motorsport.com日本版より。
2006年にF1デビューを果たし、4シーズンに渡ってウイリアムズで奮闘したニコ・ロズベルグは2010年、ブラウンGPを引き継ぐ形で参入したメルセデスF1チームに加入した。
彼は自身のチームメイトがニック・ハイドフェルドになると思っていたが、最終的に7度のF1王者であるミハエル・シューマッハーがメルセデスからの衝撃的な復帰を発表。ロズベルグとコンビを組むことになった。
ロズベルグはF1公式YouTube動画でのデビッド・クルサードによるインタビューの中で、シューマッハーと共に戦った3シーズンについて振り返った。
「シューマッハーの名前は(チームメイト候補に)挙がっていなかったので、誰も彼について話していなかった」とロズベルグは言う。
「そしたら突然ロス(ブラウン/当時のチーム代表)から電話がかかってきて、僕に言ったんだ。『ちなみに君のチームメイトはジェンソン・バトンでもニック・ハイドフェルドでもなく、ミハエル・シューマッハーになるから』とね」
「僕は『なんてこった』と思ったし、ミハエルがチームを操ることでチーム全体が僕の敵になる、僕にはチャンスがないと思った」
「そもそも、彼のペースについていけるかどうかも分からなかった。彼は歴史に残るドライバーだし、僕にチャンスがあるのか? それを聞いた時はクレイジーな瞬間だったよ」
ただ蓋を開けてみると、ロズベルグが3年連続でシューマッハーを上回った。2012年の中国GPでは自身初優勝を挙げると共に、メルセデスに復帰後初の優勝をもたらした。
とは言え、メルセデス加入前に表彰台を2度しか獲得していなかったロズベルグが、シューマッハーのいるチームで一定の地位を築くのには時間がかかった。
「ミハエルがチームにやってきた時、彼は“神”のようだった」とロズベルグは振り返る。
「戦略に関するミーティングを行なう時、チームは僕の戦略ですらミハエルと話し合っていた。僕がそこに座っているのにね」
「だから僕はそのミーティングを開いているストラテジストに相談して、それからは一緒に戦略を考えるようになった。これは僕にとって大きな影響を与えた」
「僕は前よりもずっと快適に感じられるようになった。最終的には僕の不屈の精神を見せつけ、僕の気持ちを伝えることで、注目してもらえるようになった」
ロズベルグはまた、シューマッハーが心理的な戦いを仕掛ける人間であったと語り、冗談交じりにあるエピソードを披露した。
「色んな例がある。例えばモナコのトイレでの出来事だ」
「ガレージにはトイレがひとつしかなかった。予選の5分前に僕は(シューマッハーが入っている個室の)ドアを必死にノックした。パニックになっていたから『誰か分からないけど中にいる人は早く出てきてくれ!』と言いながらね。予選の前に用を足す必要があったんだ」
「彼はその中に入っていて、ただ時計を見たりしてくつろいでいた。そうすれば僕の心にストレスが溜まっていくと知っているからだ。そして彼は予選の1分前になって『おっとごめん、君が待っているとは思わなかったよ』と言う感じで出てきた。僕はその時点で完全なパニックに陥っていた」
「他にもあった。彼はエンジニアリングルームを上半身裸で歩き回るのが好きだった。彼は自分の彫刻のようなシックスパックの腹筋を見せつけてみんなを驚かせたかったんだ」
「そういうことはずっと続いた。例を挙げるとキリがないよ」<了>
これはF1のような対戦系スポーツの場合、チームメイトが身近な敵となる。
過去に、同様な駆け引きや争いごとが繰り返されてきた歴史があるのは、モーターレーシングファンならご存知の通り。
多くの伝説の王者たちは大なり小なり、このような駆け引きも含め、自分を優位に置き、戦いに勝ち残ってきた者でもある。
おそらく日本人が最も不得手とする部分だろう。
でも、自らが勝つためには、人間的に非難されようが、徹底的に(完膚なきまで)戦い切るのがセオリーとなる。
勝負事は相手が嫌がることを徹底的にするのが基本である。
そこまでやれない人間は勝つ権利が得られない非情な世界でもある。
ニコ(ロズベルグ)も、この3年間での経験が後々活かされ、最強のチームメイト(ルイス・ハミルトン)を破り、悲願の年間王者になったのだから、あながち無駄な経験でもなかったはずだ。
でも、彼の気質や性格からこういう駆け引きはあまり好んでいないようだから、王者獲得後にすぐ引退してしまったのだろう。
もう1~2年、鎬を削る戦いに耐えられる精神力とモチベーションは持ち合わせていなかったのは、何となく見えていたので、妥当な判断をしたと思っています。
