福島県文化財センター白河館まほろんにある復元された正倉
関和久官衙遺跡という役所跡に建てられていたもの

「役所がお米をしまっておくために建てた倉庫で、正倉とよばれています。このように大きな倉庫がたくさん必要なほど、多くのお米が税として集められました。」
徴税として納められた穀物を保管するこの倉庫、
各地に建てられた正倉の中には放火で穀物共々焼失することがあったらしい

「古代豪族と武士の誕生」(森公章著 吉川弘文館刊)という本の中に、
「この時期には郡領の地位を巡る譜第氏族間の競争が激しく、一つには現任郡司の失脚を企図した放火があった。
そしてもう一つは、正倉焼失により官物の虚納を揉み消そうとする国郡司らの思惑が指摘されている。」とある。
で、その火事は神に幣帛(へいはく)しないことによる神の祟りとされたとのこと

古代と言っても、人の考えることは同じだ
今の我らが昔の格好をしているようなもん

それにしても、この頃の神仏感がすごい
神の祟りとは日常的な出来事だったのだ
あの時代に生きてないとこの感覚は理解できないと思う
