茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

茶禅一味

2010年04月22日 | Weblog
昨日は、土を掘り起こしてつくった畝に
お茶の苗を仮植えしました。
1年間、ここで育ってもらう幼い苗ちゃんです。
1年後に別の畑に定植します。
しゃがんでひと苗植えては
蟹歩きで移動して次の苗。
苗を置いて土をかけてぎゅっと押さえる、
こうした単純な作業なのですが
数をこなす内に
要領がよくなってきます。

先に苗を等間隔でポイポイと置いていきますが、
その時根の太い部分の先が土の谷にあると
次の工程がスムーズです。
苗を左手で立てて右手で土をかけて
次に左の土をかけて
ぎゅっぎゅっとしておいて
あとで足で踏んで水を遣ります。

右で取って左で受けて右で置く・・・
あ、お茶のお点前みたい。
それはルールではなくて、
一番理にかなった手順。
合理的だけど優しくて、
集中すると無になって、
無になっている時の畝は
まあっすぐ♪
つまり、美しい姿。
うん、茶道だし。

でも、そうそう集中などしていられません。
足の痛さは正座なんてものではありません。
10も植えないうちに腰が辛くて蟹歩きできません。
農家のお母さん達を観察して、
腰を曲げて作業する姿を見習いますが
もっとできません。
どーしてあの姿勢でさくさくとこなせるのやら。
私はほどなく膝をついてしまいます。
膝をついて移動しているから
土との密着度が高くて
裾から虫も入って来ちゃうわけです。

ここが斜面だったら
作業はもっと大変でしょう。
昔は運動靴もないしゴム手もない、
ペットボトルのお茶もないしムヒもない。
もっと辛かったのだろうなあ、
でも、それなりに方法もあったのだろうなあ
などと思いました。
お茶の栽培自体が修行です。
栄西禅師は、けっして座禅時の眠気覚ましのために
お茶をもちかえったのではないと、
確信したのであります。