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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

国際開発ジャーナル No.620 2008 7月号

2008-07-04 12:49:14 | 
「国際開発ジャーナル No.620 2008 7月号 pp54-55 
短期連載 援助関係者のための精神保健クリニック
最終回 途上国で意味ある活動をするために ー プロジェクト形成や運営時に気をつけること」

3回連載の最終回です。
1回目は、初めて異文化状況に出会った人々によく見られる「異文化直面時マニック」と「異文化直面時うつ」の不適応状態について説明しました。
2回目は、国際協力の現場経験が豊富な人で、長期間にわたって駐在している人々に特有の「空回り不適応」と「仮面適応」について書きました。
今回は、異文化で不適応にならない人たちの特性や、プロジェクト形成や運営時の効果的な工夫について述べました。

開発途上国で活動する援助関係者に見られる不適応の相談を現地で受けてきた立場から、不適応状態を新たに区分した試みを提案することによって、自己を対象化して把握するのに資したいと考えたからでした。
不適応への現地での対応策も挙げました。

さらに適応の度合いを規定するのは、個人差よりも配属される機関という状況要因によるというのが、先行研究の結果であり、またこの現場に関わってきた、ぼくの印象でもあるということも言いたかったのです。

言い換えれば、相手に役立つことを真剣に求めた、丁寧な支援プロジェクト創りが、駐在者のよい精神保健の基盤だということです。

永田農法、すごい!

2008-07-03 08:26:52 | 
たなかやすこ 2007「しっかり育つよ!ベランダ永田農法」集英社

「野菜のルーツを辿りながら」栽培する方法です、という理解でいいのかなあ・・・
たとえばトマトは、南米高地の原産だそうで、土も水も限定された中で育てる!

我が家のベランダのトマトは、土を使った通常のものと、日向土を少なく入れたものと2種類。
旅行で約1週間空けて戻った昨日、何事もなかったように元気なのは永田のほう。
土のほうはかわいそうなくらいに萎れてしまっていましたー給水で、なんとか息を吹き返していますが。

後は味だな・・・

小國和子2003 「村落開発支援は誰のためか」明石書店

2007-12-24 21:09:07 | 
小國和子2003 「村落開発支援は誰のためか-インドネシアの参加型開発協力に見る理論と実践」明石書店

著者は、1994年からの2年間と、1998年からの2年間に、次のプロジェクトに参加し、その後、2003年からはカンボジアの参加型開発・農民組織化プロジェクトにも派遣されていたといいます。
一方で、学部から文化人類学を専攻し、1991年には村落での参与観察を行い、実践と研究の2足のわらじを履いているのも著者の特徴で、この本は彼女の学位論文が基礎になっているということです。

インドネシア・スラウェシ島バル県で、1994年から2002年までの7年間に、農村の人々の生活向上を目指すプロジェクトが、家畜飼育・食用作物・野菜栽培・簡易水道・灌漑・市場調査などの分野のJOCV(青年海外協力隊)延べ30名によって展開されました。

著者は、「途上国開発の現状を受け止め、いかに改善していくかを論じる立場」と、「外発的な開発論全体を批判的な検討の対象として、対象社会の人々の立場から開発現象を捉える立場」の2つを考え、研究者としての後者の重要性に共感しつつも、「あえて、開発支援の現状を受け止めることから始めたい・・・今ここに存在する自らと周囲との関係を含めた分析枠組みを設定すべき」と答えます。

盛りだくさんな本です。論旨を補強する文献の引用も多彩です。

序章;参加や村落開発という概念。
 参加概念の変遷を、プロジェクトをスムースに運営するための手段としての参加、住民が参加のプロセスから何かを学んだり得たりすることを目的とする参加などの、オークレーらの支援する側の行う住民動員で促進するもの(1993年)、チェンバースの意思決定や計画への参加など、住民の主体性を重視したエンパワーメントを目的化していくもの(2000年)と整理しています。
 それが、1998年以降JICAが「日本国民参加型支援」といい、野田直人(2000年)は「住民が行う開発プロセスへの(外部支援者の)参加」といい、誰の参加かが焦点になっているとまとめています。
 そして一方で、「一方的なまなざしを廃し」ても、「住民の目線で考えることは・・・実践において矛盾に直面する」と断定し、「プロセスに焦点を当てること」が「最重要」といいます。

 村落開発という概念を、development、内発的発展論、開発(かいほつ)などを軸に考察し、「基本的に長い時間の流れ」の「一時期に、外部から加担する介入行為」が支援事業といいます。
 そして著者は、本書を「変化の圧力にさらされ続ける村落社会の現状を避けがたいものとして直視し、現状からの改善の一歩に結びつく実践的な開発支援研究のあり方を模索する」と結論付けます。

