとにしているということです。

「精神療法は、心の自然な流れに従って進んでいくべきものであり、そこに難しい理論や規則は持ち込む必要はないだけではなく、ときに有害である」という、
「精神療法のスタイル」を名づけたものだと言います。

すぐれて現場臨床的、経験者的で、とくに会話例などは臨床経験的に納得の記述でした。
ぼくのこれからの相談室臨床を支えてくれる論考と感じています。

とりわけ、「通常なら見限るべき相手に手を差し伸べるという行為は・・・彼らにとっては、相手と別れ(られ)ないという前提がまずあって、そのために取るべき行動が決まってくるー前提の根拠は・・・無意識に眠っている」pp。104-105
は、きわめて卓見と感じました。

しかし・・・日本の臨床の現実で考えるときで、スーパーバイザーを維持するって、現実的ではないナと思いましたが・・・
事例研究会参加が精一杯ではないでしょうか、エクストラビジョンを得て、自分を見直すためには。

河合隼雄 2004 「父親の力 母親の力」 講談社+α 新書

2008-08-20 18:36:41 | 
河合隼雄 2004「父親の力 母親の力」講談社+α新書

今回、飛行機の中で読もうとカバンに入れてきた新書。
河合氏が、中堅・ベテラン臨床家の質問に答える形で、ページが進む。
自己開示が、そう胡散臭くなく感じられるのはこの人の人徳でしょう。

1991年?から旧厚生省の研究班や学会会場だった京大で、心理の国家資格を準備する会話を多少異なる立場性からしてきたのを想起しています。
もう心臨を一人でまとめられる人はいなくなったんだろうなあ・・・
ご冥福を祈ります・・・

以下、印象的な部分の抜書き;
******************
まえがき;
問題がないという家族はほんとうに少ない。
欧米の影響を受けて、日本人の価値観や家族観が急激に変化しつつある。
日本人の生活様式が変化したが、それに見合う生き方が考えられていない。
ヨーロッパ近代に生まれた個人主義は、キリスト教倫理観に裏付けられて、利己主義になることを避けることができた。
日本では、表面的な真似だけをして、ゆがんだ個人主義が生まれている。
急激にモノが豊かになった。
日本人の生き方や道徳観は、モノが少ないなかで生きていくことを前提に、あまり言葉によって伝えなくても、自然に身についていくという方法をとってきた。が、根本の前提が変わってきた。

1章 家族とは何なのか
時代の変遷とともに、家族がやってきたことが次第に離れていった。身の安全、福祉、など。個人を国とか公とかで守っていこうとするシステムが発達してきた。
かたちに流れて、お互いに生でぶつかり合ってやっていくという部分が薄れてきた。
むしろそういうのを避けるために、形のほうに懸命になる。
独立してから親に電話することはヨーロッパのほうが頻度が高い。
家族、信頼関係がもっとも大事な要素。
イエや家名は必要なく、家族という苦労を背負い込む必要はないと考えしり込みする人も出てくる。
「小説を書くのは苦楽しい」
家庭科で家族について学びたい

2章 親子・夫婦の不協和音
日本中が母性的に生きてきたのに、それぞれに自分のやりたいことをやろうという個性化の方向に変わってきた。
日本人は、男性のほうも母性を持っていますから、家庭のことをすべて女性にまかせてしまうということもなくなってくるでしょう。
クライエントの心の舞台で癒しの劇が起こる状態になっていたときに、父親役をする人や母親役をする人が登場してきたりすると、劇的な補修が行われて急速に治っていくことがあります。
人間というのは、自分で話すことによってイメージが確立されてくる。
死に物狂いになっていると、思いがけない可能性が出てくることがある。そこを引き出していくのが私たちの仕事。
意識していないつながりというものを、日本人は持っている。底のほうは冷えていない。
ヨーロッパの「社交術」
うまくいっている夫婦は、大なり小なり心の中で離婚・結婚を繰り返しているという一面もある。
新しい発見がなかったら、何事も続きません。

