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日記

Hajime

ねむい

2013年05月20日 | Weblog

ドイツとオーストリアとスイスを巡った旅からもう5年も経つのだと知る

そこから旅の日々が続いたのかと思うと、感謝の念が強まるような、何かきっかけとなるようなヨーロッパの旅だった

そこから毎年インドやスイスに行ったり、アラスカに行ったり、多くの人と出会ったりした

そんなことをひょんなことからちょうど5年前が最初だったのだと知る


最近読んだ本で気になるポイントがいくつかあるからメモ書きしておく


イギリス北部 ニューカッスルの文化施策について
英国北東部の経済を、より想像力のあるサービス分野中心のものにする、という長期的なビジョン。
戦略に必要な文化の条件は「われわれの遺産となる独自なもので、市民が参加できる文化。そして、社会の要望に応えてかわることができる持続可能な文化」


フランス マルセイユの工場跡を利用したアートプロジェクト
工場跡のアートの拠点について、
劇場や美術館のようにアートを消費する場所ではなく、アートの創造拠点となっている

横浜 横トリの元となる要素
最初は理解されなくても大胆にやる方がいい。行政がやると、不特定多数の声にとらわれ過ぎてしまうこともある。コンテンポラリーダンスや現代アートはわかりづらい、もっと一般的なものをやって欲しいと。しかし、BankARTの活動は最先端の発信をしたいアーティストをつれてきてバリアを取り払っていった。クオリティをキープし、発進力が強ければ、人は後からついてくる。
創造都市実現という観点からいえば、まちづくりを行うことが最終的な目的で、アートはツールだともいえます。ツールであるからこそアートのクオリティが高くなければいけない。文化政策としてのアートの振興はもちろん、都市政策としてもアートの振興が必要です。だからこそアートの存在意義は重大なわけです。



2006年出版の本なので既に時代はそれらを経てさらに進化しつつあるのだけど、
今いる地点ではこれらの要素を虎視眈々と取り入れて前進すべきなのだと思うのだけど、
彼がアドバイザーになってくれるのであれば当地域にも一筋の希望が刺すのだと思う

長期戦である

間もなく閉校を使ったコンテンポラリーダンスカンパニーのレジデンスがある
今の職場周辺だけが島根ではない
新しい試みとおもしろい粒が着実に芽を出して広がりもできつつある、レジデンスの意義や意味を理解するアンテナのある人も少しずつ協力してくれつつある
外に出てみると老若男女しがらみを飛び越えておもしろいことをしたがっている人たちが大勢いる
長期戦だけれど非常に興味深く、くらいついてみたくなる
笑われてでもいいものだけを選んで、刺激的なものを創る人とつるむ道筋を坦々とつくるように精査していこうと思っている
来年以降そういう人たちだけとからんでいけるように今年は我慢の一年である

長期戦だ


とりあえずは今から飲もう日本酒を







夢がひどい

2013年05月07日 | Weblog

雑誌「IMA」を読む

写真は世界を旅する、
Watching Humans Watching,
その先の未知なる風景を求めて、
時間の流れを写真に閉じ込める

そういう心にひっかかるフレーズがあった

ヴィヴィアン・マイヤーの見ているだけで泣けてくる彼女の写真もあまりに素敵だったのだけど、
特集の旅に関する写真についてもとても腑に落ちた

写真を撮る人は、見ている人だと思う
写真を撮るということは、そこにある光やその逆をただ見ている行為なのだと思う

それが性なのだと思う

そして新しいそれらを求めて旅をするのだと思う
遠く離れた灼熱の砂漠や見たこともないような建築や人々の生活や懐かしい故郷を



それから米子あたりや砂丘や松江あたりをうろついていた
砂丘は言わずもがなフォトジェニックな場所で、ともすれば時間など忘れてしまいそうな所で、
大自然を目の前にすれば今も昔も変わらずに老若男女目を輝かせ、じじいは若返り、ばばあは飛び跳ね、ガキはでんぐり返し、若者は息せき切って砂の壁を駆け回る
普段閉じ込めているような輝きをちりちりの砂の集まりに受け止めてもらうかのように、それはただの石が砕けて水と風にさらわれた集合体に過ぎないのにも関わらず、その小さなつぶつぶの集合に輝きをさらけだしながら踊るのである