住民のエンパワーメントには、フリードマン(1996年)を引用して「社会のなかの個人、社会の自治能力の向上、環境に対する政治的な力の獲得」という3種を指摘しています。

1章;方法の提示。
 Norman Long が提唱する actor-oriented approach で、行為者主体アプローチとも翻訳され、「アクター(ローカルと外部者の双方)たちが、資源、意味、制度的な正当性やコントロールを巡る相互にからみあった争いに、どのように巻き込まれているかを明らかにするものの見方」で、「介入者対受益者の単純な二者関係に帰結させない」「社会構築主義的視点」だといいます。
 (ポストモダンですね・・・)
 そして彼女自身の方法として「開発支援プロセスのアクター・インターフェイス分析」として、表にすることを提唱します。

2章;インドネシアと活動地バルの紹介、そして青年海外協力隊(JOCV)の制度と個々人の参与的な観察と考察。
 歴史、文化、経済、政治的背景などについて、丹念に緻密に、情報を収集しています。
 興味深いのは、著者が経験した「青年海外協力隊員チーム派遣」について、「住民の生活に学び、住民との人間関係を基礎に、彼らのペースを大事にしていくことと、初期状況をデータ化し、5年の間に、外部の人間にとって目に見える成果を出すというプロジェクトサイクルとのずれ」に苦しんだと、まとめている点。
 JOCVの選考基準についての経験、柔軟性とやる気の重視、役に立ちたい志向、変化を起こしたい志向、善意にあふれる、「日本側の協力隊イメージを背景に派遣され、インドネシア側の中央政府が期待するエキスパートとして専門性を期待され、村落部では学生さんと受け取られながら人間関係を構築し活動を展開する」、などは興味深い経験談だと思います。

3章;事業の分析のから、JOCV隊員の学びと住民側の態度を検討している
 落花生優良品種とアカワケギの技術移転から相互作用重視へ動いた2農業隊員の例。
 ニーズを事業化した村落給水にも2人の隊員の介入者主導の参加型事業から自発性推進の努力への変化と、集落のリーダーの各戸別分担費用を鍵としたオーナーシップの確立経過が興味深い。
 灌漑においても、同じリーダー隊員から、住民の無償労働・資材拠出・委員会形成などが提案されたが、話し合いの結果、村側がお金を集めて労賃を捻出し責任を持ち隊員チームは関係しない、と変えられた。完成2年後に洪水に拠る損壊。また隊員が労賃を個人的に貸していたことが判明。村側代表格の交代など。村側はお金のかからない修理はしている。
 裁縫教室、ヤギ銀行とカシューナッツ加工による女性支援したが、それぞれ終了している。ジェンダーという課題。しかし、「隊員とのコミュニケーションが楽しかった」とか、「活動が円滑だったのは隊員と親密だったから」などという村の関係者の振り返ってみた意見をしることができた。

 JOCVにとっての学びは、「社会と協力隊と、技術のとらえ方の多様性で、多様性の実体験だった」
「支援者として自らが納得できるような支援行為の実現を求める姿勢があったのではないか」
「インターフェイス分析とは、アクターが、開発フィールドにおける自分の位置と、自分が何を期待し、また期待されているかを相互に確認するために有効な方法論だ」とまとめがあります。

4章;実践改善へのまとめ
結論;開発支援という社会的実践のプロセス、特に人的側面に関する考察方法がいっそう深められ、実践の改善へと結実していくことを期待。

本書は、JOCV隊員らが自己開示をした、参加型支援を求めた記録であり、既存研究を踏まえたうえで、その新たな分析方法の工夫が内容だったと思います。
3章の具体的な記述はとても参考になりました。
著者の新たな活躍を期待したいと思います。

WHO, The World Health Report 2001 Mental Health

2007-12-22 11:02:52 | 
WHO 2001, The World Health Report 2001 Mental Health : New Understanding , New Hope, WHO

WHOが、地球的な視点から発行している精神保健特集です。たぶん、このあとはまだ出ていない・・・

1章は、「精神保健への公衆衛生としての接近」というタイトルで、精神保健課題の理解の仕方を述べています。
2章は、「精神的また行動的な重荷」で、各種診断の紹介です。
3章は、「精神保健課題を解く」で、ケアや治療法について述べています。
4章は、「精神保健政策とサービス対策」で、政策の立て方、提供するサービス、精神保健の推進、他の分野との関連、研究の推進について述べています。
5章は、「前進する道程」で、効果的なサービス、推薦、現実のリソースからの活動について述べています。
ほか、文献表と統計です。

