阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

1月28日 広島市立中央図書館 「スクラップブック 文学」など

2020-01-28 20:52:32 | 図書館
 今年もシャレオの古本まつりに一度は寄りたい。市立図書館とセットで出かけることにした。いつもの12時41分の芸備線で出発、広島駅からバスで紙屋町で降りて地下に降りたら古本まつりのシャレオ中央広場、図書館を先にと思っていたけど目の前でやってるから寄ってみた。去年よりもお目当ての郷土関係が少ない気がした。しかし盛況でレジは10人ぐらい並んでた。広島県史の資料編が一冊千円で売っていて、しかし今買うと重たいから帰りにもう一度寄ることにしてシャレオの北の端から地上に出て、美術館前の観音様に、おんあろりきゃそわか唱えてから図書館の階段を上った。

まずは広島資料室、市立図書館の蔵書を「狂歌」で検索すると160件ヒットして、そのうちの150件目がタイトルの「スクラップブック 文学」で、内容一覧を見ると、

「江戸末期の狂歌知る史料発見 柳縁斎貞卯の短冊など300点(紙名不明 昭和61年3月29日掲載) 」

という記事が入っていて、これが検索に引っかかったようだ。柳縁斎といえば、栗本軒の前に貞国が名乗っていた号で、柳門の由縁斎貞柳→桃縁斎貞佐→柳縁斎貞国→梅縁斎貞風と続く、貞国にとっては柳門正統の号のはずだ。この見出しは貞国の間違いか。しかし江戸末期とあるから、別人だろうか。この記事を見ることが今回の一番の目的だった。広島資料室の司書さんにお願いして、書庫から出していただいた。

すると結構長い記事で、【呉】から始まるスタイルはどうも中国新聞ではないような気もする。そして短冊がずらりと並んだ写真があり、さすがに中の短冊は読めない。内容を読むと、天保生まれで明治まで生きた柳縁斎貞卯という人が確かにいらっしゃった。ここに書くと長くなるので、次の記事で書いてみたい。貞国の歌がごっそり出てくるのではないかと期待していたのだけれど、そこは空振りだった。しかしこの300点の中には貞国の短冊もあるということなので、どこかで見るチャンスがあるかもしれない。そして、今回も記事中に京都の家元から栗本軒の号を得たと出てきたのには笑ってしまった。

次は、千代田町史の近世資料編下を書架で探したがあるべき場所になく、また入りこむ隙間もない。別の場所にあるのかとまたさっきの司書さんに聞いたら、研究用としてカウンターに置いてあり、閲覧にも申込書が必要で、コピーにも制限があるという。コピーの場所を書いてもらってからコピーできるかどうか判断するということだった。この本は県立図書館では事務所に準備中となっていて、それでこちらに来たのだけど、閲覧に制限があるために準備中となっていたのだろうか。先に県立で聞いてみれば話が早かったのかもしれない。

その申込書とともに本を渡していただいて、狂歌の項目を見ると、いくつかの狂歌集からの抜粋は壬生連中の歌のみとなっていて、貞国の歌はなかった。麦縁斎貞二六という人が出てきて、しかし師匠格ではないようだ。この壬生狂歌連中は寛政七年までは貞国が指導したが、その後は桃柳斎貞玉が、しかしこの人が文化十年ごろ没したあとは衰退したとある。貞国の歌の部分は載せてなかったけれど、この千代田町壬生の井上家文書にも貞国の歌が眠っている可能性が高いことがわかった。コピーする必要はなく、申込書は閲覧に○をつけて本とともに返却した。

このあと参考閲覧室の書庫から二冊、「迷信の知恵」と「西国大名の文事」を借りて帰った。前者は昆布焼を書いた時に書籍検索したら我が家では「昆布を焼くと貧乏になる」と伝わっているものがこの本では「昆布を焼いて食べると天神様が泣く」となっていて、読んでみたいと思ったのだけど、半ページのその項目に大したことは書いてなかった。他の迷信の本も当たってみないといけないようだ。しかし迷信がたくさん書いてあっても「○○すると病気になる、死ぬ」というものが多くてあまり気持ちの良いものではない。私は紫の矢絣の風呂敷を愛用しているが、「矢ガスリが流行ると戦争が起こる」というのもあった。真似しないでいただきたい。後者は上記の検索結果160件の中にあったもので、たまには違う傾向のものも読んでみたいということで借りてみた。ぱらぱらめくったところでは漢詩漢文が多いようだ。

帰りに展示室でやっていた企画展「広島ゆかりの詩人たち -黒田三郎生誕100年-」を見た。肉筆の色紙など、見どころが多かった。その中に、障子紙のようなものに墨で書かれた詩の中に、三篠川の三文字が目に留まった。大木惇夫「流離抄」という詩で、「雄弁」昭和11年6月号に発表、その後第6詩集「冬刻詩集」に納められ、三滝に碑があるとあった。石碑ということならば探すのは簡単で、広島ぶらり散歩で続きの部分も見ることができた。「われを追ひけど」の部分がこれで良いのかなと思ったけれど、確かにそうなっている。詩の内容のように不安に流されてゆくような筆跡で展示ではラストの「こころなく 楫をとるのみ」の繰り返しの部分が印象に残った。三篠川に関していえば、デルタの入り口から江波まですべて三篠川という認識だったと思われる。三篠川について書く時に引用してみたい。

このあと再びシャレオの古本まつりに寄って、食料品の買い物もあるから広島県史は一冊が限度、Ⅲのお触書が入った巻にした。Ⅱの書状もまだ読んでないけれど、家に置いてすぐ見たいのはⅢかなと思って決めた。バスで広島駅に戻り買い物をして、16時5分の芸備線に間に合った。