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buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

極東で最も美しい居留地・神戸旧居留地

2011年05月09日 | 旅のお話



写真は旧居留地38番地の大丸神戸店です。
洋風建築をそのままうまく現代にとけ込ませた品のある老舗デパートです。






上の写真は大丸の横を通る明石筋からトアロード方向を眺めた歩道。
下は海岸通り10番地あたり。



下の写真は旧居留地9番地のチャータードビル



チャータードビルは大正時代末期に来日したアメリカ人設計士J・H・モーガンが1944年(昭和13年)
イギリスのチャータード銀行にオーダーされ、建てました。
建築家モーガンは1920年に日本フラー建築会社の設計技師長としてアメリカから来日しました。
フラー社は関東大震災後、日本から撤退してしまいましたが、モーガンはそのまま日本に残りました。
モーガンの作品は横浜市中区山手町にベーリックホール、山手111番館などが残っています。

旧居留地は
1868年に神戸にやってきたイギリス人の土木技師JWハートによって計画されました。
彼は南米のペルーを経て、中国上海でドッグの建設に携わったあと、神戸居留地行事局に雇われた『御雇い外国人』です。
初代兵庫県知事の伊藤博文と協議して、72年に居留地の計画図を作成。
公園、運動場、下水道、ガス灯などが完備した町づくりは、『極東のモデル居留地』であり、
ハートは神戸にユートピアを作り出そうとしていた、と言われています。

居留地は30年を経て、返還されますが、そのときのフランス領事のスピーチが以下です。

「30年前、日本当局がわれわれ外国人に神戸の居留地を引き渡した時、その地は正真正銘の砂浜でした。
今日、私たちは、その同じ場所を、美しい建物が立ち並び、倉庫という倉庫には商品があふれた、
立派な町に変えて日本政府に返還いたします。
この町こそ西洋諸国民の才能の真髄を現す実例であり、象徴であります。
(中略)広く美しい並木通り、夜間ガス灯が明るく照らし出す見事な煉瓦造りの歩道、
石畳の十字路、今後更に美化され、利用度が高められようとしている遊園地、
この整然として清潔な神戸居留地のたたずまいがいたるところで話題を呼び、
『極東のモデル居留地』という賞賛をいただいております。」

(神戸外国人居留地研究会、2005)


現代までの神戸の貴重な遺産を歩いて見ることができました。





参考文献・出典
http://www.kobe-kyoryuchi.com/index.htm神戸旧居留地
神戸新聞社(2004)「神戸ゆかりの50人」Part2 歴史と観光の散策ガイド 神戸新聞総合出版センター
http://www.tcs-kobe.com/concept.html ザ・チャータードスクエアの誕生



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移情閣と孫文記念館

2011年05月05日 | 旅のお話



旧居留地を歩く旅の2日目の午前中は明石と舞子公園。
明石大橋と孫文記念館がお目当てでしたが、とっても残念なことに移情閣(孫文記念館)は月曜休館で
外観だけの見学となりました。






山陽電鉄舞子公園駅から徒歩5分、明石海峡大橋の脇にある孫文記念館(移情閣)は
神戸で活躍していた中国人実業家、呉錦堂の別荘『松海別荘』が前身で、
孫文が1913年来日したとき、神戸での歓迎昼食会の会場になった場所です。
この建物を見ていると、孫文を支えた呉錦堂などの神戸の中国人、日本人実業家たちの強い結びつきが感じられます。

1915年、別荘東側に八角三層の移情閣が建てられました。
外側は淡いもえぎ色。三角の屋根がちょっぴりかわいさを感じさせます。
移情閣の内部は、大正ロマンを感じさせる美しいまろやかな内装で、金唐紙という緑の地の上に金色に輝く
花模様の入った壁紙が見事に復元されています。
現在は国の重要文化財のひとつに指定されています。

移情閣は近代の歴史の流れがうずまく美しい建物です。


写真は2年前に撮った移情閣のサンルーフから眺める明石海峡大橋。きれいです。


<参考>
http://sonbun.or.jp/jp/index.php?option=com_content&task=view&id=14&Itemid=31
http://ijokaku-tomonokai.com/