やはり、WHOならではの圧巻は、4章と5章です。
政策作りでは、保健システムと財政、政策作成過程、情報ベースを作る、社会的弱者の集団と特殊課題に焦点付けする、人権の尊重、法の制定に触れています。
サービスでは、巨大精神病院から離れたケア、地域精神保健活動を展開させる、精神保健サービスを地域保健活動に統合する、精神薬物の適応範囲を明確化する、セクションを超えたつながりを作る、戦略を選ぶ、購入と無料提供、そしてプライベイトの役割、人的資源の拡大に触れています。
精神保健の推進では、社会のアウエアネス、マスメディアの役割、変化を起こすために地域資源を使うことに触れています。
他のセクターとの関連づけでは、労働と雇用、商業と経済、教育、住宅、他の社会福祉サービス、司法に触れています。
研究では、疫学研究、治療と予防の結果研究、政策とサービスの研究、経済研究、途上国やクロスカルチュラルな研究に触れています。

5章の表「精神保健ケアを作り出すミニマムアクション」は、10項目のサービスの局面別に3段階の具体的な、とるべき行動を明らかにしています。
これから、各国の精神保健活動の現状をひとつの物差しの上で見ることができ、ぼくにはたいへん重宝です。

注目するのは、効果研究の結果紹介です;
うつへの介入効果について、3から8ヶ月後の寛解割合が、プラセボが27%、三環系うつ剤が48~52%、心理療法(認知療法と対人的)が48~60%としています。
ぼくの印象とは違って、心理療法が善戦!
統合失調症については、プラセボが55%、クロルプロマジンが20~25%、クロルプロマジン+家族介入が2~23%としています。
家族への介入ではなく、環境調整としたら、結果は変わってくるという確信が、ぼくにはあります。

途上国での直接的な精神保健活動から遠ざかること3年、こうして準備はしているけど、ナントモ、そういう仕事の募集がないんですね・・・

Hatha Yoga ; The Hidden Language

2007-12-22 00:01:26 | 
Swami Sivananda Radha, 2004, Hatha Yoga – The Hidden Language, Symbols, Secrets, and Metaphor, Jaico Publishing House, Munbai

初版は、序文の B.K.S.Iyengar の署名サインからすると1985年。版を重ねているようです。
175インドルピーで、約500円。

内容は、副題がそのものズバリ。ヨガの22ポーズが持つ、シンボルとしての意味、隠喩など、いわばウンチクをしています。
ヨガセッションでは、グルが、アサナ(ポーズ)を順に誘導していきますが、体の動かし方や、吸気と排気とともに説明するのが、ここで語られるポーズの意味するものです。

22のポーズは次です;<組み立て>山、頭倒立 headstand、肩立て shoulderstand、三角、座位での屈伸、背骨ひねり、<道具>鍬、弓、<植物>木、蓮、<魚類・爬虫類・昆虫>魚、コブラ、亀、さそり、<鳥類>鶏、孔雀、鷲、鶴、白鳥、<哺乳類>牛、ライオン、<死体>死体。

ヨギ見習いの、ぼくのお気に入りの「木」のポーズについては、たとえば次の15の文献から引用した説明があります。

Eliot, Alexander, 1976, Myths, McGrraw-Hillは、木の象徴的な意味を「世界の山の頂上に立つ、天国に届く、生きている軸として、世界の中心」といいます。
Gaskell, G.A. 1960, Dictionary of all Scriptures and Myths, Julian Pressからは、「人間、あるいは全ての次元の人類の象徴。神のイメージで創られた人間の、小さなレプリカ。神はこの世に生きる木であるから、人間にとっても同じ」。「王国の意。神が発展して形作られた、種が育ち、芽を出し、根を張り、幹をなし、枝を張り、葉をつけ、花を咲かせ、果実をなすように、宇宙のプロセスの典型。宇宙の源泉であり、その中心にいる創造主に拠って維持されている宇宙の現象の元型。」(このキリスト教的な理解はヨーガには合わない感じ)
Gubernatis, Angelo de., 1978, Zoological Mythology, Arno Pressでは、「ドラゴンに守られて、蜂蜜や不老長寿のクスリを実らせる、金のリンゴやイチジクの木についての伝説は、インド・ペルシア・ロシア・ポーランド・スウエーデン・ドイツ・ギリシア・イタリアなど、各国にある」(んだって・・・さてルーツはどこなんだろう?)
The Holy Bible, Psalms (旧約聖書詩編)には、「信仰のある人とは、季節になると果実を実らせ、葉が枯れない、水の流れの脇に植えられた木のようなものである」(正式な翻訳はどうなってるかな・・・?)

