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SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

LISA EKDAHL 「Back To Earth」

2009年03月16日 | Vocal

いろいろな声の持ち主がいる。
特に女性ヴォーカルはこの声がいかに個性的であるかが生命線である。
私は新旧問わず女性ヴォーカルが大好きなのだが、最近は個性的な声のヴォーカリストが増えてきた。
その先頭に立っているのがダイアナ・クラールであり、ジェーン・モンハイトであり、ステイシー・ケントであり、このリサ・エクダールだ。
ダイアナ・クラールはかなり線の太い声だ。どこか投げやりな感じがいい。またところどころでハスキーな声になる時がある。これが一瞬クラッとくる原因だ。
ジェーン・モンハイトは全く濁り気のない澄んだ声の持ち主である。この清楚な感じがゴージャズな雰囲気を盛り上げてくれるので重宝している。
片やステイシー・ケントは可愛らしい声の持ち主だ。何ともカジュアルな感じが親近感を覚えさせる。まぁお隣のお姉さんという感じ。
そしてリサ・エクダール。
可愛らしさはステイシー・ケントと同じでも、彼女の可愛らしさは子どものようなそれである。小さな女の子がしっとりとした恋の歌を歌っているというギャップが彼女の持ち味なのだ。

私のCD棚にはリサ・エクダールのアルバムが4枚立っている。
内2枚は母国スウェーデン語でポピュラーソングを歌っているアルバムだ。この2枚からはほとんどジャズを感じない。
もっとも最近評判のメロディ・ガルドーやアンナケイからもほとんどジャズを感じないから、このへんはあんまり深く考えないようにしている。
が、このアルバムは違う。
ピーター・ノーダール・トリオがバックを務めているせいもあって、ストレートで実に魅力的なジャズ・ヴォーカルが聴ける。
静寂の中に響くリサ・エクダールのせつなくも幼い声。この声にはやみつきになりそうな毒性がある。

私はこのリサ・エクダールを聴いていると、いつもなぜか女優のレニー・ゼルウィガーを連想する。
この二人は可愛らしさの点で同類なのだ。
そういえばYouTubeに「I will be blessed」を椅子に座ったまま歌う映像がアップされているが、これを見て何も感じない男を私は信用しない。
こんな風に目の前で歌われたら私なんかもうイチコロだ。
もうどうなってもいい、なぁ~んて思ってしまうわけ。


ROSEMARY & BETTY CLOONEY 「Sisters」

2008年12月31日 | Vocal

この歌(I Still Feel The Same About You)が吹き込まれたのは1951年1月である。
この当時はこういったいいデュエット作品が多かった。
事実、ローズマリー・クルーニーもビング・クロスビーとのデュエットで一躍有名になった人だ。

さて一昨日からの話を続けよう。
このクルーニー・シスターズの歌が流れると部屋中の空気が一変した。線香の匂いが吹き飛んで、甘い香水の香りに包まれた。
みんなの顔にも自然と笑みがこぼれる。
あの先輩の表情も穏やかになり、しばらくは聴き入っていたようだ。
但しこういった曲は何曲も続けて聴いてはいけない。なぜかというと単純に飽きるからである。せいぜい2曲か3曲に留めておくのがコツなのだ。
そこで私は「I Still Feel The Same About You」が終わるとすぐに針を上げてもらった。
「コルトレーンの後でこれはちょっと場違いでしたかね」と私がいうと、先輩は「いやいや、こういうのも悪くない」といった後で、「しかしこれはジャズじゃない」と一言付け加えた。
確かにそうだ。ジャズの要素はほとんどない。ローズマリー・クルーニーはジャズシンガーで通っているというだけの話なのである。

それから小一時間が経ちそろそろ帰ろうかと思った時、先輩がおもむろに「これはしばらく置いていけ」と私のレコードを指さした。
意外にも気に入ってくれたことが嬉しく、私は快く了解した。
しかしこれがそのレコードの見納めになった。
あれから既に約30年が経つが未だにそのレコードは返ってこないのだ。
今となってはそれがどんなジャケットだったかもはっきり覚えていない。しかも「I Still Feel The Same About You」の入ったアルバムがどこを探しても見つからないのである。ここでご紹介する「Sisters」にも収録されていない。
それが最近になって、一昨日ご紹介した「You're Just in Love」というアーリーヒッツに収録されているのを見つけたのだ。
私は小躍りして喜び、それを買い込んだ。
レコードはCDになったが、その甘い歌声は変わらない。感動がじわっとこみ上げてきた。
この曲が私の宝物になった瞬間である。