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こてこての関西弁

2011年05月04日 | 旅のお話



神戸、大阪に旅行して、あまり関西弁を聞きませんでした。
電車内の放送は標準語でしたし、ホテルの従業員もみな標準語。

でも、阪神電車の駅員さん、道をきいた時の説明が
私が期待した関西弁で、何だか自分なりにはとっても満足。
それに阪急電車の隣に座っていた中年の女性2人のおしゃべり。
『宝塚歌劇団』の公演を見に行くようでしたが、
テレビドラマで見る大阪弁のトーク。
生の声が聞けてちょっと嬉しかったです。
内容もしっかり『宝塚オタク』って感じの会話でした。

しかし、大阪は人が多いですね~。
梅田の駅前は人の波、波、波。
人の整理に相当のガードマンが配置されていました。
大阪のパワーはすごいです。

関西の人は明るいし、街も明るい。
節電の影響はあまりないようで、夜も明るい関西でした。

一方、東日本大震災の応援のためのチャリティーコンサートや
イベントがいくつも開かれていましたし、募金箱もそこここに。
阪神淡路大震災の経験からか、何か行動を起こして助け合おう、
という気持ちが強く伝わって来ました。

途中寄った小さなカフェのオーナーさん。
『東京は地震の影響、どうですか?』と心配顔で
神戸の震災の時の話をしてくださいました。



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写真は神戸市営地下鉄の電車の天井。
広告が天井に貼られています。
東京とは違う表示の仕方。
おもしろかったです。
















神戸の旧居留地を歩く1

2011年05月04日 | 旅のお話


5月1日から3日まで神戸の旧居留地を中心に関西旅行を楽しみました。
今回は格安の旅なので、飛行機を利用、
羽田-伊丹、そこから阪急電車を使って三宮に向かいました。

三宮に着いてすぐに異人館のある北野に行きました。
2年前にお世話になった、神戸のNPO法人KOBE観光ガイドボランティアの幹事Aさんを
訪ねるためです。
でも、ゴールデンウィーク中はボランティアガイドのみなさんは各種イベントで大忙し。
その中でも中心的な働きをされているAさん。
今回は残念ながらガイドをお願いすることができませんでしたが、
お忙しい中、時間を取ってくださり、居留地歩きのポイントを教えてくださいました。






下記の写真はInfiorata KOBE KITANOZAKA の様子。
『インフォラータ』はイタリア語で『花を敷きつめる』という意味だそうです。





その後、北野の異人館を回りました。










もともと、北野は山の斜面にたくさんの畑地があり、
国の重要文化財である「風見鶏の家」のある場所は沼地だったということです。
(ガイドさんのお話だと、風見鶏の家を建てたトーマスさんは大金持ちだったので、
金に糸目をつけず、開墾、家の土台を作ったのだそうです)

1868年(慶応3年)の神戸開港の際に、港近くに外国人のための居留地が作られました。
当時、居留地の建物は1階が事務所、2階が住居となっているところが多かったそうですが、
職住が一緒になっている使い勝手の悪さがあったようです。
また、外国人の増加による居留地内での住宅地不足も起こっていました。

しかし、明治政府は諸外国との条約上、居留地を広げることは治外法権区域の拡大を意味するため、
居留地の拡大を認めず、範囲を区切って日本人との雑居を許しました。
神戸港を一望できる山の手の高台が新たな住宅地として認められ、
それが北野の異人館の始まりとなったそうです。

その後、山の手から居留地の仕事場まで約2キロほど、現在の『トアロード』を通って
通勤するというライフスタイルが外国人たちに定着したようです。


さて、写真の風見鶏の家ですが、ドイツ人の貿易商ゴットフリート・トーマスの邸宅で
同じくドイツ人の建築家ゲオルグ・デ・ラランデが設計し、明治42年頃に完成させた家です。
どっしりとした石積みの基礎のある家で、重厚な雰囲気があります。
また、その名の通り尖塔には風見鶏がついています。
風見鶏は風向きを知らせるだけでなく、警戒心の強い雄鶏として、魔除けの意味が
あるといいます。