The Holy Bible, Matthew(マタイによる福音書)
Freund, Philip., 1964, Myths of Creation, Transatlantic Arts
Frazer, James G., 1963, Golden Bough(金枝篇), Macmillan
Churchward, Albert., 1913, The Signs and Symbols of Primordial Man, George Allen & Co.
Campbell, Joseph., 1959, Primitive Mythology, Viking Press
Campbell, Joseph., 1974, The Mythic Image, Princeton University Press
Encyclopedia of World Mythology, Octpus Books 1975
Bayley, Harold., 1912, The Lost Language of Symbolism, Rowman & Littlefield
Cooper, J.C., Encyclopedia of Traditional Symbols
Cooper, J.C., 1978, Illustrated Encyclopedia of Traditional Symbols, Thames and Hudson などは、上記と重なるので略します。

The Questions of King Milinda, Vol.35 & 36 of Sacred Books of the East. Translated by T.W. Rhys Davids. 1984
(「ミリンダ王の問い」は、AC2世紀北西インドを支配したギリシア系の王メナンドロス、パーリ語でミリンダと、仏教僧ナーガセーナ長老との仏教教理についての問答を記した、インドの仏教経典。)
そこでは、「大志を抱く人が持つ木の第1の長所は、束縛からの解放という花であり、また苦行の果実である。木が花と果実をつけるように。第2の長所は、ちょうど木がやってくる人に木陰を投げかけるように、大志を抱く人に身体的な欲望と宗教的な必要性に配慮した、やさしさを提供する。第3には、ちょうど木はその影に来る人を区別しないように、大志を抱く人は差別することなく、すべてをやさしさで接する。」

分析の夢解釈の象徴論と同じですね、人類が類として長い期間をかけて、積み上げてきた共有部分(ユング的かも)を感じます。
ヨ-ガで木をするとき、瞑想の中でのイメージが広がり深まっていきます・・・
自分のための、ウンチク本です・・・

ちなみに、ハタヨーガとは、肉体の機能を保ち、精神を安定させるために、さまざまなポーズをとり、呼吸の統制を行うヨーガの一種です。
ヨーガと言っても、ポーズはせず、瞑想によって精神のエネルギーをコントロールしようとする、ラージャ・ヨーガという、伝統的な流れもあります。隣の隣がラージャヨガ道場で、毎朝1時間、老若男女が50人は集まります。
また、ヨガでポーズを意味するアサナという語の原義が、「修行や苦行」であったことは発見!

ところで、ぼくの木についての自由連想は、「伸びる、高い、緑いっぱい、枝が折れやすいかも・・・」かな。

注;以上、定義や意味については、広辞苑を参考にしました。

The Psychology of Cultural Experience

2007-12-21 00:10:23 | 
Moore, Carmella C. & Mathews, Holly F. Ed., 2001, The Psychology of Cultural Experience, Cambridge University Press

カトマンズ・タパタリの、保健医療系を含む専門書やWHO出版物を置いている、EKTA 書店の心理学書棚で見つけ、795ルピー、約1600円でした。
ケンブリッジ大学出版の、アメリカ人類学会の心理人類学部会 the Society for Psychological Anthropology出版シリーズの1冊です。

ネバダ州・バハマ・ベリーズ・メキシコ・カナダ・インドネシア・パプアニューギニア・ケニア・コスタリカ・カリフォルニア州・ネパール・サモア・スウエーデン・ドイツ・コソボ・中国・などをフィールドにした、11人の著者の論文9つが収録されています。

21世紀の心理人類学にとっての研究テーマ、個人中心民族誌、活動理論 activity theory、アタッチメント理論、文化スキーマ理論、そして思考、感情、記憶、問題解決などの局面が扱われています。
心理学的発達や心理状態を、通文化的に普遍的特性を同定することは可能であり、また、個人心理学は単に唯一の文化パターンによって決定されるものではない、ということが共通した論調です。

論点は、文化と個人の経験との関係であり、1980年代と90年代の過去20年間には文化の意味や文化の多様性について過大評価されたとみなしている、言い換えるとそれぞれの文化は独自の心理学を構成していくという構成主義者 constructivistを批判する、1995年プエルトリコにおける心理人類学部会に参集した Drew Westenら、ポストモダンの研究者たちが、共同して、学際的アプローチをしたものです。

近年の発達心理学や精神分析学の研究分野において、神経生物学や認知科学の成果を用いて、神経学的発達という普遍性や、精神内部の動因、精神発達を形作る文化的な実践などを論じています。
また、実際の個人が毎日の生活のなかで、文化を伝え、変化させ、使うという視点を重視する、個人中心民族学アプローチがあります。