ROSEMARY CLOONEY 「You're Just in Love」

2008年12月29日 | Vocal

昨夜は十数名の友人たちと深夜まで〝年忘れジャズパーティ〟を行った。
この会はこれまで何度か不定期で開催しており、ジャズの好きな仲間たちの家に一品持ち寄りで出かける、いわばポットラック・パーティだ。
持ち寄るのは何も飲み物や食べ物だけではない。今回は心に残る1曲をCDで持ち寄った。
いろいろな曲が集まって、自己紹介しながらそれを1曲ずつ聴いていくのはなかなか楽しいものだが、私はこのローズマリー・クルーニーのアーリーヒッツというベスト盤の中から、3曲目の「 I Still Feel The Same About You」を選んで持参した。

この曲は学生の頃、FENで聴いてとても気に入り、その場ですぐさまメモを採って、この曲の入ったLPレコードを探し入手した(レコード名は忘れてしまった)。
ただこの当時は貧乏学生だったために、今のように気に入ったレコードを片っ端から手に入れて聴くなどということは到底できないことだった。だから今以上に愛着を持って入手したレコードを、繰り返し繰り返し聴いていた。
この曲でロージーは妹のベティ・クルーニーと共にデュエットしているだが、これが実にいいハーモニーを奏でており、聴いている時はまさに夢心地であった。

そんな折り、ジャズファンで名が通っていた先輩のO氏の家に招かれる機会を得た。
O氏の家は練馬の石神井公園の脇にあった。
私はローズマリー・クルーニーのレコードを抱えてその家に行くと、思い切って玄関をノックした。
「おう、きたか」と口ひげを生やしたO氏が出てきて、自分の部屋に招き入れてくれた。
部屋にはモノクロのジャズのポスターがあちこちに貼ってあり、大きなJBLのスピーカーからはすさまじい音でコルトレーンがかかっていた。あれは間違いなく「アセンション」だったと思う。
既に他の友人たちも来ていて、一瞬「どうも」という目で挨拶をするものの、みんなこの音楽を理解するのに必死の様子だった。
まぁ、半分は覚悟していたのだが、どうやら私が持参したレコードは完全に場違いのシロモノだった。

....ちょっと長くなりそうなのでこの続きは明日書きます。

SUE RANEY 「SONGS FOR A RANEY DAY」

2008年11月28日 | Vocal

このところ天気が悪い。毎日雨続きである。
ということで今日はそんな雨にちなんだレコードを取り出した。スー・レイニーの「ソング・フォー・ア・レイニー・デイ」である。この語呂合わせ以上に内容はすばらしく、これをかけると雨の日も幸せいっぱいの気持ちになる。

話は変わるが、こういうアルバムはやはりレコードに限る。CDではその楽しみの半分も味わえないだろうと思う。
ではCDとレコードの違いは一体どこにあるんだろう。
まず音であるが、これは一概にどちらがいいとはいえない。レコードが断然いい場合と、CDが抜群にいい場合とがあるので、これは引き分け。
次に操作性だが、これはCDの方がいい。ケースをパカっと開け、CDを取り出しターンテーブルに乗せ、再生ボタンを押すだけだ。その点、レコードは針先も含めクリーニングしなければならず(毎回とは限らないが...)、そこに大きな時間のロスが出る。
しかし、その一連の動作をしている時のわくわく感はCDとは比べものにならない。そっと針を置く瞬間、そのわくわく感は最高潮に達する。要するにレコードの方が聴くときの緊張感や集中力が高まり、音楽を聴く喜びが大きくなるということなのだ。
但し、車の中でも聴けるCDの手軽さも捨てがたい。まぁ、こちらも痛み分けといったところかもしれない。
次にジャケットの楽しみ方である。
これは圧倒的にレコードが上回っている。単純に広い面積を有しているというだけのことではあるが、その面積比以上に効果は絶大だ。
このスー・レイニーのジャケットに限らず、古いヴォーカルアルバムは皆、ジャケット半分、中身の音半分といった価値感で成り立っている。
ジャケットを眺めながら、流れる音楽を楽しむ。つまり視覚と聴覚をフルに使って楽しむのである。ついでにカビ臭いジャケットの匂いなども嗅ぎながらだとなおいい。五感で感じてこそ感性が高まるというものだ。
最近はインターネットを通じての音楽配信が主流になりつつあるようだが、このシステムで音楽を購入しても、ダウンロードした音楽が自分のものになったという感覚は、残念ながら微塵も得られない。これはその行為に実体が伴わないためである。音楽も使い捨ての時代だよということなのかもしれないが、私は嫌だ。