3章 父親のどこが問題?
本当に強い父親とは、子どもに対して、「世間がどうであれ、自分の道を歩め。お前のことが俺が守る」ということ。
しかし「世間の笑いものにならないように」などと、世間の代弁者になってしまっている。
いばるのではなく。
日本人の父性は、雨が降るまでずっと待っているという、いわば忍耐で、むしろ母性と呼んでもいい。
西欧の父性は「個人で生きる力のないものは死ね」、殺すか生かすかという生殺与奪の権力と、それを行使する判断力や勇気。
日本では肩書きで呼びあう。
人間のオスは種の保存だけではなく、文明―ピラミッド、政治、軍事、宮殿などーを作った。
日本は武士の時代から父権社会になっていく、母性原理社会を父権でやってきたというのが特徴。
父親がいなくても家族は動く時代だが、個人主義が強くなってくると、家のなかに父性原理が必要になってくる。父性の出番。
まずは、父親と母親が協力してやっていく。そして次第に父の役割をはっきりさせていく。
的確な判断力、強力な判断力、不要なものは切り捨てていく実行力。
家から一歩出たら農耕民族、帰ってきたら砂漠の遊牧民族。
父なるもの、「物分りのいい父親」ではなく、こうだと思うことは主張する。
そのかわり、責任を取る。
遊んだり喧嘩したりして、子供は大人になる練習をしてきた。
が、知識獲得にばかり進んだから、情緒的には子供という大人が増えている。
バブル崩壊後、会社が擬似家族ではなくなってきた。
父親が家庭に重きを置いてきたが、母親が2人という家庭もある。
「俺も俺も人生を生きている。お母さんはお母さんの人生を生きている。だから、おまえもお前の人生を歩め」がもっとも望ましい。
映画館、舞台芸術・・・人間の生き方を話し合う。

4章 母親の何が問題?
子供との健全なつながりは?
子供がピアノを弾けたらすごいが、40歳50歳になったら?
「そんなに苦労して早い時期に子供にあれこれやらせても、人間が幸福になるわけありませんよ」
女性が子供に対して大きな希望を抱いて、知的レベルを上げようとする意識が強い。
「努力すれば誰でも1番になれる」ことはない。
1番になる努力ではなく、幸せになる努力。
個性を見つける。
親の中年の危機と、子供の思春期の危機が重なる。
ボランティア
家族の中心に、「永遠の同伴者」を作れるか。
没頭、床上げ、夫の育児休暇、祖父母の役割、少子化

5章 子供にとっていい家庭とは
子供を守る「心理的な力」が弱っている。
昔の親、盗み、いじめ、歯止め、鎮守の森、ナイフ、
自然の心をどのようにして取り戻すか。
思春期にふさわしい、感情の揺さぶりを一家で体験しているか。
小遣い、個室、家族でご飯・・・
「本当は親はどう思っているのか」という想いから試す
「心の叫び」
私など、子供と会っているとき、あまり親に会わないことがある。
子ども自身は、親にこうしてほしいとはあまり意識していない、ほとんど無意識。
大家族のよいところ
今は、兄弟の葛藤が見えすぎる。
学校が家庭の機能まで持たされているのは、日本独特の現象。
上等な服は、子供にとって活動的で心地よいか。

6章 問題にどう対処するか
神話は根本資料を提供してくれる。
心理療法家というのは、ある個人のために、自分のすべてを投げ出すくらいの覚悟でことに出会っていかないと、クライエントは治っていきません。
クライエントに自宅の電話番号を教える、教えない。
一生懸命であることと依存とは違う。
私が言った一言を、1ヶ月も2ヶ月も経ってから、自分が独自に思いついたというクライエントもいました。
日本のセラピストは、父性原理が弱く、母性原理が強い傾向がある。
「あなたのためなら死にます」「ダメだから殺すぞ」
自分たちに夫婦関係はむちゃくちゃでも、他人の夫婦関係を上手に助けている人が現実にいる。
有名な分析家なのに、夫婦関係や親子関係は悪い、とか。
教育者や警察官の子供が非行少年とか。
家族問題に関して、絶対的に正しい方法はない。
人の人生の数だけ答えがある。
「旅行に出て、行く先のことがわからないときには、とても不安になる」ユング
自分を超越したものが存在すると考えることが宗教性、あるいは共同幻想。
老いてくると、死の受け入れという課題が出てくる。しかし、地獄極楽とは考えないだろう。
宗教の形骸化。
「誰が悪いかなどと考えるより、どうしたら解決の方法があるかを考えましょう」
「カウンセリングというのは、悪い人をよくしたりはできません。そんなことができるくらいなら、私がやってもらいたいくらいだ。だけど、嫁さんが悪いと悩んでいる人を助けることはできる」
こちらが最も来てほしいと思っている人が来所しないということはしばしばあります。
誰が一番たいへんかとか、誰が一番悪いかではなく、誰と協力できるのかと考えるほうがやりやすい。
問題・厄介ごと・ままならないことが起こったときは、このへんで家族が対話しないと、この家は危ないぞ、というサインだと考えたほうがいい。
解決すべき問題を大人に提出しているともいえる。
私たちはそれを今後の人生にどう生かすか、という観点から考える。
家族の面白みと、わずらわしい家族なんてやめよう・・・という動き。
頭で考えた合理性を追求していくと、人間は機械に近づいていって、面白さがなくなる。
人と人のつながり、環境問題、自然に帰れ・・・などに期待。
いかなる家族にも、意識するしないに関わらず文化がある。
「絆」ほだし、牛や馬を杭につなぐロープ。自由を拘束するの意。EX。「家族にほだされて」
*************              以上。