Westenは、認知科学における脳の神経回路網の結合に基づく情報処理モデルconnectionisms、並列分散処理 parallel distributed processing モデルを援用して、多くの認知過程は連続的にではなく、同時にないし並列して起こると仮説します。それらが(ある文化内で)繰り返し起こり、繋がり連合していって、子どもの社会化における共通経験(=個人にとっての文化)を創っていくと考えるわけです。
( )は、かりぶによる。

彼は、個人の感情や意志、また恐れは、(その文化内で)人々や状況や抽象的な概念が表現することとつながって、無意識的に活性化されて生じると、精神分析学的に述べます。

Doug Hollan は、Robert LeVine による1982年の個人中心民族学における方法をアップデイトして、主観的な経験について、人々が話したこと・人々が行ったこと・人々が具体的に表現することという、3つのアプローチを提唱します。従来は言語的報告のみを研究の素材としてきたのに対して、この3局面からデータを収集して、個人的な経験を分析するわけです。

ほか、長くなるので略。

感想;
今日の心理人類学の地平は、70年代までの「文化とパーソナリティ論」をはるか超えて深まってきているということを目前にする論文集でした・・・
この分野に関心ある方にはお勧めです。

このシリーズには、ほかに11冊刊行されているようで、Japanese sense of self というのもあるようです。
読んでみたいです!


三井宏隆 2005 「比較文化の心理学」 ナカニシヤ出版

2007-12-20 03:24:04 | 
三井宏隆2005「比較文化の心理学ーカルチャーは社会を越えるのか」ナカニシヤ出版 2200円+税

著者が、まえがきで「ゼミナールや演習で活用」を勧めているように、数多くの研究がレビューされ、その「研究相互の関連づけ」を、社会心理学者としての視点から試みられています。

だから、緻密な論考が連続して、息が抜けない感じ・・・

まず、心理学者の比較文化研究を、1973年 Triandis,H.C.、79年 Laboratory of comparative human cognition、83年 Brislin,R.W.、86年 Segall,M.H.、89年 Kagitcibasi,C. & Berry,J.W.、96年 Bond,M.H. & Smith,P.B.、98年 Cooper,C.R. & Denner,J.、2004年 Lehman,D.R. et al.などのレビュー論文などから紹介します。
知覚、認知、社会化とパーソナリティ発達、価値・信念・動機、性差、性役割と性同一性、性同一性葛藤、攻撃性、自民族中心主義などのトピックスが、紹介されます・・・

つぎに、Hofstede,G.1980による、40カ国、116,000名の被験者への約180項目の態度調査質問紙研究から、
「人々の欲望の客体としての価値と、人々の理想としての価値」を焦点に、
4因子=権力の格差・不確実性回避の傾向性・個人主義対集団主義・男性的価値対女性的価値、が紹介されます。

ちなみに日本は、曖昧さへの許容水準を示す、不確実性の回避が40か国中4位、男女間の役割分担の規範が1位という特徴を見ることができます。

ほか、価値や文化的自我などについての、心理学的測定研究が紹介され、
次章では、Back-translation の実行可能性、Big Five 理論の通文化性などが鳥瞰され、
さらに、文化の移動=移住・定住・同化・グローバリゼーションなど、へと進みます。

最終章「文化を消費する」は、フェミニズム・ディズニー・女性美などという視点からの研究レビューで、著者らしさが際立っているのかもしれません。

ぼくの感想;
方法が緻密に紹介されていて、納得の、心理学の立場からの文化研究レビューです。
ベネディクトやマリノフスキー以降の進歩!?が、たいへんに、勉強になりました。
確かに、ゼミのテキストとして適している・・・







長谷川まり子2007「少女売買ーインドに売られたネパールの少女たち」光文社

2007-12-08 08:30:53 | 
長谷川まり子2007「少女売買ーインドに売られたネパールの少女たち」光文社

11月末に出たばっかりの単行本です。
大阪のAさんがわざわざEMS便で送ってくれました。ありがとう!
NHK-BSでの報道もあるようですね、ここネパールでは見ることはできませんが。

話としては聞いていた、ネパールの田舎の少女のトラフィッキングを巡る、
取材と、日本のNGOとしての現地NGO支援、そして自分とテーマとの関わりを問う自己開示が内容でした。

ここの事例には、とても重い内容があります。
嘘をついて騙されー国境を越えて連れ出されー救出場面では洗脳されていてそれを拒みー家族から拒絶されーAIDS罹患の悪化、という流れが共通しています。

インドとネパールのNGOsは、国境での検問や、売春宿からの救出、シェルターでの保護、家族探し、医療の提供などの活動で、彼女たちを支えようとしています。
それは、腐敗した警察や、利潤に目がくらんだ経営者たちなどとの暴力的な対応も含む、勇気あるものです。
しかし、厳しい生活を通り向けた彼女たちの悲しみはあまりにも深い・・・

