matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

新潟から青森へその1-新発田城

2017-10-02 08:37:48 | 日本100名城




 9月上旬、新潟(新発田)・青森
(弘前)を旅しました。

 新発田

 新潟駅から白新線に乗り新発田駅で
下車。

駅前で昼食をとりますが、雨は止みそう
にありません。タクシーで新発田城まで
行きました。

表門前で下車すると、堀部安兵衛の像が
雨に濡れて立っています。


 (辰巳櫓)

辰巳櫓の管理責任者であった安兵衛の父
中山弥次衛門は、櫓の失火の責任を負い
浪人となり、安兵衛は18歳で江戸に出
ます。

赤穂藩主浅野内匠頭と新発田藩主の孫、
溝口宣就は親戚同士で、大目付の宣就が
安兵衛と知り合いで、討ち入りにも関与
していた可能性ありとの最新の研究もあ
ります。
 (読売新聞 2017.9.8付)


 (辰巳櫓内部)

新発田城は鎌倉時代より新発田氏の居城
でした。

1581年新発田重家が信長の越中・越
後侵攻に呼応して上杉景勝に対して反乱
を起こしました。

しかし信長没後は孤立し、1587年
新発田氏は滅亡します。

1598年、溝口秀勝が秀吉の命により
加賀国大聖寺から新発田に入封しまし
た。

歴代藩主は河川改修や干拓などの治水と
新田開発に努め、美田の広がる地へと変
貌させました。


 (旧二の丸櫓内部)

1873年(明治6年)廃城令により、
大半の建物が破却されました。

城跡には陸軍の歩兵第16連隊が置かれ
ました。
現在も大部分は陸上自衛隊の新発田駐屯
地となっています。


 (旧二の丸櫓内部)

平成16年に三階櫓と辰巳櫓が復元され
ました。

天守閣の代わりを果たしていた三階櫓は
、3匹の鯱を配するという独特の櫓で
す。(内部は通常は公開されてません)


 (三階櫓)


雨天の撮影に苦労しましたが、夕方新潟
に戻りました。

旅の楽しみの一つは、地元の美味しい肴
と地酒を探して「居酒屋」に入ること。

ホテル近くの「あづま亭」という店に入
りました。

カウンターでほっと一息つきながら飲ん
でいると地元の2人連れの方に声をかけ
られました。

しばしお城談義をしていると、途中から
板前さん(新発田出身)も話の輪に加わ
り、何だか楽しくなってきました。

人情あふれる新潟の夜でした。

 あづま亭 中央区東大通り1-7-1


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