植田正治はすごい

ただそう思った

篠山紀信曰く「写真は時の死の立会人」

とても美しい砂丘に群がる光景だったと思う

知らず知らず楽しくなっていた


新しい風の旅人がもう少しで発刊される
これも楽しみ
編集長からのメールが内容と同じく丁寧で、次号も心待ちにしている



そういう今日この頃悲喜交々
それ以外に特に関心がない








自然の鉛筆

2013年04月07日 | Weblog

明日、篠山紀信の写真力を見に広島へ

ちょっと前にtokyo blue weepsのオリジナルメンバーと見にいった写真展だ

三島由紀夫の写真にかなりインパクトがあり白黒のダンサーの写真も忘れ難い

一緒に見に行ったメンバーのことを思い出しつつ
一枚一枚に表された、というより乗り移られた言葉や文字その他のコミュニケーションを越えたやりとりの瞬間を味わってこようと思う

それと眠い
今から寝る
昼だけど


20:03

2013年04月06日 | Weblog

悶々としてた休日にもやもやとしたブログを書いたら
公開できないが想像以上に手痛いコメントが多くちょっとパンチがあったので
ちょっと気をつけようと思う
割とぐだぐだとしていたのでまっとうなことを言おう

ここでか


まあよい
気が向いたことをうだうだ書こう

ふむ

しゃきっとするためには
割と有意義な意見たちであった



とりあえず目が悪くなっているのが困る





休日

2013年04月03日 | Weblog

昼を過ぎてやっと晴れてきたので外に出ようと思う

島根に戻り一年経ってしまった

ものすごく複雑な気分である

思った以上に写真を撮れていない

スナップ写真は20代の頃に歩きまくって撮ったので、
今さら気が乗らないのは仕方がない
それに関しては今しばらく自分との問答を続けようと思う

仕事に関してはいくつか気になる点がある

国からの大きめなものを得て、初年度の昨年からさらに今年は展開していかなければならない

先日、瀬戸内国際芸術祭に訪れた
島根と同じものを国から得て展開している催しだ

内容も学ぶことが多いが、
集客という点で、格が違いすぎる

なぜ島根でも得ているのに島根ではできないのか

私の上司が10年間仕事を続けて昨年度から展開し始めたものを、
今年度からほぼ引き継ぐ形になる

彼の嗅覚は今の世をよくとらえていたが、
内容と人格が伴わなかった
非常におしい

今年度この事業を終えるまで私は学び得るチャンスだと思っている

私は私でこの事業終了後に同じように自分の力でこれらをとってこなければならない
なぜならば、しがらみの多い事業ばかりで全く発展せず、今、外でどのようなことが起こっているかを感じとるアンテナをじじいばばあばかりに囲まれて失ってしまうわけにはいかないからだ
今後周囲に好かれなくてもそうしなければこの地の文化芸術など発展させられるわけがないだろう
アンテナをびんびんにして今創られているものと事業を知りたいし、見たい
自ら嗅覚を研いでいる人達に囲まれて協力を得たい、そういう話しができる人が欲しい
それから的確な情報とアドバイスをくれるアドバイザーがここには必要だし私自身にもほしい
沢山のびんびんの脳がいる
その脳と情報のやりとりをしたい
今、一体どうなってんのか
虎視眈々と戦っていかなければならない


なぜ島根に戻ったかを今一度振り返る休日


靖国通りや皇居、市ヶ谷から四ッ谷の土手や井の頭公園 東京の桜が見たい
今頃はとても奇麗なのだと思う









小さな村

2013年03月16日 | Weblog

何度も繰り返すようだけど

例えばどのような汚さや嫌な感じを自己に向けて卑下していたとしても


私にとってそれはいちいち問題ではない

素敵なことは知っているし

それを揺るがすものではない

人間はみんなそんな風であるという類いのものではなくて

しばらくの間接していて積み上げているものである

それでもまだ自己否定のようなことを口にするのであればそれはそれでよいのだけれど

そういうものも、私が素敵だなぁと思うことを揺るがすに値するものではない、と私は思っているし決めている




全然関係ないけれど

ラーメーシュワラムの海を思い出した

スリランカとの国境に一番近い小さな漁村であり、ヒンドゥーの聖地である

日本人ツーリストがほぼいないこの村は何があるわけでもない

都市部からやってくるのも骨をおるような場所だ

表層部分では気づかないようなおよそ深層に近い部分で横たわるインドの尊さは見つけるのは簡単と言えば簡単だし、難しいといえば難しい

それにしてもこの小さな漁村はただ単純に美しかった

うんこはいっぱい落ちてるし

うんこを主張してくるし

それでも汚いとはとても思えない素敵な村だった

そんな風である









休みの定義が不明

2013年03月12日 | Weblog

この地域で世界に通用する芸術の催しを行うためにはどうしたらいいのか


いきなり失敗したばかりだけれど
やはりそればかり考える

この地域のやり方へと曲げてしまうとどこにも届かないこぢんまりとしたものにしかならない


瀬戸内国際芸術祭と肩を並べるためには?

