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文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

●高野川沿いの桜並木は、花の崖のようになっている。

2009年04月12日 00時24分47秒 | 日録雑感
晴れ渡った、土曜日なのに
朝から出勤して、ひたすら仕事。
6時間、ぶっ通しで文章を書く。
もう30年ぐらい続けていることだから
慣れてはいるが、書きながら
資料を見て、ところどころ見出しを創作しながら
伝えたい人と伝える人の間に立って書く。
目で追いながら、声を出して読みながら
文法をととのえて、正しい文に整えていく。
推敲もほぼリアルタイム。
目の筋肉が痙攣するほど。疲れる。
電話もほとんどなく、予定の夕刻に完了。

朝もそうだったが
高野川沿いの川端通の桜並木を
行きは、西岸から
帰りは、東岸から眺めつつ、車を走らせる。

何本桜の木が並んでいるのだろうか。
4キロか5キロぐらいあるだろうか。
車の窓を全開。
花吹雪が、車内にも入ってくる。
道路の端は、花屑が舞っている。

ラヴェルのピアノ協奏曲、第二楽章を
大きなボリュームで鳴らしながら
永遠へ向かっているようだった。

ピアノは、セシル・ウーセ。
伴奏の指揮は、ケーゲル。
はかない調べなのに、どうして
こんなに強い悲しみを奏でられるのだろうか。
自分の、淡くなる生をかかえるように
北へ、北の峰に向かいいつもよりゆっくりと帰宅する。

紅ふぶくいちめんの遺棄とおい鍵

ラヴェルのこの曲、
イヴォンヌ・レフェビュールとパレー指揮のものも好きだ。
第二楽章はとくに、女性のピアノが良い。


●なつかしいFM放送が始まったころのことを思い出した。40年前。

2009年03月20日 22時25分45秒 | 日録雑感
なんかいま、NHKテレビでFMの歴史というか、回顧をやっていて
なつかしかった。
NHKのFMって、69年開始だったんだ。
でも、そんなことないだろって思った。
69年といえば、ぼくは
高校2年か3年。
それよりも少し前に始まったように記憶していた。
コルトレーンの音楽をラジオでしかもステレオで聴ける
これは、ほんとに奇跡のように思った。
いまテレビの番組で確認したら、数年、試験放送ってあったんだね。
試験放送。それも「わくわくしたこと」を思い出した。
あの頃は、FM東京でしたね。まだNHKはやってなかった。
その試験放送で、右のスピーカーから聞こえますか、
左に移動しましたか、とかほんとに試験やってたのも思い出した。
その頃、
高校で、珠算の試験のときになぜか
会場の世話役かなんかやっていて
ぼくは当時珍しい、ラジオのステレオが
始まったということで、ラジオを持っていった。
イヤホンではなく、これもなぜか大きく
スピーカーで流していた。
番組も曲も鮮烈に覚えている。

DJは、スィングジャーナル編集長、児山紀児だった。
曲目は、2曲、覚えている。

ウェイン・ショーターの「アダムスアップル」。
そのあと児山氏が、モードジャズについて語っていた。
それからジャズクルセダーズのライトハウスのライブ
たぶん曲は「ヤングラビット」だった。

ジャズクルセダーズのアルバムは、いまも
探し続けている。レーベルは、パシフィック盤。
強烈だった。かっこよかった。

ウェイン・ショーターは、ブルーノートレーベル期が
いまでも大好きだ。

ぼくは、商業科の学生で学校もさぼって
ジャズと蝶採集に熱中していた。
恋もせず、ただただ、孤独に青春していた。

そして、高校の文化祭で、教室をジャズ喫茶にして
マイルスを大音響でかけていた。

あれは、多分、「音響」の時代だったんだ
と思う。ラジオの深夜にAMからながれる
モノの世界から、一気にカラフルになった音。

懐かしい。
でもあの頃、音楽で、しあわせだった。

そうそう、大好きだったのが、油井正一がDJをやっていた
「アスペクトインジャズ」という番組。
テーマ曲が、ジェリー・マリガンの「ナイトライツ」の中の
ショパンのエチュードをジャズでやったものだった。

最近は、クラシックばかり聴いているけれど
ぼくは、ジャズが好きなのだ。


●オバマ大統領の演説の中の言葉で、パーカーを偲んでしまった。

2009年01月21日 22時19分01秒 | 日録雑感
テレビのニュースで、オバマ氏の演説を聞いた。
中で、「60年前までは、レストラン云々」という箇所でぐっときた。
夕刊をひらいて確認してみた。

「60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかった
かもしれない父を持つ男が、神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つこと
ができるのか、」