この続きはまた明日にでも書いてみようと思う。

CECILIE NORBY 「my corner of the sky」

2008年04月22日 | Vocal

サイドメンの豪華なこと豪華なこと。
ピアノにはデイヴ・キコスキー、ジョーイ・カルデラッツォ、ラーシュ・ヤンソン。ベースにはラーシュ・ダニエルソン、レナート・ギンマン。ドラムスにはアレックス・リール、テリ・リン・キャリントン。この他、スコット・ロビンソン(fl)や、ランディ・ブレッカー(tp)とマイケル・ブレッカー(ts)のブレッカーブラザースが入っている。
これだけ話題の人がバックに揃っていると、それだけでも興味津々だ。

セシリア・ノービーはデンマーク出身の歌姫だ。
ライナーノーツを読むと、デンマークで一番早くブルーノートレーベルと契約したのも彼女らしい。
但しブルーノートとはいえ、この作品はずいぶんポップな仕上がりになっている。100%純粋なジャズヴォーカルアルバムだと思って買った人はちょっと戸惑うかもしれない。
目立つことといえば、バート・バカラックの「The Look Of Love」やスティングの「Set Them Free」、レオン・ラッセルの「A Song For You」、映画バクダッド・カフェの主題歌「Calling You」など、聞き慣れた曲が何曲も入っていることだ。
これらの曲の仕上がりは純粋なジャズからはちょっと外れるが、それがどうであろうと重要なのは彼女の声に酔えるかどうかなのである。
安定感のある歌唱力、深く伸びのある声質、ちょっと気怠い大人の雰囲気、私は充分に酔える。
ジャズヴォーカルにこだわる方もご心配無用。アルバム後半に入ると、「What Do You See In Her」「Just One Of Those Things」「Snow」と立て続けに、いわゆるジャズとしての〈聴かせる〉ナンバーが出てくる。
こういった構成の方が万人を飽きさせなくていいのかもしれない。

全体の味付けはやっぱり北欧特有のものだ。
どこかひんやりとしたムードが漂う。澄んだ声が余計に透き通って見えるのだ。
そんな環境の中でポピュラーとジャズのボーダーラインを行ったり来たり。
これからもどちらかに偏らないことを願う。
ここが彼女の定位置なのだ。

JACKIE & ROY 「TIME & LOVE」

2008年03月01日 | Vocal

このアルバムの関係者を見ていこう。
制作はクリード・テイラー(CTIレーベル)。
編曲・指揮がドン・セベスキー。
エンジニアはルディ・ヴァン・ゲルダー。
主役はジャッキー&ロイ(ジャッキー・ケインとロイ・クラールの夫婦)。
バックには、アルト・サックスにポール・デスモンド、ベースにロン・カーター、ドラムスがビリー・コブハム、フルートにヒューバート・ローズ、ピアノはボブ・ジェームス、ギターにジェイ・バーリナー、パーカッションはアイアート・モレイラとフィル・クラウス。
いい意味で、聴く前から中の音がイメージできる。
中でも3曲目の「Summer Song/ Summertime」や4曲目の「Bachianas Brasileiras #5」は、いかにもドン・セベスキーといった味付けがなされている。
彼の手腕が光ったジム・ホールの名作「アランフェス協奏曲」を彷彿とさせるが、そういえばこの「アランフェス協奏曲」にもポール・デスモンドが参加していた。このポール・デスモンドの魅力を最大限に引き上げたのがクリード・テイラーであり、ドン・セベスキーだったのではないだろうか。
私がポール・デスモンドの大ファンになったのもきっと彼らのお陰なのである。
それにしてもデスモンドの吹く爽やかなアルト・サックスと、ジャッキー&ロイの澄んだ歌声が実によく似合っている。3曲目だけの登場がもったいないくらいだ。なぜ全曲にデスモンドを参加させなかったのか、それだけが残念だ。

録音は1972年6月になっており、当時の匂いがプンプンしてくるアルバムだ。これを古くさいと感じる人もいるだろうが、ジャッキー・ケインのスキャットを聴いていると、第1期リターン・トゥ・フォーエバーのフローラ・プリムにも似て心が浄化されていくような気分を味わえる。私なんかはむしろこの時代の音を新鮮な気持ちで楽しめる。
何ともいえない愛しさが感じられるアルバムだと思う。


