ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

東山魁夷をめぐる旅12 龍安寺

2016-04-23 22:50:34 | 東山魁夷

『今、ふたたびの京都』(求龍堂)より

 

嵐電の路線図から、何気なしに訪問場所に選んだ龍安寺。

実際に訪れて、壁が見たかったことを思い出しました(すっかり忘れていたところに年齢を感じますが^^;)。

白い砂とは対照的な荒々しささえ感じるこの壁は「油土塀」と呼ばれ、菜種油を混ぜ入れ練り合わせた土で作られていて、白砂からの照り返し防止、風雪といった環境の変化に耐えうる堅牢な造りになっているのだそうです。

以前訪れた時は、石と白砂にばかり目が行きましたが、混ぜ合わせによって生まれたであろう文様が趣深いですね。

行ってから見たかったことに気づいたくらいなので、当然手元に種本はなく^^;

うろ覚えで何枚か撮った壁のうち、近いと思われるのがこれ。

庭のほぼ中央です。前に石はありますが、絵の右側が白いことを考えるとこの辺りかなと。

 

こうして、画伯の視線を追っていると、自然の造形もさることながら、人間が知恵を凝らし技術を尽くしてつくり上げたモノへの関心が高かったことがわかりますね。

このスケッチは1964-66年頃ですが、50年経っても大きく景色が変わっていないのが嬉しいです。

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東山魁夷をめぐる旅11 あと一歩 ~京都・天龍寺~

2016-04-09 19:51:12 | 東山魁夷

『今、ふたたびの京都』(求龍堂)

惜しい!

天龍寺の塔頭・弘源寺付近を歩いていたら、これもしかして東山魁夷画伯が描いたものかも!? という土塀の文様を見つけました。

手元に資料がなくてうろ覚えのまま撮影し、帰って本を開いたら、まさしく同じ文様! すごーい!!

と、喜んだのもつかの間。

あれ、ちょっと待って。

よくよく見比べたら、花の配置が左右逆ではないですか

本のあとがきを読んだら、魁夷画伯が描いたのは同じ天龍寺の塔頭でも、弘源寺ではなく慈齋院の壁だそうです。

・・・無念なり。

しかし、左右反転した同じ文様を見つけたのは、これはこれで面白いですね(負け惜しみ)。

うろ覚えで探してはいけません。

次回の教訓にしたいと思います

 

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東山魁夷をめぐる旅10 幻の風景 ~京都・光悦寺~

2015-12-18 21:59:11 | 東山魁夷

『秋寂び』1968年(『今、ふたたびの京都』 求龍堂)

 

いつか訪れるなら絶対に紅葉の季節にしよう、と決めていた光悦寺。今年こそはと意気込んでいたのに、残念ながら逃してしまいました。でも、光悦垣は見たかったし、あと一年も待てなかったので、本日行ってまいりました。紅葉のないのは仕方ないとして、画伯の構図を探して撮ったのが次の一枚。

落葉してますが右上に木の枝がありますし、光悦垣の角度も、右側に2本の緑の竹という配色も同じでかなりイイ線ですが、問題は手前の木。どう見ても絵の黄色い葉っぱ(萩でしょうか?)と種類が違いますよね。

でも他にそれらしい枝はありません。見落とすほど広くもないので、この構図は創作かも? と思いつつ、お寺の方に伺いました。

すると、くだんの枝は毎年9月くらいに、葉が黄色くなる前に根元から刈り取られるというお答え。刈り取ることでまた枝が生えてきて、翌年きれいな花を咲かせるのだそうです。画伯が訪れた当時は、そうした手入れをされることがなく、葉が黄色くなるまで(つまり枯れるまで)そのまま置いておかれたのではないかというお話でした。

つまり、紅葉と黄色い葉というこの景色は、現在ではもう見られないものだったのです。

この絵は何度か実物を拝見していますが、『秋』というタイトルが入っているのに、紅葉が画面の端にほんの少し見えるだけで、この黄色い葉っぱが中心に置かれているのをいつも不思議に思っていました。

お話をうかがって、画伯は今を盛りと色づく紅葉の下で、ひっそりと一つの季節を終えようとしている黄色い葉の命を惜しみ、そこに美を見出したのだと、とても腑に落ちました。だから『寂び』なんですね。