という言葉。泣かせる、しかも、それは隠喩ではあるが、直立している。
この演説の脚本は、27歳の人が創作したそうだが、
文学的である。それ以上に、当然のことながら政治的で巧妙である。
そう長くはない、昔、レイシズムの嵐のまっただなかでは
公園の水飲み場でも、「ホワイト」と「レイス」という区別が
あった。
その容貌から、白人と間違えられたビリー・ホリデイは
「なぜ、黒人たちとステージを共にするのか」と物を投げつけられたという。

この60年前という言葉。
ぼくは、チャーリー・パーカーを思った。

1948年頃、チャーリー・パーカーのコンボに加わった
マイルス・デヴィスは、18歳だった。
ニューヨークのサード・アベニューの52丁目あたりの
ジャズの店で、ジャズは、ダンスのためのバンド音楽から
個々人のソロパートを優先する、バップに移行してきていた。

それは、戦時の贅沢禁止の意味から
大編成のバンド音楽が禁制になったという歴史的背景もある。

それから、56年頃だろうか(うろ覚えだが)
放送局も、白と黒の区別があり
アラン・フリードだったかのDJが、黒人音楽を
つまりは、レイス(人種)音楽を積極的に取り入れ、
プレスリーが白人であるにもかかわらず
「ミステリー・トレイン」などの黒人ブルースを
カバーして、非難されたことなども
ちらちらと想起した。

オバマ新大統領の演説。
ニューヨークのアポロシアターの客が感激して
涙ぐんでいた。

パーカーもマイルスもコルトレーンもみんなみんな
もう死んでしまっている。

16歳ぐらいから、ジャズを聴き続け、
もう、40年も聴いている。
アメリカンPOPSまで視野に入れれば
ぼくは、もう生まれてこのかたずっと
アメリカの音楽を聴いている。

政治的なことを抜きにして
アメリカよ、蘇れ、と思った。

★16日は、紙子の合評会を、酔いにまかせて丁々発止と開催します。

2009年01月14日 22時13分12秒 | 日録雑感
詩誌「紙子」の合評会を16日の夜に開催します。
酒を飲みながらですが
掲載作品を一篇一篇、批評しあいます。
これまで、同人以外の方も参加されています。
作者にとっては、他者の言葉がとても
刺激になります。
その場では、恨みも辛みも積りますが
それが、ぼくは好きです。
それを承知で、雑誌に公表しているわけですから。

参加されたい方は、ここにお知らせください。

飲み代は、ワリカンです。


●2008年から2009年をまたぐ時間に、ふと覚えたこと。

2008年12月31日 23時43分37秒 | 日録雑感

いま、2008年の12月31日、午後11時45分。
NHK教育テレビでは、
ブルックナーの交響曲第7番のアダージョの演奏の模様が流れています。
思いがけない選曲。
指揮は、顔を見て、多分、ヤルヴィでしょうか。
このアダージョは、今年、ピアノ独奏版で何度か聴いた曲。
年末にかける音楽が、どうして「第9」になったのか。
意味のないことです。
  で、いまチャイコフスキーの交響曲5番が演奏されています。

年をしめくくる、そのときにどんな音楽がよいか。
そんなものはなんでもいいでしょう。
でも、「第9」と決めつけているのが、いかにも
西洋へのコンプレックスで誰かにねじ伏せられているようで
あわれ。
好きな音楽は、聴くたびにどんどん変わる。
最近は、ニールセンやオネゲルやヴォーン・ウィリアムスに
まいっていたが、ふと、年の暮れにあう音楽は何かと
考えときに、ドボルザークの9番がいいのと
思った。
チャイコフスキーの6番で、悲嘆の底をのぞんでもいいし
となると、ほんとの佳曲は、その有名曲のかたわらにあって
ぼくは、ドボルザークの8番
チャイコフスキーの5番がとても好きだ。

ああ、年をまたいで、チャイコフスキーの5番だ。
ムーティの指揮。

いい感じで2009年の年が明けました。

みなさん、明けましておめでとうございます。

今年は、ニールセンのこと、あるいは、ジョン・アダムスのこと
あるいは、またジャズ狂いに戻るかもしれない。
年末のNHKテレビのルポ番組で
新宿の歌舞伎町をドキュメントしていたのがあって
そこで、菊池成孔が吹いていた
「ユー・ドン・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」は
よかった。「君は、愛を知らない」という邦題の曲。
この曲、ロリンズとコルトレーンの両極端のような
演奏があるけど、菊池の無情は、とてもよかった。

詩において、「無情」をどう定着させるか。
難しいことだけど、マイルスだって、ずっとそうしてていた
じゃないか。
「クール」って言ってたけど、詩においては、もちろん
そんな甘い言葉ではないだろう。

「ユー・ドン・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」と言われて
それは、どこかの町のどこかのビルの屋上で
夜空に向けて奏される。
その「奏でられる主体」となること。
「奏でる主体」ではない。
それから、「在ったこと」を認める。
「在ること」を認めるのではない。

