年越そばを食す前に、ちょっと薀蓄話しを。
江戸時代までは蕎麦掻や蕎麦煉りと言って蕎麦粉を熱湯で練って餅状に汁をつけて食べていたが、慶長年間(1596~1614年)に細長い蕎麦「生蕎麦」が登場し、元禄年間(1688~1703年)に小麦粉つなぎに使い「蕎麦切り」という現代の蕎麦と同じものが出来、安永年間(1772~1781年)に定着したといわれる。
寛文四年(1664年)に蕎麦屋の屋台が浅草で始まったと言われ一杯が6文、剣客商売の時代である明和安永年間(1764~1780年)以降は16文に定着した。
最初は蒸籠(せいろ)で蒸した「もり」(現在の「もり」「かけ」が蒸籠に乗って出てくるのは、その名残)だが、上から汁をかけて食べる「かけ」が主流になった。寒い時期は温かい「かけ」が好まれたようだ。
他のメニューは江戸後期には天麩羅蕎麦、花巻(もみ海苔をかけた蕎麦)、玉子とじ、しっぽく(玉子焼き、蒲鉾、椎茸、くわいなどを乗せたもの)、御膳大蒸籠があったそうだ。
そして、天明年間(1781~1789年)のはじめに、大坂から来た者(利助?)が江戸に天麩羅を伝えたと言われている。
時代の流れを味わいながら年越そばを食し、今年を振り返り、来年に思いを馳せるのもオツなのではないだろうか?食った気がしないかぁ~。
江戸時代までは蕎麦掻や蕎麦煉りと言って蕎麦粉を熱湯で練って餅状に汁をつけて食べていたが、慶長年間(1596~1614年)に細長い蕎麦「生蕎麦」が登場し、元禄年間(1688~1703年)に小麦粉つなぎに使い「蕎麦切り」という現代の蕎麦と同じものが出来、安永年間(1772~1781年)に定着したといわれる。
寛文四年(1664年)に蕎麦屋の屋台が浅草で始まったと言われ一杯が6文、剣客商売の時代である明和安永年間(1764~1780年)以降は16文に定着した。
最初は蒸籠(せいろ)で蒸した「もり」(現在の「もり」「かけ」が蒸籠に乗って出てくるのは、その名残)だが、上から汁をかけて食べる「かけ」が主流になった。寒い時期は温かい「かけ」が好まれたようだ。
他のメニューは江戸後期には天麩羅蕎麦、花巻(もみ海苔をかけた蕎麦)、玉子とじ、しっぽく(玉子焼き、蒲鉾、椎茸、くわいなどを乗せたもの)、御膳大蒸籠があったそうだ。
そして、天明年間(1781~1789年)のはじめに、大坂から来た者(利助?)が江戸に天麩羅を伝えたと言われている。
時代の流れを味わいながら年越そばを食し、今年を振り返り、来年に思いを馳せるのもオツなのではないだろうか?食った気がしないかぁ~。