この絵がますます好きになりました。また出会える日が楽しみです。

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東山魁夷をめぐる旅 9 ~京都 一力茶屋~

2015-10-09 21:01:15 | 東山魁夷

『今、ふたたびの京都』(求龍堂)より

河井寛次郎記念館の帰り、ぷらぷらと祇園を歩いてましたら、いきなりど派手な建物が! と思ったら祇園一力亭でした。『仮名手本忠臣蔵』7段目の舞台としても有名なお茶屋さん。通りがかったついでに、久しぶりに東山魁夷がらみの写真を撮ろうと思ったはいいが、急なことで手元に資料がなく構図をうろ覚え(^^; 

何枚か撮った中で、一番近いのがこれでした。

とにかくベンガラ色というのでしょうか、この赤い色が強烈に印象に残っていて、赤がキレイに撮れるところを探したのですが、そろそろ夕方という時刻で、鮮やかさはイマイチ。ただ、屋根の影が描かれているので、絵の中の時間も同じくらいかもしれません。やはりお茶屋遊びは夕刻からってことで。

画伯の絵は、構図をもっと下にさげて、左右の木の袴みたいなものも描かれています。暗いところがあって赤が映えるんですよね。足元の堅牢さは格式の高さを感じさせます。画伯、さすがの構図です。

歌舞伎の一力茶屋の段では紙垂(しで)を後ろ襟に差し込んだ由良助が、じゃらじゃらと芸妓と戯れるところから始まりますが、たとえば仁左衛門丈なんかは、もう本当に匂うほどの色気で、場がぱっと華やいで見ていてほんと楽しい段です。そうしたお芝居の場面や、本物の内蔵助が実際に遊興にふける様が、この、普通ではありえないほど色っぽい壁を見ていると鮮やかに浮かんできます。きっと画伯も同じ景色を観ていたのだと思います。

お茶屋のある花見小路は、ご覧の通りの人だかり。

1964-66年頃のスケッチですが、50年前とほぼ変わらない景色って考えてみれば凄いことですね。

京都の歴史をも感じさせる一枚です。

 

 

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東山魁夷をめぐる旅 8 ~ 祇園祭 ~

2015-07-24 22:16:34 | 東山魁夷

『今、ふたたびの京都』(求龍堂)より

久しぶりの「東山魁夷をめぐる旅」ですが、本日は『祇園まつり』。1964~66年ごろのスケッチです。

京都の夏の風物詩・祇園祭りのハイライトである山鉾巡行は、テレビのニュースなどでもよく目にする光景ですが、今年、祇園祭を見に行って初めて、この絵が辻回しの場面であると気がつきました。

これは、去年から復活した後祭の「大船鉾」で、画伯の絵の鉾とは形が違いますが、扇子を持った方々は同じ動きをしていますね。

巡行では2か所の曲がり角があって、そこで「辻回し」という方向転換が行われるのですが、巨大な山鉾を人力で動かすのは至難の業です。車輪を回転させるための竹を敷く人、そこに水を撒く人、そして鉾をひっぱる人々。いろんな方たちの共同作業で成り立っています。この前方の方たちは、鉾を曳く時の呼吸を合わせるために、扇子を使って音頭をとっているのです。ずっと祭りを盛り上げるための「にぎやかし」だと思っていましたが、実は、重要な役目を担っているのですね。

驚いたことに、そうした実務的な役目を担っていながら、この方たちの動きがすこぶる美しいのです。扇子を返す姿は舞を舞っているかのようです。ただの作業を「芸術」にまで昇華させる。画伯はそれを「日本の美」と感じて魅せられたのだと思います。

また、山鉾を画面の大部分が占めるという構図で、祭りの大きさ、ひいては祈りの切実さが表現され、小さくとも賢明に役目を全うしようとする人間の営みを切り取ろうとしたのではないでしょうか。

ちなみに、こちらが絵と同じ型の山鉾。鉾の上の鳴り物と、垂らされた紐が連動していて、コンコンチキチと鉾の上の人たちが打つたびに躍動する紐の動きが美しいです。

写真を撮っていると、たとえスケッチでも十分に考え抜かれた構図であることがわかってきます。

もっともっと絵に込められた画伯の思いを探していきたいと思います。

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