五感への不信。脳への不信。身体への不信。
「愛を知らない者同士」の不信の交響。
ほら、そうすれば、無情の信が現れる。
無辜ですね。

これをぼくは、写真を撮ることでは
自然観照のただなかでできているような気になっている。
 写真は、無情の装置だ。


新しい詩集を出したいとずっと願っているが
いつまでたっても連作が終わらない。
まだまだ「無情の信」もわからず、いつまでも
「有情の不信」が、わが身から染み出してしまう。
とても不快。

ああ、さっき聴いた、ブルックナー7番の第二楽章の
無辜。

2008年、ジャズで最も染みたのは
フィニアス・ニューボーンのピアノでした。

みなさまにとって、2009がいい年でありますよう。

今年もよろしくお願いします。


●神巨戦とテンシュテットと車谷長吉と、底なしの無常と。

2008年09月27日 21時31分52秒 | 日録雑感


白熱の神巨戦をラジオで聴きながら、
アイポッドでは、クラウス・テンシュテットが
91年にLPOと録音した「ベートーベンの合唱」を聴いている。
途中では、車谷長吉の自伝的私小説「贋世捨人」の
終盤を読んでいる。
小説「白痴群」を何度も何度も書き換えているところ。
テンシュテットは、宿阿の病いを押して
まさに燃焼し、さらに燃えつくしている。

表現とは、結局、作品という成果物に帰結することのみにおいて
はじめて「有」に転嫁するが、これは
作者の表現行為の本質とは、どこまでいっても交差しない。

表現行為は、物に還元されないからだ。
あるいは、表現者は、還元されてなるものかと思う。
しかるに、表現物は残る。
これは、浪漫かもしれないが
この文脈など、知ったことではない。

テンシュテットにおいてもそうだろう。
ベートーベンにおいても、
新井選手においても
車谷においても。

表現行為が表現物になるのは、「営業」においてであり
もっとも恥ずべき、しかも尊い営みで成される。
詩人の場合、これを表現者が
プレイングマネージャーとして成さざるを得ない。

表現行為は、無の文脈ではなく独我論の文脈で
はかなく「有」となり
表現物は、自然の文脈で「無」となる。

音楽のことを考えれば、このことは、すぐにわかる。

エリック・ドルフィがかつて言ったね。

「音楽は、演奏されればそこで消え去る」と。

詩もそうだと思う。

自然の文脈で、やっと存在が猶予され
自然の文脈で、齟齬としての「無」が保障される。






■阪神タイガースの優勝という大輪。きっと咲くだろうね。

2008年09月12日 17時11分12秒 | 日録雑感


きょうの、写真。
こちらの朝顔は、ノラではありません。
昨年、思いがけなくもある人からいただいた
江戸の朝顔市の由緒正しき大輪。
去年、しっかり種を獲り
事務所に植えて育てました。
絞り模様があでやかで、うれしい。
その横で、小さな鉢に座っているのが
京都の町中で粒々の種を拾って育てている菫。
今年の春には、可憐で直向きな花をつけました。
大きくなった葉をちょきちょきやってやると
花をつけやすくなるようです。

タイガース、優勝かなあ。
やっと思えるようになってきました。
連続サヨナラ勝ち。
イライラする展開だったが、
甲子園という地元球場の「地の利」が
そうさせているのでしょう。

●秋風といっしょに、ノラアサガオの青いとぼりが、ぽつぽつぽつと

2008年09月10日 13時24分09秒 | 日録雑感

 写真は今朝の、事務所のベランダ。

6月ぐらいに種を植えた
事務所の朝顔が、このごろ激しく咲きだした。
4、5年前だろうか
自宅近くの田畑の端で、ノラ状態のまま
咲いていたものを、晩秋のころに
種を拾ってきた。
この可憐な“青”は、透き通る。
しぼめば、紅に変わる。
涼風の吹く、毎朝に
ぽっぽっと、青い灯りがともる。

■平野神社の花見と、「天然コケッコー」という映画を観る。

2008年04月07日 17時33分55秒 | 日録雑感
土曜日は、平野神社へ花見へ行った。
境内は、花ざかり。いまこの時とばかりに
薄紅が光と風を通していた。
衣笠あたりを歩いて、町家風のレストランで
イタリアン。、軽い、優雅で、いい一日。
平野神社で、お正月、首に注連縄を巻かれる犬の名前が
わかった。「ハチ」というそう。忠犬と同じ名。
昨夜は、DVDで「天然コケッコー」を観た。
渡辺あやの脚本、なめらかで詩的で
言葉が、地のぬくもりにくるまれているよう。
映像がせいいっぱいで、このシナリオを補うかの印象。
まずまずのバランス。

