アグラに着き、ホテルさくらで一泊した次の日僕は早朝からアグラの街を歩きまわった。
まずはホテル探し。
ここアグラは世界一美しい建造物とも言われるタージ・マハルがある街だ。
駅や大きなバス停、僕がジャイプルから到着したバス停もホテルさくらもタージからは数キロ離れていたため、軽い朝食を済ませた後にタージ近くに向かい、ホテルを決めてから街を歩くことにした。
ホテルから出て、タージまで行くオートを捕まえる。
数キロの移動の間にいくつか見たいものがあったのでドライバーに伝え、荷物をオートに積み込む。
ドライバーは恰幅のいいよくしゃべるおやじだった。
朝一番のドライバーを決めるというのは、一日の気分を決めると言ってもいいかもしれない。
値段交渉が上手くいって、街のことやくだらない話、会話のテンポと波長が合えばとてもその街自体を好きになるし、逆にぼったくられたり変な言いがかりをつけられ、下手をすると罵られたりするので自分の乗るリキシャを決めるのはその日全体を占うと言っても言い過ぎではないと思う。
けれど本当に占いのようなもので、あたればラッキーだし、外れればアンラッキー、それだけのことでもある。
アンラッキーといえば、デリーではよくムンバイのテロの話しをしたが、よく聞いたのが「あぁ、ムンバイのテロもかわいそうだけどアンラッキーだよね。」という言葉。
「みんなテロは怖いし嫌いだけど、それでも起こる時は起こるから。アンラッキーだよね。でもインドはヒンディーやイスラムや仏教徒もいるし複雑なんだ。政治家もね政局や対外関係うんぬんより国内の宗教間がうまくいくことをまず第一にしないといけない。そうじゃないとこの国は大変なことになるだろ。だって同じ街にヒンディーとイスラムが住んでいて、パキスタンのイスラム教徒がテロ起こしてもこの街ではどちらの宗教の信者も毎日顔を突き合わせて生活しないといけないし、それでいつもいつも争ってたらそれこそ大変なことだよ。それにそういう争いはインドの歴史で繰り返されてきたから、インド人である僕らもそういう争いに疲れちゃったんだ。疲れはてるほど、憎しみ争ってきて今ぎりぎり共存してるんだ。だからテロにあったとしてもアンラッキーだったな、と思うんじゃないかな。」
同じ国の同じ街に異教徒同士暮らしていく難しさを感じるばかりだけれど、それをテロを起こされた当の本人であるインド人が「アンラッキー」という言葉であっさり片付けることに驚いた。
いや、あっさり片付けたわけではないのだろう。それは長い長いこの国の歴史の中で少しづつ、両者がなんとか折り合いをつけながらやってきたという一つの答えでもあるとも思えた。
僕がヒンディーでテロを起こされたならアンラッキーという言葉でやりすごせるかは疑問だ。そして僕のような一人一人の感情が大きな争いに繋がっていくのだろうなとも思う。今この国に住む彼らが争いを起こさずに(起こしている場所もあるけれど大体の街において)なんとかやっていられるのはそれを歴史の中で身をもって学んできたからだろう。
それでも僕がぎりぎり共存しているのだろうな、と感じたのは
「テロが起こった時、この街に住むムスリム達は口をそろえてパキスタンのムスリムの奴らはどうかしてる、と言ってたけどありゃ本当は嘘だろうな。内心はヒンディーにざまあみろと思ってるよ。」
と言う話しもよく聞いたからだ。
本音や建前が複雑に錯綜し、よく耳にした「アンラッキー」という言葉にしてもぎりぎりのところでお互い折り合いをつけるための答えの一つにすぎない。そしてまだこれからも宗教や信仰という複雑な問題がすぐに解決するということはなさそうに思えた。長い間争い続けてきたにも関わらず。
アグラの街に話しを戻すと、タージに向かう途中いくつかの場所に寄り、ドライバーを待たせて写真を撮ってからまた戻ると、僕の乗っていたオートリキシャに勝手に乗りこんできたおっさんがいた。
何だろうと思ってると、彼は勝手にアグラの街のガイドをし始めた。
「ここの店の飯はまじ上手いんだって!食う?お前食う?」
「いや、食わん。」
「ここ!ここは超景色いいぜ、撮れよ写真、さぁ!」
「いや、撮らん。」
どこかの店の客引きかなんかだと思い、相手にしていなかったのだけどだんだんその白熱する彼のガイドぶりに僕もおもしろくなってあれこれ話すようになった。
「ていうか、なんで勝手にオートに乗ってきたの?しかもなんで勝手にガイドしてんの?」と言うと
「今日暇やねん。」
「暇なん?そんだけ?」
「おう、暇なだけ。あっここ近道やぞ、お前ラッキーやな。俺のおかげやな。」
そんなバカな会話をしながら3人でアグラの街をあちこちオートでまわった。
どうやら今日の占いは当たりのようだった。
タージの近くでホテルを決めた僕はオートのドライバーと暇なガイドに別れを告げ、荷物をホテルに置いて一人で周辺を歩くことにした。
アグラの街はよく晴れて、赤を基調にしたカラフルな民家や人々を見ながら歩いた。
相変わらずこの街にも犬は沢山いた。
生きているものも、そうでないものも。
沢山いた。
人間と牛とゴミに塗れてたくましく、したたかに命を転がしていた。
ラッシー屋でバナナラッシーを飲んでいると、とあるサイクルリキシャを見かけた。
タバコをふかしたリキシャのおやじがおそらく自分の娘達であろう子どもとひと時を過ごしていた。
当然のことながら、誰にも親がいる。
親と呼ばれる人には子がいる。
子がリキシャではしゃぐ姿はまるで自分の家にいるかのようで、おやじはタバコをふかしてそれをおやじらしいそっけなくも暖かいまなざしで眺めていた。
時に煩わしそうに、けれども愛おしそうに子と接するおやじの姿はなんとも言えないものがあった。
それはすごく神聖なもののように感じられた。
どこでなにが起こっていようとも、側で子が楽しそうに笑っている姿を優しい眼差しで眺める親の姿以上に愛情に溢れた光景はないような気がした。
その姿は職業や地位に関係なく立派だ。
それから宿に戻ると辺りは薄暗くなりかけていて、屋上からはタージが見えた。
久しぶりにビールを飲みながらその姿を眺めた。
遠くから見るその姿はとても美しかった。
辺りのぼんやりとした薄暗さがその輪郭をより引き立たせていた。
全室ホットシャワーを売りにしていたこの宿も結局水しかでなくて、ぶるぶる震えながら水を浴びたのだけれど、この景色はなかなかうならせるものがあった。
ホットシャワーよりももっとタージの見えるこの屋上を売りにするべきだなと思いながらビールを口にした。