2006年にF1デビューを果たし、4シーズンに渡ってウイリアムズで奮闘したニコ・ロズベルグは2010年、ブラウンGPを引き継ぐ形で参入したメルセデスF1チームに加入した。
彼は自身のチームメイトがニック・ハイドフェルドになると思っていたが、最終的に7度のF1王者であるミハエル・シューマッハーがメルセデスからの衝撃的な復帰を発表。ロズベルグとコンビを組むことになった。
ロズベルグはF1公式YouTube動画でのデビッド・クルサードによるインタビューの中で、シューマッハーと共に戦った3シーズンについて振り返った。
「シューマッハーの名前は(チームメイト候補に)挙がっていなかったので、誰も彼について話していなかった」とロズベルグは言う。
「そしたら突然ロス(ブラウン/当時のチーム代表)から電話がかかってきて、僕に言ったんだ。『ちなみに君のチームメイトはジェンソン・バトンでもニック・ハイドフェルドでもなく、ミハエル・シューマッハーになるから』とね」
「僕は『なんてこった』と思ったし、ミハエルがチームを操ることでチーム全体が僕の敵になる、僕にはチャンスがないと思った」
「そもそも、彼のペースについていけるかどうかも分からなかった。彼は歴史に残るドライバーだし、僕にチャンスがあるのか? それを聞いた時はクレイジーな瞬間だったよ」
ただ蓋を開けてみると、ロズベルグが3年連続でシューマッハーを上回った。2012年の中国GPでは自身初優勝を挙げると共に、メルセデスに復帰後初の優勝をもたらした。
とは言え、メルセデス加入前に表彰台を2度しか獲得していなかったロズベルグが、シューマッハーのいるチームで一定の地位を築くのには時間がかかった。
「ミハエルがチームにやってきた時、彼は“神”のようだった」とロズベルグは振り返る。
「戦略に関するミーティングを行なう時、チームは僕の戦略ですらミハエルと話し合っていた。僕がそこに座っているのにね」
「だから僕はそのミーティングを開いているストラテジストに相談して、それからは一緒に戦略を考えるようになった。これは僕にとって大きな影響を与えた」
「僕は前よりもずっと快適に感じられるようになった。最終的には僕の不屈の精神を見せつけ、僕の気持ちを伝えることで、注目してもらえるようになった」
ロズベルグはまた、シューマッハーが心理的な戦いを仕掛ける人間であったと語り、冗談交じりにあるエピソードを披露した。
「色んな例がある。例えばモナコのトイレでの出来事だ」
「ガレージにはトイレがひとつしかなかった。予選の5分前に僕は(シューマッハーが入っている個室の)ドアを必死にノックした。パニックになっていたから『誰か分からないけど中にいる人は早く出てきてくれ!』と言いながらね。予選の前に用を足す必要があったんだ」
「彼はその中に入っていて、ただ時計を見たりしてくつろいでいた。そうすれば僕の心にストレスが溜まっていくと知っているからだ。そして彼は予選の1分前になって『おっとごめん、君が待っているとは思わなかったよ』と言う感じで出てきた。僕はその時点で完全なパニックに陥っていた」
「他にもあった。彼はエンジニアリングルームを上半身裸で歩き回るのが好きだった。彼は自分の彫刻のようなシックスパックの腹筋を見せつけてみんなを驚かせたかったんだ」
「そういうことはずっと続いた。例を挙げるとキリがないよ」<了>
これはF1のような対戦系スポーツの場合、チームメイトが身近な敵となる。
過去に、同様な駆け引きや争いごとが繰り返されてきた歴史があるのは、モーターレーシングファンならご存知の通り。
多くの伝説の王者たちは大なり小なり、このような駆け引きも含め、自分を優位に置き、戦いに勝ち残ってきた者でもある。
おそらく日本人が最も不得手とする部分だろう。
でも、自らが勝つためには、人間的に非難されようが、徹底的に(完膚なきまで)戦い切るのがセオリーとなる。
勝負事は相手が嫌がることを徹底的にするのが基本である。
そこまでやれない人間は勝つ権利が得られない非情な世界でもある。
ニコ(ロズベルグ)も、この3年間での経験が後々活かされ、最強のチームメイト(ルイス・ハミルトン)を破り、悲願の年間王者になったのだから、あながち無駄な経験でもなかったはずだ。
でも、彼の気質や性格からこういう駆け引きはあまり好んでいないようだから、王者獲得後にすぐ引退してしまったのだろう。
もう1~2年、鎬を削る戦いに耐えられる精神力とモチベーションは持ち合わせていなかったのは、何となく見えていたので、妥当な判断をしたと思っています。