東野圭吾 「幻夜」 集英社文庫 2007

2008-08-19 13:57:52 | 
東野圭吾 「幻夜」 集英社文庫
前にも書いてるけど、小説はもちろん、ミステリーなどというものに手が伸びたことはかつてない・・・

カゼが少しよくなってきて、
退屈しのぎに読み出したら、786P.の終わりまで続いてしまった。

少しだけ関わった阪神淡路震災がことの起こりにあって、目くるめく展開が続いていく。
殺人・脅迫・隠蔽・射精の仕方・愛・信頼関係・零細企業・不景気・モデルガン・解雇・定食屋・大企業・宝石商・サリン・ストーカー・冤罪・警察組織・結婚・美・男・整形・企業展開・インターネット・改造拳銃・個人プレイ、などなど・・・
売れる本って、時代背景を抑えてるんだなあ・・・という実感。

この本もネパール人K氏の積み上げられた日本語の本の山から手にした1冊。
彼の読後感を今度会った時に聞きたい。1ヵ月半の期間、NGOのプロジェクト地の山村に住み込もうとしている日本人の通訳探しで大変のようだけど。

カンボジア滞在では古典に目を向けたけど、今度のネパール滞在では小説とミステリーへの開眼という予期せぬ結果。
新たな自分に直面している・・・ことは、うれしい。

「海辺のカフカ」 村上春樹、新潮文庫

2008-08-17 22:19:11 | 
何年ぶりだろうか、小説を読了。
冗長で不確かな文章にはなかなかついていけず、手を伸ばすことはまずない日々でした。

複数の物語が同時に進行し、
文章が短く、空想は大きく、ポピュラー音楽やクルマ、ファッションなどは、ぼくと同時代。
哲学からクラッシックなどの高尚さ、そして無学な設定の二人の会話やSex描写などで現実に引き戻す。
こんな世界の入り口なら、行ってみたいかな。
飽きないで、上下2巻を読了。

この本は、カトマンズからローカルバス約2時間で、1泊させてもらったネパール人K氏の村の部屋から借りてきたもの。
この人は、漢字を使えるネパール人だし、日本語の本も読んでる。
努力も続けてるし。
他者の書棚というのは、およそ、ぼくが本屋で手を伸ばさないものであることが多い。
これもそうで、ぼくは村上春樹は名前しか知らなかった。

日本に戻ったら、古本屋で村上春樹を覗いてみようかな・・・

清沢洋 2008 「ネパール 村人の暮らしと国際協力」 社会評論社

2008-07-07 23:08:09 | 
清沢洋2008「ネパール 村人の暮らしと国際協力」社会評論社

ネパール極西部の貧村に15年間関わり続けている著者が、ネパールの多民族文化・福祉政策・NGO・ODAなどについて、丹念に調べた資料を基に考察しています。

王政廃止となってはじめてのネパール紹介本かもしれません。

著者とカトマンズのNGO会議で会って、同郷と知り、驚きました。
あすは、連れ合いのネパール再赴任に際して、一緒に食事します。