昨日、佐竹本三十六歌仙と王朝の美 ~京都国立博物館~に妻と行ってきました。11/22青字追加 11/23赤字追記11/25 緑字修正
■1)アクセス
車で名神豊中から京都南で降りて、国道1号線から東山通に十条から出て七条で左折したら、1時間で着きますが当日は+1時間弱かかりました。というのは高槻を超えた辺りで何と生まれて初めてガス欠。止む無く、生涯初のJAFを呼ぶ羽目に。痛恨のミス。JAFは35分で来ると言っていましたが、45分は掛かりました。そこからガソリン10Lを補給してもらって車は復旧。ガソリン10L含め~19700円という痛い出費に。バッテリーを自分で交換したのでそのセイでヱンピティは出るので未だあると思い込んでいたのですが、ヱンピティサインを甘く見ていました。ガソリンを入れてからオドメーターで150Kmしか走っていないのにガス欠するのはおかしいが原因不明?
JAFのお姉さんが”直ぐに車から出て、ガードレールの外側に退避してください”と指示してくれて安全に対処することができました。桜塚やっくんのようになったらやばいですから。
■2)到着と本展覧会
昨日は着いたのは12時前でした。16時前には家に帰らないといけない用事があったので昼食抜きの強行軍。一部早足で見ました。

一昨日は凄い人だったということでしたが、昨日は道まで行列ができていることは無かったです。
本展覧会は、10/12~11/24まで。一部入れ替えがあり、例えば小野小町や源宗干、清原元輔は11/4まで、柿本人麻呂、平兼盛、僧正遍照は11/10迄ですし、小大君は11/6~です。予め知っていたら11/4までに行けば小野小町が見れたが、小大君は見れない。悩む所です。
チケットデザインは、小大君(こおおきみ)

■3)佐竹本三十六歌仙絵 32件が重要文化財 何故5件は未指定なのか?一番人気の”斎宮女御”(さいぐうのにょうご)でも重要美術品であり、重要文化財ではない。
【NHKの放映】
これについては、NHKでも何度も取り上げています。38年前にもやっていましたし、最近でも11/3の新美の巨人たち、11/10の朝の9時からのEテレでもやっていました。
【展覧会の経緯】
皆さんもご存知と思いますが、三十六人の優れた和歌の詠み人「歌仙」を描く鎌倉時代の名品”佐竹本三十六歌仙絵”。かつて2巻の絵巻物だったこの作品は、大正8年に一歌仙ずつに切断され、くじ引きで別々の所有者に渡りました。今年が分割されて丁度100年になるので31件が一堂に会し京都で展覧されています。
【三十六歌仙とは?】
歌人・藤原公任(きんとう)の”三十六歌仙”に選ばれた36人の優れた歌人。柿本人麻呂、小野小町、在原業平等 飛鳥時代から平安時代に活躍した歌人が挙げられています。
【佐竹本とは?】
鎌倉時代以降多く描かれるようになった歌仙の肖像を歌仙絵という。”佐竹本三十六歌仙絵”は旧秋田藩主・佐竹伯爵家に伝わったことから”佐竹本”と呼ばれています。13世紀に(詞:後京極 良経、絵:藤原 信実)作成。
【佐竹本の凄さ】
他の歌仙絵や同時代の肖像画に比べ、詠んだ人の心情さえ感じられる肖像表現や歌の意味に寄り添って歌仙一人一人の表現や姿勢に微妙な変化を加えている所。
【絵巻物の切断】
・大正に入り佐竹本は売りに出されるが、余りに高価なので買い手がつかず、海外への流出さえ危ぶまれた。当時のお金で35万円、現在の貨幣価値で35億円~60億円と推定。
・経済界の重鎮 鈍翁(益田 孝)を中心とした一流の経済人や茶人らは絵巻を”一歌仙”づつに切断し共同購入する方針を決めた。
・大正8年(1919年)鈍翁宅(応挙館)には鈍翁の呼びかけに集まった購入希望者がくじを引き37枚に切断された歌仙絵を夫々持ち帰った。
・鈍翁が引いたのは、一番人気の無い安価な僧侶(~3000円)であったので非常に不機嫌になった。一番人気”斎宮女御”(さいぐうのにょうご:4万円)を引き当てた古美術商がこれを譲る羽目に。鈍翁は一転上機嫌に。
・絵巻切断から100年。その間に起きた戦争・高度経済成長・バブル崩壊等激動の日本近代史の片隅で、多くの”佐竹本”が所有者を変えていく。
■4)佐竹本三十六歌仙絵の一部
パンフレットから4つの絵を抜粋・編集すると、

