ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

【西村幸祐】苫小牧大学が突然!中国に無償譲渡される

2017年06月27日 | 政治

【西村幸祐】苫小牧大学が突然!中国に無償譲渡される

京都育英館、中国共産党と関係が深い学校法人。
北海道のシナ人による土地の買収、非常に大きな問題がある。
文科省はどう動いているのか?
中国共産党員が理事をやっている学校法人がなぜ認められているのか。

無償で譲渡する側は「人件費」で退職金を払わなければならない、など。
学校の固定資産税からも解放される、ということもある。

このことについて産経新聞の記事

苫小牧駒沢大が中国化する 譲渡先法人理事「中国共産党員」系列高は田中将大投手ら卒業の名門
 大リーグ・ヤンキースで活躍する田中将大投手やスピードスケートなどでオリンピックに7回出場した橋本聖子参院議員らを輩出した名門、駒澤大付属苫小牧高校を擁する学校法人駒澤大学(須川法昭理事長)が今年1月、傘下の苫小牧駒澤大学(以下苫駒大)を中国と関係が深い京都市の学校法人に無償で移管譲渡することを決めた。すでに協定書を交わし、文部科学省に設置者変更を申請、認可されれば、来年4月1日から、苫駒大の名前が消える。一部大学関係者や寄付行為者である曹洞宗の関係者の間では、移管譲渡までの経緯が不透明なうえ、苫駒大が“中国人大学”になり、駒大グループが“中国化”するのではないかという不安が広がっている。一体、何が起きているのか?

 移管譲渡を受けるのは「学校法人京都育英館」(松尾英孝理事長)。平成25年4月に設立され、京都看護大学や苫小牧市に隣接する白老町で北海道栄高校(生徒数371人)の運営を手がけている。同法人を設立した「学校法人育英館」(同理事長)は、京都ピアノ技術専門学校や関西語言学院(京都市)、四万十看護学院(高知県四万十市)を運営、中国・瀋陽市では、東北育才外国語学校を設立、経営している。

 ホームページによると、関西語言学院は、中国の高校や大学を卒業した学生を日本の大学や大学院に進学させるための日本語学校。在籍する学生は昨年7月現在で540人で、全員が中国人だ。東北育才外国語学校は東北育才学校(瀋陽市)と共同で設立した中高一貫校で、日本語教育を展開。東北育才外国語学校から関西語言学院、そして日本国内の大学へというルートを構築してきた。

民間調査機関によると、27年5月8日現在、「学校法人育英館」には、中国人2人が理事に名前を連ねている。この理事について、駒大関係者はこういう。

 「調査した結果、1人は中国共産党員だった。東北育才外国語学校の終身校監で、東北育才学校の顧問をしている。過去に全国先進的従事者(全国模範労働者)として表彰されるなど有力な人物だと分かった」

 業務内容や理事の顔ぶれから、中国との関係が相当強いのが分かる。

 譲渡されるのは、苫駒大の敷地15ヘクタール(10ヘクタールは苫小牧市からの無償譲渡で、5ヘクタールは無償貸与)と校舎、図書館(蔵書数10万4千冊)、備品類で、全て無償だ。総資産は約40億円で雑書類や備品を加えると50億円を超えるという。

 協定書案によると、移管日は30年4月1日で、「新たな学校名称に『駒澤』『駒沢』『KOMAZAWA』の文字は使用しない」「教職員の人事異動や給与、その他の変更等、管理運営については一切駒大は関与しない」などとなっており、全て京都育英館主導で運営されることになる。

 現金を伴わない完璧な“買収”だ。

 中国による他国の教育機関の買収は韓国でも行われている。

昨年6月28日付の韓国の全国紙ハンギョレ(電子版)は、中国の武昌理工学院が廃校の危機にある韓国・韓中大学(江原道東海市)の買収計画を伝え、「自国の戦略と要求の中で韓国の大学を対象とした買収が行われているため、韓国の高等教育の発展に役立つかは疑問だ」という識者の見解を紹介している。

 京都育英館の進出で、苫駒大が中国化する懸念が十分に予想される。苫駒大関係者は「中国名の大学になる可能性もある」と前置きした上で、こう話した。

 「文科省の認可を受けてから生徒を募集しても集めるのは難しい。結局、中国の留学生を受け入れることになるでしょう。教職員や語学留学生を含め中国人がドッと入ってきて、大規模な中国人大学になる可能性がある」

