阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

夜鷹そばうり

2020-01-25 10:16:20 | 狂歌鑑賞
南畝を続けて読むのも早くも飽きてきた。ここでちょっと寄り道したい。

人倫狂歌集に夜鷹そばうりと題した歌が挿絵の歌も含めて十八首、この歌集はグーグル書籍検索で出てくるのだけれど、素性がよくわからない。挿絵の歌の作者、六桃園徳若は文化年間に活躍した人のようだ。この本は他のグーグル書籍とは順番が逆になっていて、下から上につながっている。したがってリンクのページから上に向かって、

 三十三丁裏 夜鷹そばうりの題と歌十一首
 三十四丁表 挿絵と歌一首
 三十四丁裏 夜鷹そばうりの続きの歌五首とあまさけ売の題と歌六首

となっている。下から上にスクロールして読んでください。読みに自信がないのが数か所あるのだけれど、とにかく夜鷹そばの歌十八首ならべてみよう。なお、作者名は読めないものもあり整理がついていないため省略とさせていただきたい。

  (三十三丁裏)

          夜鷹そはうり  

  風鈴の聲もしくれのよそはうり軒端に近き音たてゝゆく

  はなのさき落るやうなるさむさには夜たかそはさへ恋しかりけり

  かひ手よりおのれの腹をぬくめ鳥銭をつかみし夜たかそはうり 

  かさのあるよたかそはとてもりよりもはなからかけをたのむ折助

  風鈴の音に戸口へ出てみれは横町へそれし夜たかそはうり

  まへ髪をおろし大根の青やらうとかく夜たかのそはをはなれす

  よたかてふ名のそはうりてふる雪にゆきゝの人の腹ぬくめとり

  ひけ四つのかねより後は人通りきれてもあちのよきよたかそは

  おもき荷はとくうり切て夜やさむきふるうてかへる風鈴のそは

  雪風のさむさしのきは夜たかそはしらふのはらもあたゝめてけり

  よたかてふ名のつけはとてそは切の大根からみもはなへぬけたり

  (三十四丁表) 挿絵

  風鈴の音はかりかは人もみな舌をならしてくふ夜たかそは

  (三十四丁裏)

  冬なから夏のことくにあたゝかきそはにそしるき風鈴の音

  星ならて雪から出たる夜鷹そはしのゝめの頃荷もあけにけり

  名にしおふ夜たかそはとて是も又やはりこふしにすゑてこそ出せ

  一つかみもりて出しゝよたかそははしをうこかす處もみえけり

  さむき夜にねもせてまては二八にはねのなつてある風鈴のそは

  
ざっと見てまず目につくのは風鈴だろうか。ネットで調べてみると、夜鷹そばに対抗して風鈴そばが登場して、夜鷹そばより衛生的で少し高級、値段も高かったようだが、夜鷹そばも風鈴をつけるようになり、区別できなくなったとある。この十八首をみても、夜鷹そばと風鈴そばを別のものとした歌はなく、風鈴と夜鷹ともに入った歌が二首ある。この狂歌集の歌が詠まれたのはおもに文化年間以降と思われ、また守貞謾稿にも、

「江戸夜蕎麦ウリノ屋體ニハ必ス一ツ風鈴ヲ釣ル」

とあることから、江戸後期にはどの夜蕎麦屋台にも風鈴があったようだ。

次はメニューが気になるところだが、四首目の折助の歌に「もり」と「かけ」が出てくる。折助とは武家で使われる下男のことを言い、折助根性という言葉があるようだ。この歌では、最初から嵩(かさ)のある「かけ」と決めているのが折助根性ということなのだろう。また十七首目も「一つかみもりて出しゝ」とあって、夜鷹そばのメニューに「もり」は確かにあったようだ。ここで気になるのは、この十八首の大半が寒い冬の夜の歌なのに、冷たいもりそばを食べたのだろうか。江戸っ子が熱い風呂に我慢して入るのと同じように、いやその逆と言うべきか、雪が降る屋外でやせ我慢して冷たい蕎麦を食べたのかと思った。しかしこれは間違いで、当時は蕎麦を水でしめることはしないで、もりも温かい蕎麦だったようだ。また、二首に出てくる大根おろしも定番の薬味だったという。このあたりは、ネットで検索すると蕎麦研究家の詳しい記述が読める。先に登場したのが「もり」であるとか、知らない事が多かった。

「夜鷹そば」の縁語で面白いのは二首に出てくる「温め鳥」、これは鷹が冬の寒い夜に捕まえた小鳥で足を温めて、翌朝放してやり、飛び去った方向へその日は行かないといい、冬の季語となっている。また、十六首目の「こぶしにすゑて」も、鷹匠が鷹をこぶしに据えることをいっている。

また、夜鷹といえば、上方狂歌では辻君とあった、夜道に立って客を誘う娼婦のことだった。六首目の前髪をおろし大根の青野郎が夜鷹のそばを離れないというのは、この夜鷹をかけているのだろう。十一首目は夜鷹という名といいながら、大根のからみが鼻に抜けたとの関連がはっきりしない。これもこちらの夜鷹だろうか。はな散る、はなが落ちる(追記:二首目がこれに当たるのを書き漏らしていました)というのは、夜鷹にかかわる病気として出てくるのだけれど、はなへ抜けるも同じ表現なのかどうか、よくわからない。

前に書いた狂歌家の風の二八の君の回では二八蕎麦は有名だから楽勝かと思ったら調べるのに結構苦労した。このような類歌を先にまとめて読んでおけば良かったと思う。この狂歌集は面白そうな職業、また職業ではないが人を指す題がたくさん、ぢぢ、ばば、に始まって、口寄せ、ちんこきり、と出てきてびっくりしたが、これは賃粉切り、たばこの葉を刻む職業だそうだ。日なし貸し、という高利貸しも出てくる。時代や撰者がわからない狂歌集ではあるが、ぼちぼち読んでみたいと思う。


【追記】方竟千梅「篗纑輪」(宝暦三年刊) の鷹の項に、煖(ぬくめ)鳥についての記述がある。引用しておこう。

「煖鳥ト云ハ鶻(コツ)ト云鷹ニノミ有リトソ 此鷹小鳥一ツヲ捕エ夜中之ヲ以 足ヲ煖メ暁ニ至リ ユルシ放ツ 其小鳥東ニ行ケハ其日東ニ行テ鳥ヲ取ラズ西ニ放レ行ケバ西ニ行カズト云〻 凡鷹ハ性強悪ニシテ友禽ヲ食フ サレトモ天性義有テ寝鳥ヲ不取 胎(ハラメル)モノヲ不取 モシ胎鳥ヲ取ルトイヘトモ不殺シテ放チヤルト云〻」


(ブログ主蔵「わくかせわ 下」59丁ウ・60丁オ)

鶻は、はやぶさ、あるいはくまたかの訓があるようだ。鷹は性強悪だが義を持った鳥という認識だったようだ。