左上から時計周りに行くと、先ずは”素性法師”。これは、 鈍翁(益田 孝)が引き当てた物で彼はすっかり不機嫌になってしまった。それで「斎宮女御」のくじを引き当てた古美術商が、「自分の引き当てた絵と交換しましょう」と益田に提案し、益田は「斎宮女御」を入手して満足そうであったという。
右上が小大君(こおおきみ)で一番人気”斎宮女御”(4万円)、二番人気”小野小町”(3万円)の次の2万5千円の価格。最初の所有者は製糸商、原富太郎(号:三渓)
右下が別格の歌聖”柿本人麻呂”(1万5千円)三十六歌仙に選ばれるより古くから多くの尊敬を集めた別格の歌人。中国風に書かれていますね。最初の所有者は森川勘一郎。
左下が”源信明”(さねあきら)。くじを引いたのは、15代住友吉左衛門友純(ともいと 号:春翠)で流転せず。現在は住友家の美術コレクションの為設立された京都の泉屋博古館蔵。
"佐竹本三十六歌仙絵"は会場の第三章に展示していたが、一番目を引いたのは摸本です。これは江戸時代(1794年寛政6年)に”田中訥言”により作成されたようですが2巻全て揃っているので貴重で料紙のしみや絵の損傷までも正確に写しているとのこと。少ししか開けていなかったのが残念。”斎宮女御”は今回本物は展示していなかったがこれでは拝めた。江戸時代なので絵も綺麗でした。これを最後の出口前に全部開けて欲しかった。
しかし、歌を見ていると、崩し字なので3割くらいしか読めないのが残念。”か”は崩し字では、”う”に見える。崩し字を読めるようになればもっと見ても楽しいのだろうが・・・・また趣向を凝らした表具と歌と肖像の3つが一体となって季節感も感じられる、そういう感覚は茶席にピッタリなんでしょうね。
それと、”佐竹本三十六歌仙絵”には翻字が左に添えられていたが他の作品には概ね添えられていなかった。翻字をどこかに添えてほしかった。というのは、皆さん書を読もうとするので列が中々進まない。ブログを見ていると6時間掛かったと言う人も。翻字が添えられていればもう少し進むスピードも速くなったと思う。変体仮名交じりであれば正確性という意味ではベターだが判りにくい人もいるかも。
■1)アクセス
車で名神豊中から京都南で降りて、国道1号線から東山通に十条から出て七条で左折したら、1時間で着きますが当日は+1時間弱かかりました。というのは高槻を超えた辺りで何と生まれて初めてガス欠。止む無く、生涯初のJAFを呼ぶ羽目に。痛恨のミス。JAFは35分で来ると言っていましたが、45分は掛かりました。そこからガソリン10Lを補給してもらって車は復旧。ガソリン10L含め~19700円という痛い出費に。バッテリーを自分で交換したのでそのセイでヱンピティは出るので未だあると思い込んでいたのですが、ヱンピティサインを甘く見ていました。ガソリンを入れてからオドメーターで150Kmしか走っていないのにガス欠するのはおかしいが原因不明?
JAFのお姉さんが”直ぐに車から出て、ガードレールの外側に退避してください”と指示してくれて安全に対処することができました。桜塚やっくんのようになったらやばいですから。
■2)到着と本展覧会
昨日は着いたのは12時前でした。16時前には家に帰らないといけない用事があったので昼食抜きの強行軍。一部早足で見ました。

一昨日は凄い人だったということでしたが、昨日は道まで行列ができていることは無かったです。
本展覧会は、10/12~11/24まで。一部入れ替えがあり、例えば小野小町や源宗干、清原元輔は11/4まで、柿本人麻呂、平兼盛、僧正遍照は11/10迄ですし、小大君は11/6~です。予め知っていたら11/4までに行けば小野小町が見れたが、小大君は見れない。悩む所です。
チケットデザインは、小大君(こおおきみ)