トーマス邸はその後、中国人の学生たちの寮になります。
寮には寮監がいて、きちんと管理をしていたとのことで、比較的状態良く残っていたそうです。

100年も経っているいる家にはいろいろなエピソードがありそうですね。
家に歴史あり、です。
しかし、
最盛時、200軒ほどあった異人館は戦争を経て激減、現在では30棟あまりになってしまいました。
異人館の保守・保存にはとてもお金がかかるそうです。
ですから、現在は多くの異人館が入場料を取って館内を開放しています。
あるいは神戸市の管轄に入って、無料公開されている家もあります。

北野の周辺は
若い女性やカップルが目立つので、ちょっぴり原宿っぽい感じもしないでもありませんが、
異人館はちょっとロマンチックな感じもしますから、当然かもしれませんね。

さて、5月1日は午後、神戸に入ったこともあり、異人館のみで見学は終了。
神戸に来たら行く、というおいしいお魚を食べさせるお店で夕食をとり、ホテルに戻りました。





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5月2日は明石・舞子公園
神戸旧居留地です。















ウィークリーマンションに泊まる

2011年03月05日 | 旅のお話

春休みは上海に1週間ほど滞在する予定です。
でも、別に何を見るとか、何かを買うとか、の予定はありません。

初めて上海に行ったのはすでに25年以上も前のことで、
当時、神戸から『鑑真号』という船で2泊3日かかりました。
何だかスゴ~く昔っぽい話ですが、当時ちゃんと飛行機も飛んでいたのです。
ただ、お金の節約のための船便利用でした。

上海の港についてからは、カルチャーショックの連続でした。
国際都市と言ってもまだまだ外国人が少なかった時代のことですから。
今から思えば、懐かしい出来事ばかりです、、、。

それから毎年のように上海を訪れています。
主人の父の父、つまりおじいちゃんは
上海に設計事務所を持ち、主人の父は夏休みの間、
上海で過ごしていたそうですから、我が家にとっては
けっこう縁の深い場所です。

今回は1週間以上の滞在になるので、
1LDKのウィークリーマンションを借りることにしました。
上海の大学の寮に住んでいる長男も、1週間はバスタブ付(←重要)の
このマンションにやってきます。

上海のホテルは万博以降、若干宿泊料が下がっていますが、
5つ星クラスだと、1泊2万円近くかかってしまいます。
でもウィークリーマンションなら4つ星レベルでも1泊5000円ほどで
泊まれます。
今回は仕事じゃないので、節約もかねてウィークリーマンションを選び
ました。長くいればいるほど宿泊料が割り引かれます。

リビングがついているので、先生(息子の中国人の友人)を呼んで、
中国語のブラッシュアップをしてもいいし、
厨房付を有効活用して
友人や息子の友だちと日本食を作って食べるのもいいかな、と
いろいろな計画を立てています。

上海での生活は非日常です。
仕事をしていると、いろいろ気疲れしてしまいます。
年を取ってくると、なかなか回復できないこともあります。
だから、たまには息抜きをしないと、、、。
多少お金がかかっても、次からがんばりたい!という
モチベーションをあげるには、自分のために
必要な時間かな~、と思っています。

でも、本音を言えば、
最も楽しみなのはやっぱり息子に会える、ということですけど。



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上海留学生(一部)事情

2010年12月24日 | 旅のお話

長男はただいま上海留学中、、です。
そして、どんな留学生でも一時かかってしまう『ホームシック』の真最中。

日本で留学生と関わっていますが、
自分の身内を通して、別の面から留学というものを考えた今回の旅行です。

長男のルームメイトはヨーロッパの某国の学生。
夏の間、生ゴミを部屋に置きっぱなしにし、長男は小さなはえに悩まされたとか。
使ったお皿を片付けない、もういいかんげんにして!というところでしょうか。
ルームメイトは1月に帰国。
長男はゴールが見えたということで、我慢することにしたようです。

