今年も例年の如く、佐賀市赤松町の龍泰寺に大隈重信候の墓参りをしました。
いつも感心するのですが、掃除と手入れが非常に行き届いた禅寺で、歴史の重みだけではない心張りつめる様な緊張感があり、神聖な気持ちになります。
たまたま正月休みに齋藤健の「転落の歴史に何を見るか」を読み、明治の元勲の生き様について考える機会がありました。
この世代の偉人に共通する特徴は、武士の最後の系譜に属するということ。武士というと軍事関連のスペシャリストのように聞こえるものの、実際は、政治、経済、社会、教育、科学といったさまざまな面に長けたジェネラリストの統治者であったとのことです。
これまでの自分の偏った経験を反省しつつ、いつもとは違った気持ちで墓前に立ったような気がします。
いつも感心するのですが、掃除と手入れが非常に行き届いた禅寺で、歴史の重みだけではない心張りつめる様な緊張感があり、神聖な気持ちになります。
たまたま正月休みに齋藤健の「転落の歴史に何を見るか」を読み、明治の元勲の生き様について考える機会がありました。
この世代の偉人に共通する特徴は、武士の最後の系譜に属するということ。武士というと軍事関連のスペシャリストのように聞こえるものの、実際は、政治、経済、社会、教育、科学といったさまざまな面に長けたジェネラリストの統治者であったとのことです。
これまでの自分の偏った経験を反省しつつ、いつもとは違った気持ちで墓前に立ったような気がします。