SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

SONNY STITT 「The Pen Of Quincy Jones」

2010年01月15日 | Alto Saxophone

これはいったいどちらの作品なんだろうか。
額面通りソニー・スティットの作品として受け取ればいいか、はたまたクインシー・ジョーンズの作品として捉えればいいか迷ってしまう。
というのも、このルースト盤、何となくクインシー・ジョーンズ率いるオーケストラに、ソニー・スティットがゲストでやってきたような感覚の作品に仕上がっているのだ。
だからソニー・スティットもどこかよそよそしい感じを受ける。
作品の出来が悪いといっているわけではない。
これは多くの人が彼の最高傑作として位置づけている作品だし、内容的には私も見事なものだと思っている。
でも聴く度にやっぱり、彼ってこんなにコントロールの効いた演奏をする人だったっけ、と思ってしまう。
もともと彼は自由奔放にサックスを吹き鳴らす人だ。
それがいきなり「My Funny Valentine」のような美しいスローバラードで攻めてくるから戸惑ってしまうのだ。
しかもその構成が微妙なのである。
アドリヴは相変わらずの切れ味なのだが、メロディとの対比がこんなにくっきり出ていいものだろうか。
スティットはもっと自由なアドリヴを吹きたい。それに引き替えクインシーはメロディを美しく吹いてもらいたい。そんな二人のせめぎ合いが見てとれる。
それがこのアルバム一番の聴きどころなのかもしれない。

ソニー・スティットといえば、いつでも引き合いに出されるのがチャーリー・パーカーだ。
同時代の同じアルト奏者だというだけで、彼はいつもパーカーと比べられてきた。
事実、彼もそれがいやで一時期はテナーしか吹かなかった時期があった。
しかしこのアルバムを聴いて感じるのは、やっぱり彼はアルトの人だということだ。
軽快なアルトを吹いているときの方が彼らしさを感じる。

この作品が吹き込まれたのが1955年。
奇しくもチャーリー・パーカーが亡くなった年である。
彼はそれをきっかけにしたかどうかはわからないが、テナーからまたアルトに持ち替えてこのアルバムを録音した。
ひょっとしたらそれがクインシーの希望でもあったのかもしれない。
クインシーはこの作品を通じて、スティット本来の魅力を取り戻すと共に、新たな側面を生み出そうとしたのだろう。
結果的にソニー・スティットのバラードはこの盤で決まり、となった。


最新の画像もっと見る