長男の友人(先輩)の静岡出身、A大学大学院から留学しているBさん。
こちらは日本人のC大学の大学生と同室でしたが、決裂して一人暮らしを始めたそうです。
Bさんは本当に穏やかな研究者タイプの頼れる先輩。
この人と決裂するのはどんな人だろう?と思うのですが、、、。
『頭が良くてとても有名な大学に入っていても、人間として×です!』とルームメイトを酷評。
部屋は禁煙なのに、タバコを吸い、その吸い殻をBさんの机の上においておく、
食べたものはそのまま置きっ放し、服は脱ぎっ放し、ノートや本も放り出したまま。

Bさんはストレスが溜まると、ちょこちょこ格安航空券を買って日本に帰国。
うまく留学生活のバランスを取っています。
上海と東京が近い、ということもありますが、昔とは大違いの中国留学です。

Dさんは長男の大学に今年の8月まで交換留学できていた中国人の女子学生です。
彼女の一人暮らし歴は高校生から。
長男が「大きな姉さん」と呼んで慕っているしっかり者の女の子です。
ただ、日本に留学しているときは、やっぱりホームシックにかかったそうですが、
日本人との『語学交換』をきっかけに立ち直った、ということでした。

どうやら、ストレスや寂しさをうまい具合にガス抜きする方法を見つければ
その後の留学生活はどうにかバランスを取りながら、全うすることができるのかもしれません。


この3人と私と夫で夕食を一緒にしました。
上海の日本料理屋。
食べ放題飲み放題で138元(1700円)
ただ、この3人、絶対にお刺身やお寿司を頼みません。
『生ものは日本に帰ってから』
合い言葉のようにこれを言っていました。
やきとり、肉じゃが、串カツ、トマト、モロキュウ、いかやき、ゲソあげ、
そして、なぜか日本風麻婆豆腐。最後にお茶漬けやうどん。
すご~い勢いで食べていました。

長男の連れて来た二人の先輩。
この二人とつき合っているなら、長男はどうやら大丈夫そうです。
ちょっと、というか、かなり安心しました。




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写真は上海の大学の学生寮の息子の部屋。まだ荷物が入る前です。





















羽田空港国際線ターミナル

2010年12月24日 | 旅のお話


今回の上海旅行は中国東方航空の羽田-上海線を利用しました。
新しいターミナル、初めてです。
実は8月に上海に行ったときは、(馴染みの)旧ターミナルからでした。

以前のターミナルは、小さな駅の待合室みたいなところで、
プレハブ建てのような感じ。
新ターミナルとはどうしても比べようがありません。

空港は京浜急行で品川から19分。
本当に便利です。
もちろん、韓国のインチョンや中国の上海(浦東)、北京の飛行場の規模から比べたら、
小さめですが、それでも都心からすごく近い、ということが何と言っても利点だと思います。

出発階の様子です。




出発階の京浜急行改札口を出てすぐのところにある
ウエシマコーヒー店の黒糖ミルクコーヒー、お薦めです。
普通はお砂糖は使わないのですが、
『やっと飛行場に着いた~』とホッとした時には
黒糖の甘みが疲れた身体に効き目あり!です。

ちょっと時間があれば、ぜひよってみてください。



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上海クリスマスメール

2010年12月24日 | 旅のお話




留学中の長男を訪ねて上海へ行っていました。
上海のクリスマスの雰囲気は、いまいち盛り上がってない感じ。
もちろんデパートなどではそれなりのイベントがあるのですが、、、。
街、全体では、まだまだというような。

写真は街角のお店の玄関口でよく見るサンタクロース。
いろいろなところで見かけるのですが、みな同じデザインです。
日本のサンタさんとはちょっと違いますが、
かわいくて優しい感じがしますよね。





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旅のお供はサザン

2010年09月15日 | 旅のお話
もうすぐ3連休です。
あいにく(、、というか幸いにもというか、、)
この3日間
家族はみなそれぞれ忙しいことがわかりました。