越後妻有や六本木、

ヴェネツィア、台北、


一度失敗したからといってあきらめてはならない


給料や処遇などくそくらえである


外から見てもこの地域はおもしろそうなことをやっていると、
行って見てみたいと思われるようなものにするためには
私自身の知識とアンテナと実力と、
周りの人々の嗅覚と手助けが必要である

何もかもが足りていない

勉強しなければいけない

世界に通用する見応えのあるものができるはずだ

大きく転んでしまったけれど

それでもやっぱり落ち込んだり休んでいる暇などない

今、世界がどうなっているのか、どう進んでどんなものが生まれているのか
おもしろいことを沢山知りたい

休んでいる暇などはないのだと思う









南インド

2013年03月12日 | Weblog


2年前の3.11

この薄汚れた部屋は忘れもしない南インドはティルチラパッリの宿


長い長いバス移動、多分マドゥライあたりからだったと思う


その日の宿を決めた夕方に宿のスタッフが部屋にかけこんできて「テレビをつけろ!ジャパニーズ!」

その剣幕を今でもよく覚えている

それからなんとか日本の情報がほしくてwifiを探してさまよって

やっと繋がる場所を発見して僻地にも関わらず日本人家族が一組私と同じように日本の状況を知りたいとそこでひたすらスカイプで日本とコンタクトをとっていた

暑い夕暮れだった

テレビで流れる情報は時差のある昼間の日本だった

南インドの小さな街でも日本の震災の号外がすぐさま発行されていた


しばらくは何もできず写真を撮ることもできなかったけれど

それでも旅を続ける中でインド人に励まされながら写真を撮るという気持ちまで高めることができた


何ができるか、遠く離れた場所で私にできることは何か

そう考え続けているとやっぱり私は写真を撮る、一枚一枚あきらめずに撮るというほかない


被災者かどうかは抜きにして、いつか旅に出かける人がそこに行きたくなるような一枚一枚を撮るほかない


そんな風に灼熱の南インドを朦朧と過ごしたあの3.11以降の旅



脳は朦朧だし口はからからだし身体はくたくたな旅だったけれど

自分と向き合ったり、日本という国を真剣に考えたり、旅に出ることについて見つめ直す重要な期間だった

普段は信者以外入れてもらえないヒンドゥーの聖地に日本人だから一緒に祈ろうと言ってくれた人々や実際に隣で祈りを捧げてくれた人々

祈っている暇などないし、祈りなど捧げる気もなければ、祈るくらいなら生きるという感覚を少し和らげてくれたいくつかのシーンがあった

そのようなことを思い出す2年目の今日



2週間後に帰国した東京の部屋は窓は割れて壁に穴が開いて本棚はめちゃくちゃだったし私ひとり取り残された雰囲気だった





ばかみたいにしがらみだらけのこの街で迎えた3.11


早く東京に帰りたい

早く旅に出たい


インド行きたいなぁ


しかし次の勝負は既に始まっているのである

休んでいる暇などはない












昨日の飲み会はいつものごとくグタグダだった

2013年02月28日 | Weblog


インドのことをふと思い出した
灼熱の砂漠の、世界の片隅のような村の、小さな家の入り口で過ごす母娘のことを


今、写真でレジデンスをしている人の本を読んでいる
東北の海岸沿いの小さな街の松林に住んでひたすら写真を撮り続け、
ひたすら自分とその土地と人々と向かい合いながら写真を撮る人の本
レジデンスはこうでなくてはならない、そう思う

“イメージを身体に入れたり出したりするからには、たとえどんなによくないことが起こるのだとしても、やっぱり私自身が引き受けなければならないという気持ちもあります。そうする覚悟がなければ、切実なイメージとの関係のうえに写真は生まれないし、きちっと目の前に立ち現れてこない。写真を撮ることは、あるイメージを外から見つづけるだけのように感じるときもあります。”

印象的な言葉だった



それから今日、とある詩人の方と電話で話した

大学で、自殺に関する講演をした際に、
焼身自殺で息子を失った家族の話しをしたという

『沈黙の時間』を過ごす

そのことについて
話しを聞いた

悲しみから逃げることもごまかすこともできず、現実を生きるしかない。
それを引き受けたとき、「悲によって」智の言葉が生まれる

そのような印象だった
本来は悲しみとか苦しみなど味わわなくてもいいのだと思う人は
ハッピーに生きていればいいのだと思う
だから深い話しみたいな悲しみを乗り越えた経験による優しい話しなどはとても嫌いである
そんな不幸は被害妄想である
深い話しなど、何かを乗り越える苦しみなど本当は人は経験せずとも幸せに生きていければそれだけでよいのだと思う


しかしそれは絶対不可能


たまにインドのことを思い出す