ABBEY LINCOLN 「That's Him」

2008年01月25日 | Vocal

何はともあれバックのメンバーがすごい。
ソニー・ロリンズ(ts)、ケニー・ドーハム(tp)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、マックス・ローチ(ds)。
録音されたのが1957年だから、ロリンズはじめ全員の絶頂期である。だからこのアルバム、悪かろうはずがない。
考えてみればロリンズがこの時期にこうして歌伴を務めるなんてあまり聞いたことがない。
彼はもともとフロントに立つのが似合う人で、その豪快さから誰かの盛り上げ役になるなんてちょっと想像しにくい部分があるのだが、このアルバムを聴くとそれがいかに偏見であるかがわかるのだ。
どの曲もこうしたスーパーなバック陣に支えられて聴き応え充分のアルバムに仕上がっている。

さて主役はアビー・リンカーンである。マックス・ローチの奥さんだった人だ。
本名をアンナ・マリー・ウールドリッジという。このアルバムが発表される数年前には、キャビー・リーという名で歌っていたそうだが、1956年にアビー・リンカーンという名に替えたらしい。何とアメリカ初代大統領の名を拝借したのだ。
このことからもわかるように彼女は強い政治的思想を持った人だった。
マックス・ローチと結婚したのも、ローチが人種差別と徹底的に戦っていた姿勢に共感したためだと聞く。
こうした背景は彼女の歌い方にも影響を与えているように感じる。
どこかビリー・ホリディのようであり、ニーナ・シモンのようでもある。
上記の二人ほど重苦しくはないが、彼女の歌にも情念を感じるのだ。ゴスペルっぽい部分もある。

有名なのは1曲目の「Strong Man」かもしれないが、個人的にはラストの「Don't Explain」が好きである。
押し殺したようにつぶやくリンカーンもいいし、ドーハムのソロにも惹かれる。ついでにポール・チェンバースの替わりに弾いたというウィントン・ケリーのベースが単調ながら印象的だ。
何かと話題に事欠かない希有な作品である。


NINA SIMONE 「JAZZ AS PLAYED IN...」

2007年12月04日 | Vocal

このニーナ・シモンのアルバムタイトルは「Jazz as Played in an Exclusive Side Street Club」と長い。日本では「ファースト・レコーディング」といった方が通りがいい作品だ。ジャズファン以外にも有名なベツレヘムの人気盤である。
彼女の歌はもうめちゃくちゃソウルフルだ。
名曲「I Love You Porgy」などを真剣に聴いていると涙がこみ上げてきそうで怖い。これだけ魂を揺さぶるヴォーカリストはどこを探してもいないと断言できる。これはもう好きとか嫌いとかいうような次元の話ではなく、私たちは彼女の存在自体をしっかり認識しなければいけないような気にさせるからすごい人だと思う。

彼女の持つこの一種独特な疎外感はいったいどこからくるのだろう。
とても失礼ないい方になってしまうが、まず彼女の表情が見るからに寂しげだ。まるで長い間虐げられてきた黒人の悲しさを一手に引き受けているような憂いがある。どんなに豪華なドレスを着たりイヤリングを下げようとも、彼女にはなぜか孤独感がつきまとうのだ。
ピアノの弾き語りというスタイルも大きく影響しているかもしれない。ピアノを弾くことで大きなボディランゲージができなくなり、その結果、鬱積された思いは歌以外にピアノを通じても伝わってくるのである。
彼女のピアノはそうした意味でも他のピアニストとは違う音を出す。彼女がジャズ・ヴォーカリストであるという事実はこのピアノがつくり出すものであり、彼女からピアノを取り上げれば純粋なソウル歌手になってしまう。

このアルバムはそんなニーナ・シモンの魅力を余すところなく伝える傑作である。
もちろん「I Love You Porgy」も好きだが、4曲目の「Little Girl Blue」が個人的なイチオシだ。
イントロの可憐なピアノが聞こえてくる辺りでもう万感胸に迫るものがある。
彼女のジャズピアノを堪能したければ、歌なしのトリオで演奏される7曲目の「Good Bait」とラストの「Central Park Blues」がお薦めだ。ここでのピアノを聴いていると、チェット・ベイカーがトランペットを歌うように吹くのと同じであることがわかる。ピアノは彼女の分身なのだ。

朝方から降っていた雨が雪に変わってきた。この季節に彼女の歌はよく似合う。最高の一枚だ。



※明日からまた一週間ほど留守にします....