■3)佐竹本三十六歌仙絵 32件が重要文化財 何故5件は未指定なのか?一番人気の”斎宮女御”(さいぐうのにょうご)でも重要美術品であり、重要文化財ではない。
【NHKの放映】
これについては、NHKでも何度も取り上げています。38年前にもやっていましたし、最近でも11/3の新美の巨人たち、11/10の朝の9時からのEテレでもやっていました。
【展覧会の経緯】
皆さんもご存知と思いますが、三十六人の優れた和歌の詠み人「歌仙」を描く鎌倉時代の名品”佐竹本三十六歌仙絵”。かつて2巻の絵巻物だったこの作品は、大正8年に一歌仙ずつに切断され、くじ引きで別々の所有者に渡りました。今年が分割されて丁度100年になるので31件が一堂に会し京都で展覧されています。
【三十六歌仙とは?】
歌人・藤原公任(きんとう)の”三十六歌仙”に選ばれた36人の優れた歌人。柿本人麻呂、小野小町、在原業平等 飛鳥時代から平安時代に活躍した歌人が挙げられています。
【佐竹本とは?】
鎌倉時代以降多く描かれるようになった歌仙の肖像を歌仙絵という。”佐竹本三十六歌仙絵”は旧秋田藩主・佐竹伯爵家に伝わったことから”佐竹本”と呼ばれています。13世紀に(詞:後京極 良経、絵:藤原 信実)作成。
【佐竹本の凄さ】
他の歌仙絵や同時代の肖像画に比べ、詠んだ人の心情さえ感じられる肖像表現や歌の意味に寄り添って歌仙一人一人の表現や姿勢に微妙な変化を加えている所。
【絵巻物の切断】
・大正に入り佐竹本は売りに出されるが、余りに高価なので買い手がつかず、海外への流出さえ危ぶまれた。当時のお金で35万円、現在の貨幣価値で35億円~60億円と推定。
・経済界の重鎮 鈍翁(益田 孝)を中心とした一流の経済人や茶人らは絵巻を”一歌仙”づつに切断し共同購入する方針を決めた。
・大正8年(1919年)鈍翁宅(応挙館)には鈍翁の呼びかけに集まった購入希望者がくじを引き37枚に切断された歌仙絵を夫々持ち帰った。
・鈍翁が引いたのは、一番人気の無い安価な僧侶(~3000円)であったので非常に不機嫌になった。一番人気”斎宮女御”(さいぐうのにょうご:4万円)を引き当てた古美術商がこれを譲る羽目に。鈍翁は一転上機嫌に。
・絵巻切断から100年。その間に起きた戦争・高度経済成長・バブル崩壊等激動の日本近代史の片隅で、多くの”佐竹本”が所有者を変えていく。
■4)佐竹本三十六歌仙絵の一部
パンフレットから4つの絵を抜粋・編集すると、

左上から時計周りに行くと、先ずは”素性法師”。これは、 鈍翁(益田 孝)が引き当てた物で彼はすっかり不機嫌になってしまった。それで「斎宮女御」のくじを引き当てた古美術商が、「自分の引き当てた絵と交換しましょう」と益田に提案し、益田は「斎宮女御」を入手して満足そうであったという。
右上が小大君(こおおきみ)で一番人気”斎宮女御”(4万円)、二番人気”小野小町”(3万円)の次の2万5千円の価格。最初の所有者は製糸商、原富太郎(号:三渓)
右下が別格の歌聖”柿本人麻呂”(1万5千円)三十六歌仙に選ばれるより古くから多くの尊敬を集めた別格の歌人。中国風に書かれていますね。最初の所有者は森川勘一郎。
左下が”源信明”(さねあきら)。くじを引いたのは、15代住友吉左衛門友純(ともいと 号:春翠)で流転せず。現在は住友家の美術コレクションの為設立された京都の泉屋博古館蔵。
"佐竹本三十六歌仙絵"は会場の第三章に展示していたが、一番目を引いたのは摸本です。これは江戸時代(1794年寛政6年)に”田中訥言”により作成されたようですが2巻全て揃っているので貴重で料紙のしみや絵の損傷までも正確に写しているとのこと。少ししか開けていなかったのが残念。”斎宮女御”は今回本物は展示していなかったがこれでは拝めた。江戸時代なので絵も綺麗でした。これを最後の出口前に全部開けて欲しかった。
しかし、歌を見ていると、崩し字なので3割くらいしか読めないのが残念。”か”は崩し字では、”う”に見える。崩し字を読めるようになればもっと見ても楽しいのだろうが・・・・また趣向を凝らした表具と歌と肖像の3つが一体となって季節感も感じられる、そういう感覚は茶席にピッタリなんでしょうね。
それと、”佐竹本三十六歌仙絵”には翻字が左に添えられていたが他の作品には概ね添えられていなかった。翻字をどこかに添えてほしかった。というのは、皆さん書を読もうとするので列が中々進まない。ブログを見ていると6時間掛かったと言う人も。翻字が添えられていればもう少し進むスピードも速くなったと思う。変体仮名交じりであれば正確性という意味ではベターだが判りにくい人もいるかも。