馬嶋 良雄 2012・3・21
「♪湯島通れば思いだす、お蔦ちからの心意気…♪」と歌ったのが小学校1・2年の時。担任の先生が「誰か何でもいいから歌を歌いなさい、では馬嶋君? それが私と音楽との最初の出会い。昭和23・4年の頃のことだった。とうとうと気持ち良く歌い、皆に拍手までもらって、俺って歌うまいんだな! とその日はご満悦だった。
ところがどっこい。翌日、緊急職員会議。馬嶋はぐれている、他の子は「でんでんむしむし、とか、てんてん手鞠」なのに流行歌を歌った、ということで、早速担任から両親に厳重注意。特に唄の内容が子供には良くないとのこと。歌っている本人は内容なんて全然わかってない。
両親曰く「門前の小僧習わぬ経を読むか…?」((笑)ということで、これからは学校では歌わないようにという注意のみでお咎めなし。その時代、わが北海道釧路市では「真空管型の電蓄」のある家はまれで、真空管が壊れると札幌から出張してきて、真空管を取り換えるという時代。近所の若者がレコードを買ってきては我が家で聴いていたため、小生、自然に覚えたのを歌っただけなんだがね…。一度目の音楽挫折。
二度目の音楽との出会い(学校の授業は別)は中学2年の時。音楽の先生から「NHKの全国音楽合唱大会」に当校も参加するので、君は音楽部員ではないが、練習に参加するように」と命令され、仕方なく参加。大会当日、当校の出番となり、ピアノ演奏が始まって、いざ合唱というところで、あれだけ練習したにも関わらず、舌が縺れて歌にならず、顔はひきつるは、喉はカラカラ。二度目の音楽挫折。
三度目の音楽との出会いは、歌は緊張のあまり顎関節症になりそうなので、それでは楽器でも覚えようかということで、高校2年の修学旅行で、小遣いが余ったのを機に東京でマンドリンを購入。今、思いだせば、ミカン箱に針金を張ったような楽器で、腕も腕なら、楽器も楽器、よくあのような楽器で弾いていたなあと懐かしい。その後、大学のマンドリン楽部に入部。先輩にしごかれながら、何とか失敗も無く(本当は失敗だらけだったんだけど、ヤバそうなところは弾かないというテクニックを覚えた)今日に至っている。
但し、CSEの皆さん、当楽団では真面目に弾いておりますので、誤解のないようにお願いします。弾いてないのは、お腹が空いている時か、疲れている時だけですので!
いつも隣りできれいなマンドリンの音を聴かせていただいています。
以前一度歌っていらっしゃる所お見かけしました。あれは、セビリア?とてもお上手でびっくりした記憶があります。小学校の時、「僕って歌うまいんだ」って思ったのは間違いなかったようですね。
やはり歴史があるんですね!