館山市洲崎 源頼朝上陸地
「上陸地」は鋸南町竜島にもあります、どちらが本物?
頼朝は、房総の豪族「安西景益」を頼って逃げてきたのです。
「安西家」は、安房に拠点を置く豪族で、三浦氏とは親せき、千葉常胤とも交友が有ったそうです。
安房の国は、館山市の国分寺の北側から南房総市府中(国府村)に有ったことが解っています。
安西景益は、当然のことながら、国府に近い場所に居住していたはずです。
竜島説にも書かれていますが、安房一宮洲崎神社に参拝しています、上陸碑の近くです。
陸路、海路どちらでもこの場所を通過します。
三浦側から見ると竜島の方が近く見えます。
船頭は直近の竜島を目指して舟を漕ぎ、竜島で一休みしてから洲崎に向かったのでしょう。
真っ直ぐ館山湾に入ると、敗残兵の身なりを見れば安西氏の見張りは即戦闘態勢をとり、簡単に討ち取られてしまいます。
下っ端の見張りが、頼朝の名前も顔も知るはずが有りません。
見張りの少ない洲崎に上陸してから、安西景益に使いを送ったものと考えます。
もう一つの考えは、竜島の上陸地が敵対する長狭氏の勢力が近く、住民に聞いて慌てて船を出した可能性もあります。
船頭が上陸地を間違えたかもしれません。
どちらが上陸地?
どっちでも良いじゃあないですか。
安西景益を頼り安房の国に来て、洲崎神社にお参りしたので、お家再興が果たされたのです。
裏面の説明文。
喉が乾いた頼朝が矢じりを刺すと水の湧き出た「矢尻の井戸」。
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