日本からの年間600万円余、また年2回のスタディツアーでの対人的な支えなどを継続させている努力には頭が下がります。

NGOは、創るのは易しく、継続が大変・・・ぼくも体験しています。
まして経済的に無償の関わりならなおさらです。

ぼくは、当事者同士のピアカウンセリングや集団心理療法による支えが有効と思うんだけど、それについての言及はありませんでした。
それはともかく、長谷川さんたちのカトマンズの定宿は、隣のDホテルのようなので、一度お会いしたいなと思いました。


米国の職業的カウンセラーの倫理規定を見てみる

2007-09-29 16:32:40 | 
Wallace, S.A. Lewis, M.D. 1998, Becoming a professional counselor, second edition, preparing for certification and comprehensive exams, Sage

この本自体は、Council for Accreditation of Counseling (CACREP) と、National  Board for certified Couselor (NBCC) とによって、資格試験準備用に作成されたもので、American Counseling Assosiation Standards of Preparation for counseling training programs に則っているようです。

・Human Growth and Development
・Social and Cultural Foundations
・The Helping Relationship
・Group Dynamics, Process, and Counseling
・Lifestyle and Career Development
・Appraisal of the Individual
・Research and Evaluation
・Professional Orientation
の各章から構成され、職業倫理は第8章に含まれています。

そこでは、
A項 一般;資料収集・クライエントや同僚、組織への責任・職業の資格・説明責任(記録保存の責務)・料金、などの業務の展開。
B項 カウンセリング関係;クライエントの権利・秘密保持・警告義務・記録保存・2重関係・関心の葛藤・個人と集団でのクライエント相談。
C項 測定と評価;心理テスト選択や実施、スコアリングと解釈、結果報告に関するカウンセラーの責任。
D項 研究と出版;被験者の保護・研究の計画と実施・当然支払われるべき手当て・結果の解釈と普及・共著。
E項 相談;相談の役割の定義と特徴・目標設定と問題・リファー
F項 プライベイト開業;宣伝・法的な責任・専門的な所属・終了。
補遺 資格試験;応募情報・受験者の法的、倫理的な責任。

おおよそ、金沢氏のまとめと重なる内容と言えます。
ただ、プライベイト開業が1項目になっているのは、日本ではまだまだこれからの分野で、欧米の現状を感じさせます。
その中身は、日本に移し変えると、開業医に相当するものです。
日本の心理職の国家資格化の動きのなかでは、医師側が示している「心理の開業」への懸念を想い起こしました。日本の医事法制は、医行為は医師が行うので、それ以外の職種は「医師の指示の下」で、その行為に従事するという構造だからです。

さて、研究の倫理については、7章に言及があります。P。142
被験者に対しては、
・被験者にストレスを惹起することを避けること、
・ありうる危険性を説明すること、
・有害な後効果を排除すること、
・被験者を物質的身体的精神的な損害から保護すること、
・研究の目的や本質について説明すること、
・いつでも研究への参加のコンセントを取り消してよいこと、
・被験者のプライバシー権を保護し守秘すること、
研究結果については、
・研究結果は、すべての変数と条件についての情報を含んでいること、
・研究結果は、誤解されないように性格に報告すること、
・研究結果は、被験者の自己同一性を保護すること、
研究者について、
・研究者は、他者に役立てられる、独創的な研究をすべきである、
・研究への貢献や出典については、正当な評価を示すこと、
・原稿を提出するのは、1つの研究誌に限ること、
などは、NBCC倫理綱領を根拠にしています。

被験者のコンセント (consent=よく考えた上でしぶしぶ同意すること) が、開発途上国を舞台にした研究では得がたいです・・・

ちなみに臨床心理学の職業倫理は?

2007-09-28 20:26:53 | 
金沢吉展2006「臨床心理学の倫理を学ぶ」東京大学出版会

次の7つを原則としてまとめています。
第1原則;相手を傷つけない、傷つけるようなおそれのあることをしない
第2原則;十分な教育・訓練によって身につけた専門的な行動の範囲内で、相手の健康と福祉に寄与する
第3原則;相手を利己的に利用しない
第4原則;一人一人を人間として尊重する
第5原則;秘密を守る
第6原則;インフォームド・コンセントを得、相手の自己決定を尊重する
第7原則;すべての人を公平に扱い、社会的な正義と公正と平等の精神を具現する

対人援助職にも共通のことがらだと思います。

欧米から翻訳されてきた概念ですが、日本語としてこなれていて、とてもわかりやすく書かれています。
ただ、それぞれが意味するところや実際場面などはとても微妙です。関心ある方は、直接、お読みください。