BEV KELLY 「BEV KELLY IN PERSON」

2007年11月04日 | Vocal

歌は決してうまくないが、とても魅力のある人だ。
今はもう閉めてしまったレコード店でこのアルバムを見つけたのだが、彼女のこの笑顔が気に入って購入したのを覚えている。実に単純なものだ。
ベヴ・ケリーはパット・モランと組んだカルテットでの歌声も良かったが、ソロ・シンガーとなってからはますますその魅力に拍車がかかったように思う。これはそんな彼女が1960年にサンフランシスコのThe Coffee Galleryというクラブで録音したライヴアルバムである。

彼女の声質はかなりコケティッシュだ。ここには曲の合間に客への曲紹介などをしている彼女の肉声が収録されているが、その生の声を聞けばすぐわかる。しかしそれを売りにしていないところが彼女の魅力なのだ。
歌い方は意外とダイナミックである。もともと声量がない方なので聴いていて苦しくなる場面もあるが、その分一生懸命さが伝わってくる。そういう点で庶民感覚のあるシンガーだともいえるのではないだろうか。
ただ本当に彼女の魅力を伝えているのは「Then I'll Be Tired Of You」や「My Foolish Heart」、「My Funny Valentine」のようなスローなスタンダードナンバーである。耳元で囁くように歌い始め、徐々に盛り上げていくのが彼女の特徴だ。スローなナンバーだとその愛らしさがグッと際立ってくる。
ポニー・ポインデクスターのアルト・サックスも彼女の歌を引き立てており好感が持てる。

だいたいこういったくつろいだ雰囲気が私のお気に入りだ。
クラブで聴く女性ヴォーカルは、あまりしつこい歌い方であってはいけない。要するに歌や演奏よりもお酒や連れとの会話がメインなのである。そこを理解しているかどうかがいいジャズメンかどうかの分かれ道だといえる。
私はクラシックのような大規模なジャズコンサートは好きではない。もっとこぢんまりとしたステージで観たいといつも思っている。
そんな思いを抱くようになったのも、ここでのベヴ・ケリーに影響されたせいかもしれない。

BOZ SCAGGS 「but beautiful」

2007年10月18日 | Vocal

ここしばらくは車での移動時間が一番ゆっくりジャズを聴けるひとときだ。
今日は車で片道約3時間の距離にある町まで出かけたのだが、こりゃあ、たっぷり聴けるなと思い、昨日から何枚かのアルバムをMDに落とし込んでおいた。
車にはiPodも装着できるのだが、愛用しているiPodが古いせいかどうもこのところ調子が悪い。で、MDになったのだ。
私の車は買ったときから大小合わせて8つものスピーカーが付いていてなかなかの音がする。他には全くと言っていいほど余計なものは付いていないのに、カーオーディオだけが充実しているという変な車なのだ。
まぁ、それはともかく、今日聴いた中で一番グッと来たのがボズの「but beautiful」だった。
彼の歌声は胸がしめつけられるように甘く切ない。
この作品は、1970年代半ばから後半にかけて「Silk Degrees」「Down Two Then Left」「Middle Man」と立て続けにヒットアルバムを出し、AORの代名詞ともいえる存在になったあのボズ・スキャッグスによる、全編ジャズ・スタンダード集なのだ。
そういえば彼とも親交が深い同じAORの大スターであるボビー・コールドウェルも、今や押しも押されぬジャズシンガーになった。
要するにAORは多分にジャズのエッセンスを詰め込んだミュージック・シーンだったのだ。その証拠に、ボズ最大のヒット曲である「We're All Alone」を聴いていても、このジャズ・スタンダード集を聴いていても何も違和感がない。
「最近のジャズヴォーカル自体がすでにポップス化しているんだよ」といわれればそうかもしれないとも思うが、こうしたポップス界の大御所が本格的なジャズのスタンダードを歌うことには心から拍手を贈りたい気持ちだ。

宵闇が迫る高速道路を北に向かってひたすら走った。
遠くの街並みがシルエットになって浮かび上がるのが見えた。
こんなシーンにボズ以外の曲は似合うはずもない、とか何とか車内で一人、目一杯の感動に包まれていた。