夫は関西に出張。
次男は文化祭前のバンドの練習。

私の方は
ちょうど試験が終わったところ、、金曜日までに採点を終わらせ
1泊2日のひとり旅にでることにしました。

土曜日の朝一番の新幹線で新潟から上越、
直江津へ。
今回は直江津の海辺を散歩し、夕日を見るための旅です。

翌日信越本線で妙高から長野へ。
上田で名物の刀そばを食べて、軽井沢から新幹線で
東京へ戻る1泊2日の旅行です。
このルートは私のお気に入りの周遊路で、3回目。
今回はJRのウィークエンドパスを使った旅です。
(私は鉄子です、、、)

長男の留学、次男の大学合格が決まり、私はかなりほっとしました。
これからは、もうちょっと自由に、自分なりの気侭な時間を
生活に取り入れていけたらな~、と思っています。

家族にこの計画を「じゃーん!」と発表すると
「日本中回ってきたら、、、」と言われてしましました。

趣味が異なるな~、、って思うのです。


旅のお供は
サザンオールサターズ、
井上陽水
チューリップ
ユーミン
尾崎豊

あ~、考えてみれば同年代のミュージシャンばかりです。
でも、彼らの音楽が一番自分の旅には、合っていると思うのです。

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絶好調

2010年09月05日 | 旅のお話

昨日は「どん底」のムラティさんのメールについて書きましたが、
逆に「絶好調」の友人もいます。
中国四川省成都の旅行社に勤める王さん。
四川省は大地震に遭った直後は、もちろん旅行どころではありませんでしたが、
ここ1,2年は世界自然遺産に指定された九寨溝、黄龍の観光が大人気なのです。
てんてこ舞いの忙しさ、ということです。
嬉し嬉しの悲鳴が聞こえてきそうです。

実は九寨溝に行くには、大地震の被災地、チベット族の村々をめぐる道を通って行くのが
数年前までの主流でした。
ところが、3200mのところに九寨溝の飛行場ができると、成都や西安などから続々と
飛行機で観光客が秘境に入って行くようになりました。

3500mの九寨溝の周辺に5つ星や4つ星のホテルが立ち並び、雇用が増え
貧しかったチベット族のの九つの村(九寨)はどんどん豊かになっていきました。

とは言っても、やっぱり秘境は秘境です。
原生林と水の織りなす自然の美しさは口ではとても語れません。




長い海



私は九寨溝には7、8回行きましたが、歳をとるごとに頭痛や吐き気などの高山症の症状が出てくるようになり、
行けなくなってしまいました。
何しろ、泊まっている場所が富士山の8合目から9合目付近ですから、、、。
でも、日本人の60代~70代のお客さんたちは本当に元気でした。
すごいパワー!
私も60代になったら、あんなエネルギーが出てくるのでしょうか、、、。


最初の写真は九寨溝の五彩池。
透明でどこまでもエメラルドグリーンの色が美しい小さな池です。


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空気が読めない(K Y) 周りが見えない(M M)

2010年08月29日 | 旅のお話

ホテルで朝食を食べていたときのお話です。

私と息子が滞在したホテルは欧米人と中国人の旅行客の多いホテルで、
日本人はわずかでした。

何だか、後ろで騒いでいる人がいるな~、と思ったら、
日本人の中年の男性2人でした。
日本語と中国語と英語をめちゃくちゃに使って、
「我々は朝食のサービスカードを持っている。なのになぜ、請求書を持ってくるんだ!」
とかなんとか、ずーっと3、4人の中国人スタッフ集めて文句を言っていました、、、。
最後には「支配人を出せ!」
20分ほど、その泡を飛ばすような激しい言い方の文句に、閉口。
(↑ 確かに中国ではよく見かける光景ですが、、、)

ホテルのブッフェはとっても種類が多く、サービスも悪くありませんでした。
それだけに、その日本人の文句は残念です!
もうちょっと小さな声で話すとか、うまく話をまとめる交渉をするとか、
何かできなかったのかな~、、、。