ただし、第6原則は、開発途上国を舞台とするときには困難な部分があります。教育機会が限られていること、また交流するツールである言語が翻訳困難な場合があるからです。

プーラン・デヴィ著 武者圭子訳1997「女盗賊プーラン 上・下」草思社

2007-06-20 22:33:10 | 
プーラン・デヴィ著 武者圭子訳1997「女盗賊プーラン 上・下」草思社

インド農村の低階層の虐待のなかに育ち、のちに、カーストからはみ出した義賊的な盗賊団に加わり、1996年には国会議員になったという女性の自伝。

やられたらやり返す、暴力には暴力を・・・かつて彼女を痛めつけた人々は震え上がった・・・
「人は犯罪と呼ぶかもしれない。だたそれは私に言わせれば正義なのだ」

事実は小説より奇なり・・・を地でいく物語でした。
永山則夫が国会議員になったことを想定してもいいかもしれない。
彼女の今の活動はどうなっているのだろう?

インド・ネパールなどのカースト社会や、電気も水道もなく、子どもが学校へも行けない開発途上国などの、
地球のもうひとつの現実に関心のある方にも、お勧めの本です。
上下、各250ページはありますが、ふた晩あれば読了してしまうワクワク本で、訳文も読みやすくこなれています。

井沢元彦2007「仏教・神道・儒教集中講座」徳間文庫

2007-06-20 22:05:40 | 
井沢元彦2007「仏教・神道・儒教集中講座」徳間文庫
もとは、2005年に単行本として出版されているようです。

日本人は「ビーフカレーのように」「日本人に都合のいいように神を作り変えてきた」という論調で語られる、読みやすい宗教講座です。
カレーの本場のインドでは、聖なる動物であるウシを食べることはありえないが、日本人はこういう組み合わせをタブーや戒律を越えて作ってしまったように・・・

仏法・涅槃・浄土・往生などの意味。
哲学から民衆へと焦点を移した大乗仏教が成立した背景。
寺社間の競争原理を排除した檀家制度の導入。
国家神道と対抗してきた教派神道。
邪な神も祭る。
言霊信仰の背景。
和を聖徳太子が重んじた、日本独自な精神世界
中国古代宗教の行者のなかから生まれ、先祖崇拝をひとつの体系化した孔子。
位牌の歴史は儒教。
修身・斉家・治国・平天下という儒教の発想。
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌という徳目。
日本では主君の言うとおりにするのが忠義、儒教では主君が道徳に反することを決めるときに異議を唱えるのが「義」。
などなど、勉強になりました・・・

ただ異論がひとつ;
「神道の聖典と考えてもいい古事記」にある、「神道の神は穢れを極端に嫌う」(p。122)。
「日本人というのは本来、穢れていないもの、汚されていないものを一番すばらしいと考えた」(p。126)
また「日本神道独自の怨霊神」(p。127)
という指摘は彼の論理の中核部分のようですが、ガンガでの水浴に見られるように、穢れ・祓いはヒンズー信仰でも中心概念とぼくは思います。
また、ネパールの土着信仰でも、ヒトに呪いをかける邪神をなだめるし・・・
古代に文化が花咲いたインド・中国の影響下に日本文化は在るということが事実なのではないでしょうか。

専門の方がいらっしゃいましたら、よろしく・・・


秋元海十2004「88の祈りー四国歩き遍路1400キロの旅」東京書籍

2007-06-20 20:58:56 | 
秋元海十2004「88の祈りー四国歩き遍路1400キロの旅」東京書籍

この著者をぼくは知らないのですが、俳優らしいので、ご存知の方もいらっしゃるでしょうか・・・
売れない頃に、それも結婚した連れ合いが病に遭ったりなど、ツライ時期に挑戦した88ヶ所巡り記です。
真剣な飾らない文章は一気に読了させました。

「人は生かされている存在」「生命の働きを司っているもの」への気付きと、
喜び・恐怖・興奮・弱気・自然との融合などの湧きあがる感情・他者からの助けへの感動・・・が豊富に散りばめられていました。

そして「人生には2通りの生き方がある。ひとつは、自分の思い描く成功に向かっていく人生。ひとつは、神の流れに従っていく人生。私は神の流れに従って、神の喜びとともに生きていく」というゴスペルを紹介し、「見えない世界の助け」に気付いたとまとめています。

高知にいた時期があるので、「一国参り」はしたことがありますが・・・ただしクルマで・・・歩くのはまったく違う経験と感じています。
50日はかかるようですが、いつかはやってみたいと思っています。

カンパネッラ「太陽の都」岩波文庫2006 4刷

2007-06-03 16:36:49 | 
カンパネッラは、1568~1639年の後期ルネッサンス期に生き、生涯に32年間も監禁や幽閉されたにもかかわらず、数多くの著作を残した哲人といわれています。
スペイン支配下の南イタリアの独立を企てた1602年に獄中で、その理想を対話編の形式で、ユートピア「太陽の都」としてまとめたのがこの著作です。

