7月中旬実家に帰っていた
妹の結婚式があったのだ
小高い丘の上にある式場の大きな窓ガラスの向こうには
視界から溢れるほどの海が広がり
夏の午後の日差しが波に反射して、一本の光の道になって遥か沖へと続いていた
久しぶりに会った人たちは、ある人は成長していたし、ある人は老いていた
初めて会う人たちも大勢いて、それぞれに団らんし、肩をすくめて笑い
その良き日に乾杯を交わしていた
とてもいい式だったと思う
私は写真撮影を頼まれていたので、それぞれのテーブルや仲間や家族の和やかな雰囲気をファインダー越しに味わってはにやにやし
グラスがぶつかりあう度に弾ける幸福感を
なるべく見過ごしてしまわないようにカメラを向けていた
それにしても7月に地元に帰ることなどあまりに久しぶりで
まるで露出狂のように素っ裸で夏の始まりを感じさせてくれる濃い緑と土の香りや
微かに梅雨の湿り気を残した潮の香り、太陽を破裂させたような夕暮れの空、白い月明かりが照らす夜の波打ち際は
いつも帰省する年末の山陰らしい曇天とは真逆で、高校卒業まで当たり前のように感じていた夏の一日が、実は驚くほど目覚ましい変化を帯びた一日なのだと痛感
妹の式の準備以外の時間は、裏山に上がってベンチから海を眺めたり
ハミ(マムシ)焼酎の生々しい作り方を祖母から聞いたり
隣町までランニングをしたり
夏休み前でまだそれほど人の多くない夕方の海で泳ぎ
坊さんの友達のお寺にお邪魔して話しを聞いたり
彼が畑で作っているトマトをいただいたりした
特にハミ焼酎の作り方はとても古い話しで
生きたハミを捕まえて、水でいっぱいにした一升瓶にハミを入れ、
窒息していくハミは暴れに暴れて、全ての力を使って一升瓶の口へ向かって這い上がる
糞尿を出し切って、命の果てる寸前に一升瓶から取り出し、
次は焼酎の入った一升瓶に移し替える
ハミはさらに暴れ、アルコールが全身に回って死の寸前、
一升瓶の中で毒歯から全ての毒を出し尽くす
毒が勢いよく毒歯から噴射されるのが見えるのだという
そうして作られたハミ焼酎が今でも私の実家の台所の奥にしまってある
もはや説話のようなハミ焼酎の作り方を聞いていると
私が生まれる前から一升瓶の中で、とぐろを巻いて天を仰ぐそのハミは我が家の守り神ではないかとさえ思えてくる
私も幼い頃には、切り傷や擦り傷、火傷にハミ焼酎を塗られたものである
ハミ焼酎は傷の痛みよりも鋭く神経を刺激し
鼻から目の裏まで到達する得体の知れない鈍い匂いと
それを塗られた脱脂綿の優しい柔らかさとのギャップに打ちひしがれた記憶が鮮明に残っている
そして祖母はハミ焼酎は薄めたら飲める、と言い始めて
いくら酒好きな私もそれには腰を抜かした
そんなものを飲んだら焼酎を楽しむ前にハミの毒が回るのではないか
もはやあたりにはハミ焼酎を造れる人もいず
ましてやハミを生け捕りにできる人もそうそういないので
この地方に伝わる貴重な知恵と技術が、人知れず消えていってしまったのだと思うと
祖母から話しだけでも伝え聞くことができたのが嬉しい
そしてその話しをする齢80を越えた祖母の表情が
私の知らない若かりし祖母の面影を浮かび上がらせて
その目の輝きを見ていると、みるみる彼女が若返っていくような気がした
話し終えて一寸遠くを見つめ、懐かしそうに目を細めた祖母は
静かにいつもの祖母の顔に戻った
私はそういうものが嫌いではない
新しくなった家は、それでも私が好きだった古くてきれいな水色のタイルばりの洗面所や
薪で炊く風呂は残されていた
薪で炊く風呂の焚き口を造れる職人もごくわずかしかいないらしく
「今でもこの技術が活かせる家を造ってもらえて嬉しい」
と古き良き職人が焚き口を造りながら話していたというのを聞き
もちろん私は東京も好きなのだけれど、手練の技術で焚き口を造っていく職人の後ろ姿を思い浮かべると
また冬に帰郷した際には、焚き口の隅々までじっくり手でなぞりながら丁寧に薪で風呂を焚いてみたい欲求にかられるのである
それからまた東京に戻ってきて、昨日は妹夫婦と新宿で山陰料理の居酒屋で飲んだ
田舎の力を存分に味わえたので、またがんばろうと思う
今年の夏以降は、自分がステップアップするためにとても重要な期間になる
貴重な7月の島根に帰るチャンスをくれてそれだけで妹夫婦には感謝している今日この頃だ