彼らには周りの人々に配慮する気持ちが欠けていたようです。
食事がまずくなりました。


思わず息子に

「マナーが悪過ぎる。日本でも同じようにするのかな~、、、。」

と言ってしましました。

ふたりの日本人がさらに文句を言いながら、食事を終えて出て行くと
テーブルを片付けている中国人スタッフたちが意味ありげに笑いながら、
目くばせしていました。


「しょうもない人たち、、。」


こういうことって、どこの国の人、とかあまり関係ないとは思うのですが、
日本語がわかるだけに「ちょっと、ちょっと~」って感じでした。


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小籠包のない上海なんて、、、

2010年08月26日 | 旅のお話

上海のホテルに泊まっています。
写真は42階の部屋から見た上海の風景。
郊外に向かって撮っていますが、高層ビルがずっと続いています。
もう、昔の上海とは違うんですね~、、、。

ずらりと並んだ高級車。
お金持ちの多い上海です。
でも、一方では貧富の差が一段と目立つようになりました。

お昼過ぎ、タクシーに乗って、上海の観光地豫園に行きました。
もう何十回とみた場所なので、豫園に入ることが目的ではなく、
その横にある南翔饅頭店の小籠包を食べに行ったのです。

行ってみるとすでに長蛇の列。
食べる場所によって値段が違います。
テイクアウトは16個入って30元。

2階と3階のテーブル席はその雰囲気(?)によって、席料が違います。
私たちが食べたのは1人15元の席料を払う場所。
お隣は外国人用(とはいうものの中国人ばかり)の1人30元の区画。
ちょっとテーブルや椅子が上品な感じがします。
ほんのちょっとですけど、、、。
小籠包は6個入って30元、味は外でも中でも同じです。








私たちも並んで待つこと20分。
やっと、上海を代表する点心を食べることができました。

上海に来たら、やっぱり南翔の小籠包を食べたいです。
食べないと、なんだか上海に来た感じがしないのです。

最後の写真は豫園から見た空。
これは80年代と変わらないん~、と思いました。











上海の夕飯

2010年08月25日 | 旅のお話

上海に到着しました。
大都市です。
以前よりもずっとずっと便利に感じます。
東京とあまり変わりません。

長男といっしょに来ましたが、昨日、上海到着と同時に長男は38度の熱を出しました。
中国に来るとよく熱が出る?
(北京に留学した時も1カ月で2回熱が出たのです)
とりあえずどうにかしなくちゃ、ということで
入ったばかりの留学保険を使って病院へ行くことになりました。

もちろん、病院は日本語が通じるところです。
お医者さんも看護婦さんもみな日本で勉強した人たちですから
日本語がペラペラ。
薬をもらって帰ってきました。
キャッシュレスです。
上海には日本人を対象にした病院やクリニックが10軒以上あるみたいです。

夜には長男は回復。
若いから薬が効くのも早いのでしょうか。

その後、近くのレストランで二人でご飯を食べました。
鶏肉の料理、野菜料理、小さな餃子、スープ、魚料理、チャーハンを食べて、
お茶を飲んで、1600円ぐらいでした。
ただ、量がとてつもなく多いので、もちろん食べきれませんでした。

写真はなんだか微妙にしお味がきいていておいしい野菜のいため物、
250円です。

さて、明日は買い物。
友人にも会います。
暑いのがちょっと憂鬱ですが、それでも楽しみな一日になりそうです。



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世界一の頑張り屋

2010年08月23日 | 旅のお話



明日から上海へ行きます。

上海から最近戻ってきた学生情報だと、
とんでもない暑さのようです。

今開催中の上海万博。
日本館、中国館、アメリカ館は大人気で
気温35度前後のところを5、6時間は待たないと入れない、ということでした。

35度で5、6時間待つなんて、尋常じゃありません。

昔、日本人は忍耐強い頑張り屋と言われていたけれど、
真のがんばり屋は上海の人たちかもしれませんね。


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上から見るか、平面から見るか

2010年08月23日 | 旅のお話
飛行機で日本の上を飛んでいると
「なんて山の多い国なんだろう!」って思う。

列車で旅をすると、
「平野が多い国」と感じる。

上から見るか、平面から見るか、、、
それで、ぐっと印象が変わる。

でも、日本は日本。
それは変わらない。

私を上から見ても、横から見ても
あまり変わりばえはしない。
だけど、私は私で、それでいい。


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