時代背景としては、宗教改革と反宗教改革が衝突し、多くのものを異端・無神論として思想的な取締りが強まった、息詰まる時代といえます。
また大航海時代を経て、ヨーロッパは、今日に言う開発途上国を含む地球的な視野を手に入れつつありました。ルネッサンスを経て知的世界が拡大した状況下で、キリスト教神学の建て直しを、彼は多面的に意図したようです。

私有財産を否定し、今日的には社会主義思想が基本にあります。
「学芸や仕事は知的なものも技術的なものも男女の区別なく共通」
「めいめいの仕事に応じて主食の料理、スープ、果物、チーズなどが配られる」
「学問なり技術なりでとくに成績のよい者はやがて役人になります・・・指導者がいるからです」
「軍務、農耕、牧畜は、みんなが共同で行う・・・義務であり・・・尊い仕事」など。

障害児者関連の記述はこういうふうです;
「知恵遅れの子どもたちは田舎に送られ、知恵がつくとまた都に連れ戻されます」
「どのような身体障害も、人間を無為徒食の人にはしません。例外は老衰ですが・・・相談役の務めだけは果たしています。足の不自由なものは目を持って見張り役を務め・・・目の見えないものは、羊毛を梳いたり・・・手のないものは他の仕事をします。・・・彼らは手厚く保護されており、あらゆることを国に通報する諜報役でもあるのです。」

都の建築構造・統治形態・教育・仕事・性生活・軍事・食事・健康法・学芸・役人・宗教と世界観・世界の将来の項目の元に具体的に記述しています。

占星術に関係付けた記載は多く目につきますが、ここでは触れません。
民主主義的な発想はなく、性行動すら、指導者が決定するという社会です。
日本が一ヶ所出てきます;衣類の色の個所で「黒い色を物のかすのように毛嫌いし、黒い色を好む日本人をひどくきらっています」p47

400年前に、いくつかの限界があるとは言え、こうした広い世界観を持っていたことに驚き、その内容は人類にとってのユートピアのコアになる部分を提示しているとも思うのです。さて、ぼくらにとっての理想社会とは・・・?

WHO 1998 新福尚隆 訳「精神障害者と家族のために政府及び政策立案者がなすべきこと」

2007-06-03 14:21:38 | 
WHOが1998年にだした、開発途上国の精神保健作りをテーマにして出した小冊子があります。
イギリスのDr Rachel Jenkins, et al による Nation for Mental Health です。
ずいぶん前に読んでいて、手元にはなかったのですが、昨日次のネットに紹介があって、西南学院大の新福尚隆さんの翻訳「精神障害者と家族のために政府及び政策立案者がなすべきこと」があることを知りました。
彼は日本で開発途上国の精神保健を語れる数少ない人々のうちの1人です。

精神医療をよくする市民ネットワーク [psy-net:10390] WHOの第三世界の精神保健戦略
http://jp.f27.mail.yahoo.co.jp/ym/ShowLetter?MsgId=8812_6289260_728169_3603_2495_0_25069_4694_4005759536&Idx=2&YY=30684&inc=25&order=down&sort=date&pos=0&view=a&head=b&box=psy%2dnet
のページからダウンロード可能です。

精神保健政策のない国々での、必須な政策作り項目とその根拠を焦点にしているので、その視点から国際的な精神保健支援のときどきに参考にできるのですが、
ぼくは今回は、次の社会つくりの部分P.6が、先進国の地域社会における精神保健従事者の任務として、たいへんにまとまっていると印象を持ちました。

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1〕既存の社会的支援システム(例、家族、隣人、ヘルパー)を援助する
2〕新たに無理のない支援体制を作る(未亡人や若い母親の自助組織を作る)
3〕介護者を教育する。
4〕学校、警察、社会福祉、刑事司法システムとのコンサルテーション
5〕精神衛生に影響を及ぼす問題(例、売春、レイプ、家庭内暴力、児童虐待)へ
の取り組みを強化するための地域社会のネットワークを構築する
6〕精神保健の問題、身近な治療方法、健康促進のための人および施設に関して一
般大衆を教育する
7〕精神保健に関する教育を行って、生活の変化やストレスに対処する能力を育て

8〕適正な人員・保健方針を採用する組織への就職
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保健医療福祉の諸制度や心理ケアを軸に業務するにしても、こういう広がりを意識しながら、地域社会をみんなで創っていくことが、有限な低成長の地球社会に生きていくためには重要だと、心理学オヤジのぼくは考えています。