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9月上旬、新潟(新発田)・青森
(弘前)を旅しました。
新発田
新潟駅から白新線に乗り新発田駅で
下車。
駅前で昼食をとりますが、雨は止みそう
にありません。タクシーで新発田城まで
行きました。
表門前で下車すると、堀部安兵衛の像が
雨に濡れて立っています。
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(辰巳櫓)
辰巳櫓の管理責任者であった安兵衛の父
中山弥次衛門は、櫓の失火の責任を負い
浪人となり、安兵衛は18歳で江戸に出
ます。
赤穂藩主浅野内匠頭と新発田藩主の孫、
溝口宣就は親戚同士で、大目付の宣就が
安兵衛と知り合いで、討ち入りにも関与
していた可能性ありとの最新の研究もあ
ります。
(読売新聞 2017.9.8付)
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(辰巳櫓内部)
新発田城は鎌倉時代より新発田氏の居城
でした。
1581年新発田重家が信長の越中・越
後侵攻に呼応して上杉景勝に対して反乱
を起こしました。
しかし信長没後は孤立し、1587年
新発田氏は滅亡します。
1598年、溝口秀勝が秀吉の命により
加賀国大聖寺から新発田に入封しまし
た。
歴代藩主は河川改修や干拓などの治水と
新田開発に努め、美田の広がる地へと変
貌させました。
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(旧二の丸櫓内部)
1873年(明治6年)廃城令により、
大半の建物が破却されました。
城跡には陸軍の歩兵第16連隊が置かれ
ました。
現在も大部分は陸上自衛隊の新発田駐屯
地となっています。
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(旧二の丸櫓内部)
平成16年に三階櫓と辰巳櫓が復元され
ました。
天守閣の代わりを果たしていた三階櫓は
、3匹の鯱を配するという独特の櫓で
す。(内部は通常は公開されてません)
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(三階櫓)
雨天の撮影に苦労しましたが、夕方新潟
に戻りました。
旅の楽しみの一つは、地元の美味しい肴
と地酒を探して「居酒屋」に入ること。
ホテル近くの「あづま亭」という店に入
りました。
カウンターでほっと一息つきながら飲ん
でいると地元の2人連れの方に声をかけ
られました。
しばしお城談義をしていると、途中から
板前さん(新発田出身)も話の輪に加わ
り、何だか楽しくなってきました。
人情あふれる新潟の夜でした。
あづま亭 中央区東大通り1-7-1
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