今日は、ホンマに暖かいお天気でした。
朝は冷え込みましたが、日中は4月の陽気。
しかし、明日から下り坂とのこと。
それと、広島では桜の開花宣言が出たようで、まもなく桜の季節がやってきます。
話は変わりまして、今日はテレビや新聞など、とにかく10年前のあの出来事が取り上げられています。
未曽有の大災害、東日本大震災です。
あれから10年、普段はだんだんと思い出すことが少なくなり、この時期多くのメディアが取り上げることで、記憶の振り返りをしています。
私は、2011年の6月の終わりから7月にかけて半月近く岩手県の大槌町へ災害ボランティアとして、行ってました。
そんなこともあり、テレビなどで大槌町が取り上げられると、グッと画面に近づいてみます。
また、当時は、宿泊場所として宮古市のホテルにいたので、宮古のことも同じです。
毎朝、ホテルの近くのローソンで朝食と昼食分を買って、車の中で食べながら大槌へ向かいました。
ホテルも1階部分が津波にやられたので食事が摂れなくなっていたためです。
向かう途中は、被害のひどいところを通っていくので、辛い光景でした。
被害の大きかった山田町を抜け大槌へ。
そして、社協のボランティアセンターへ行き、朝礼。
それからは私の仕事と言うのは、避難所や当時できかけていた仮設住宅、あとは民家を訪ねて、生活の様子を尋ね、必要な支援がないかニーズ調査をしていました。
個人的には、土砂の除去など肉体作業の方がよかったのですが仕方なし。
被災された方を訪ねていくのは、精神的に辛かったことを思い出します。
家族を津波で亡くされた方、それも見えるところで・・・。
そんな方の話を聞くのはとてもとても重かったです。
お昼になると、朝コンビニ買ったおにぎりとボランティアセンターに全国各地から届いてたカップラーメンを食べてました。
暑くなりかけてきた時期なので、ハエがすごかったです。
町の様子は、こんな感じの光景で、復興はホンマにするのかな?と、思いました。
とにかく、10年前の大槌町で過ごした記憶は忘れることができません。
今日も当時の写真を見て、どうされているかなぁ、と思い返しています。
そして、翌年の9月に再度訪れました。
海岸清掃のボランティアをやってきました。
当時お世話になった社協の方にも会ってきました。
元気にやっておられました。
そして、一昨年、もう一度訪ねました。
町は、風景は一変していました。
ただ、人は戻ってきていないようです。
まだまだ、大変です。
それと、昨年結婚した長男の奥さんが福島県富岡町出身。
原発がとても近いところで数年間全町避難されてました。
今も、帰還がOKになった3年ほど前から富岡町でご両親は暮らしておられます。
そんなご縁もあり、今では福島の話題にも敏感になりました。
みなさん、頑張っておられます。
コロナが治まれば、福島の浜通り、そして、北上して宮城、岩手と訪ねていきたいと思っています。
そんなときが、早く訪れますように。
オッ!と、それまでに千葉の孫に初対面をしに行かねば。
コロナの終息が待ち遠しいです。
あの時の激しい揺れは、恐かったです。
翌日の夜、停電が解消され、テレビを見ると津波で家屋が流され、多くの人が犠牲になったことを知り、愕然としました。
さらに原発の爆発、放射能が漏れて30キロ圏内の避難が始まりました。
こちらは、被害は少なかったですが、不安な日々でした。
ぼたもちさんは、暑い時期に災害現場へ向かわれて、ボランティアとして活動されたんですね。
大変な時の活動に頭が下がります。
ご長男の奥様は富岡町の出身ですね。
原発から近いので、まだ帰還できない地域があるのでしょうね。
震災前は、東北旅行の折、ドライブした地域です。
コロナが収まったら、東北へ行ってみたいと思っています。
いつ起こるかわからない災害、あらためて気を付けて過ごしたいと思いました。
あれから10年・・・。
かりんさんの茨城も、福島の隣ですし、不安と心配が大きかったことでしょう。
被災された方々の悲しみと不安、様々な感情は想像を絶することだったと思います。
ここ滋賀県は、地震はほとんどないのですが、断層もありますし、いつかは・・・。
防災に対する備え、こんな機会ですし、見直して準備が必要と思いました。
平穏な日々を送れることに感謝ですね。