SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

SUE RANEY 「SONGS FOR A RANEY DAY」

2008年11月28日 | Vocal

このところ天気が悪い。毎日雨続きである。
ということで今日はそんな雨にちなんだレコードを取り出した。スー・レイニーの「ソング・フォー・ア・レイニー・デイ」である。この語呂合わせ以上に内容はすばらしく、これをかけると雨の日も幸せいっぱいの気持ちになる。

話は変わるが、こういうアルバムはやはりレコードに限る。CDではその楽しみの半分も味わえないだろうと思う。
ではCDとレコードの違いは一体どこにあるんだろう。
まず音であるが、これは一概にどちらがいいとはいえない。レコードが断然いい場合と、CDが抜群にいい場合とがあるので、これは引き分け。
次に操作性だが、これはCDの方がいい。ケースをパカっと開け、CDを取り出しターンテーブルに乗せ、再生ボタンを押すだけだ。その点、レコードは針先も含めクリーニングしなければならず(毎回とは限らないが...)、そこに大きな時間のロスが出る。
しかし、その一連の動作をしている時のわくわく感はCDとは比べものにならない。そっと針を置く瞬間、そのわくわく感は最高潮に達する。要するにレコードの方が聴くときの緊張感や集中力が高まり、音楽を聴く喜びが大きくなるということなのだ。
但し、車の中でも聴けるCDの手軽さも捨てがたい。まぁ、こちらも痛み分けといったところかもしれない。
次にジャケットの楽しみ方である。
これは圧倒的にレコードが上回っている。単純に広い面積を有しているというだけのことではあるが、その面積比以上に効果は絶大だ。
このスー・レイニーのジャケットに限らず、古いヴォーカルアルバムは皆、ジャケット半分、中身の音半分といった価値感で成り立っている。
ジャケットを眺めながら、流れる音楽を楽しむ。つまり視覚と聴覚をフルに使って楽しむのである。ついでにカビ臭いジャケットの匂いなども嗅ぎながらだとなおいい。五感で感じてこそ感性が高まるというものだ。
最近はインターネットを通じての音楽配信が主流になりつつあるようだが、このシステムで音楽を購入しても、ダウンロードした音楽が自分のものになったという感覚は、残念ながら微塵も得られない。これはその行為に実体が伴わないためである。音楽も使い捨ての時代だよということなのかもしれないが、私は嫌だ。

この続きはまた明日にでも書いてみようと思う。