豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた
『名護屋城跡』へ
城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模の巨大な城郭
敷地内に建つ『名護屋城博物館』
入場無料で、入れますので名護屋城跡めぐりとセットで訪れると日本と朝鮮の交流史がよくわかりますよ。
現在の名護屋城は、天守閣などの建物は一切なく城壁だった石垣だけが残されています。
城の石垣は端が崩されると役に立たないという
なので秀吉死後、徳川の世になり
要となる石垣の四隅を切り崩し二度と利用できないように意図的に崩されています。
標高約89mの山頂にある本丸跡
中央にかってここが本丸だったことを表す碑が建てられている以外何もない
ここにあった本丸御殿は、300疊の広さがあり、秀吉が各諸将と謁見していた場所です。
一段高くなった場所が築城当時、九州最大5層7階の天守があった大天守跡
その昔、天下人 秀吉が確実に居た場所なんですね~
眺めはよく、今一番のホットスポット玄海原子力発電所や呼子大橋が眼下に広がる
秀吉の目指した遠く海の彼方まで見渡せる絶景ポイント。
往時は、この一帯に諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集結していたわけですから・・・
ここからの眺めはさぞ壮観だったでしょうね。
天守台に設けられた各武将の陣屋跡の位置を示す案内板
それぞれの陣屋が、丘陵や入り江など自然の地形を活かして配置されていた様子がよくわかります。
築城当時の名護屋城の復元模型
突貫工事の末、わずか数ヶ月で完成したという、にわか造りの城には到底見えませんね。
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