脚本で、ふたつの言葉が効いていた。
ひとつは、「おおきに」という言。
頻繁に登場する。舞台は、島根なんだけど
この「おおきに」が、自然で優しい。

自者と他者の結節。そこに挨拶が普通に転がる。

もうひとつは、
「なんや、同じ音や」というセリフ。
田舎から修学旅行で東京へ出、人ごみに圧倒された後
主人公が呟く。
都会の騒音と、田舎の山が鳴る「ゴーッ」という音が
同じなんやと覚る。

自所と他所の結節。そこに共同社会の圧迫がある。

時間は、なめらかに流れるが
人を抱擁し、諦念を慰撫するのは、「場所」だと教える。
花、道、タバコ、通販カタログ、商店、ウインドブレーカー

物をして、語らせる映像は、
シナリオへ挑むようでもあった。
それとも「本」にそれらのマテリアルの役割を
書いてあったのだとしたら
この脚本家は、優れたディレクターかもしれない。
哀れを一切描こうとはしていないようだったが
どこかで、迫らせてもよかったかも。
「ロハス」、、、、、、、、、
まあちょっとマーケティング的には
そんなのもテーマとしてあったかも。

監督は、「ばかのハコ舟」という
ジャームッシュ的に、不協和音映像が秀逸だった
山下敦弘。


■ひきつづいて、詩の流通やら作品の強度について考える。

2008年03月30日 12時35分57秒 | 日録雑感
たとえば100人のうち、30人の読者に伝わる詩もあれば
500人読んでも、誰一人として伝わることのない詩もある。
その場合、メジャーやマイナーという尺度は、
マーケットが付するだけのことで、作品や作者にとっては
そんな尺度はない。
詩を書き、詩を読み始めると、あるいは詩の世界にふれ
その世界に入りだすと、さまざまな詩作品と出会う。
その場合、一読したときに嫌悪を感じ、退屈だなあと感じても
数年をへて、読みなおしたときに、その深さに驚くときがある。
逆に前衛だと感じていた詩が、のちに、後衛だと思うこともある。
長い歴史の中で、いろんなところで
いろんな詩が書かれている。
同人誌活動では、同人会などで、同人という他人の詩を読む。
語り合うわけだから、深く読む。
メジャーやマイナーなどという、誰が決めたのかわからないような
尺度に頼ることなく、自分の「作品の強度」を試す。
また、他人の「作品の強度」を知る。
詩誌を他人に送り、反響をいただくというのも、
「作品の強度」を試し、知ることだと思う。
詩を書くこと、詩を読むこと、はじめは自らの作品に向けられていたのが
しだいに、他人の詩にむけられる。
同人の作品に向けられていた視線が、さらに詩史上の著名な詩人の作品
詩史からははぐれているが、すぐれた無名の詩人の作品にも
向けられる。
「作品の強度」、それはあくまでも「自らの強度」という政治的なものではなく
純粋に彼方に架けられる望みなんだけど、
その強度のために、詩以外の思想書や小説や随筆や漫画や映画や音楽などにも
貪欲に食指をのばす。
そうして、他人と出会う。
実際にリアルに会って、酒をのみ、たまにはからんで敵対もする。
いとおしさで、愛情を感じることもある。
そうしたことが、すべて善ではないが、文学体験ということだと
思う。
詩学社という詩のメディアが昨年、廃業した。
「詩学」という詩の雑誌媒体は、こうした、文学体験を交差させるだけの
媒体性を一時はもっていたように思われる。
100人のうち、30人の読者に伝わる詩も、
500人読んでも、誰一人として伝わることのない詩も
「作品の強度」という視点をもって、問題作を掲載していた。
ぼくも、詩学という媒体に掲載された作品に
憧れを抱いていた頃がある。
詩は、消費されるものではない。閲覧されるものでもない。
詩は、その強度を体験するものであり
生きる上での、かけがえのない「いのちの強度」にも寄与するものなのだ
だからこそ、1000円も2000円も3000円もする本を買ってきた。
ふたたび言うが、それは善とは言わない。時には必要悪であるかもしれない。
同人誌で、ガムテープを貼り、郵便局へ大きな荷物をもっていき
印刷屋の人と金のことで、ねぎり、同人会の出欠をとり
まだ振り込まれない同人費の心配もする。
それは、ただ必要悪であるだけなのか。
すくなくとも、詩が「消費され」「閲覧される」だけのものではない
「試され」「示される」「強度」であることを確認するための
仕事であることを意識するためのなにかなのだろう。
「作品の強度」は、「声の強度」や「演技の強度」ではない。
声や演技の技術は、作品の強度のための付随する近接メディアの
助けであり、当該のファクターではない。
それなのに、たとえば朗読をして、私にかえってくる批評は
「迫力ありました」「いい声ですね」など、朗読の巧拙の批評だったりする。
朗読会もまた、自分の「作品の強度」を試す。
また、他人の「作品の強度」を知る。そのための機会でもあるのに。

つづきはまた。