 岩倉博文苫小牧市長は「少子化の中で、苫駒大の現状を考えると、一定の定員を確保しながら存続していくのは難しい。廃校を避けたいという思いが強く、やむを得ない選択だった」と苦しい胸の内を明かす。

 駒大の理事の一人はこう言って眉をひそめた。

 「日本の有名大学を卒業した中国人エリートに聞くと『間違いなく乗っ取りだ。それに駒大が協力したということ』という答えが返ってきた」

 京都育英館に移管譲渡されることで、苫小牧駒澤大はどう変わるのか? 地元メディアは、文部科学省への設置者変更の認可申請が認められるのを前提に、京都育英館と中国との深い関係を好意的に捉え、新大学設立に期待を寄せる。一方で苫駒大関係者からは「情報が錯(さく)綜(そう)していて、実際にはどうなるのか分からない」(元職員)と不安の声が。

学校法人京都育英館はどう考えているのか?

 松尾英孝理事長は産経新聞の取材に「文科省の認可が出れば大学名を決め、来年度からの学生募集を始める」とした上で「運営理念は地域貢献で地元に貢献するのは日本人でも中国人でも構わない。躍動感のある大学にするために、系列の中国の語学学校などからの受け入れを進めるが、当面は日本人学生だけを募集する」「来年度から四年制大学を造る。平成31年度から看護学部など学部、学科を増やしていき、単科大学から総合大学への移行を目指す」-と構想を述べた。

 苫駒大の川島和浩学長(54)も「松尾理事長は説明会で『ビジネスの視点から経営がしっかりできる大学に立て直したい。3年後ぐらいにはプランを持っている。文科省の認可が下りた段階で公表していく』と強調していた」という。

 ×   × 

 だが、こうした構想に懐疑的な見方も根強く、苫駒大や曹洞宗の宗門の関係者の間では、さまざまな臆測が流れている。

 その一つが、中国人留学生の大量流入だ。

 川島学長によると、松尾理事長は「日本人が集まらない場合は、中国とのルートで留学生を受け入れることも一つの案としてあり得る」と話したといい、同理事長は地元紙のインタビューでも「学生全体の2割程度を外国人学生とし、積極的に受け入れる。東北育才外国語学校の生徒が苫小牧の大学に進学することもあり得る」と述べるなど、中国人留学生の受け入れには前向きだ。

 苫駒大の元職員は「苫駒大は以前、中国人留学生を大量に受け入れたことがある。その際、いろいろな問題が起きた。中国人留学生が増えると、苫小牧がどういうことになるか」と表情は暗い。

北海道栄高校の移転の有無も不安材料の一つだ。京都育英館は、栄高校を苫駒大の敷地内に移転、新しい大学の付属高校化を検討しているとされるからだ。

 駒大は記者会見などで、付属苫小牧高校は駒大が運営を続けるとしているが、松尾理事長は産経新聞の取材でも「栄高校は、連携すれば面白いことができる」と移転をにおわせており、苫駒大関係者からは「栄高校が移転してくると、付属苫小牧高校と競合し、経営は圧迫される」と、存続を危ぶむ声が聞かれる。

 さまざまな臆測が飛び交う中、京都育英館の今後の方針について、岩倉博文苫小牧市長は「全て認可されてからのこと。今後のことは非公式には聞いているが、現段階でそれを明らかにすることはない」と口は堅い。

 ×   × 

 移管譲渡については、曹洞宗関係者は強硬に反対している。譲渡決定への過程が不透明だからだ。

 京都育英館への移管譲渡が公にされたのは、今年1月26日の法人諸学校管理運営検討委員会と理事会、評議員会だった。

 出席した理事の一人はこう振り返る。

 「事前に配布された案内状では『苫小牧駒澤大学の経営方針について』が議題となっていた。ところが、須川法昭理事長が突然、京都育英館へ移管するという声明文を読み上げ、移管協定書案や記者会見などのスケジュールがまとめられた分厚い資料が配られた。全員、寝耳に水の話で、こんなに準備がそろっているのか、と唖(あ)然(ぜん)とした」

 この理事はさらに、「本来、駒澤大学の寄付行為については、重要な案件に関しては資料を1週間前に配布することになっている。緊急の場合はこの限りではないが、今回のケースは緊急でも何でもない。苫駒大の再生の道はある」と不満を募らせた。

 全てが極秘裏に進められたようだ。

 川島学長も「理事会の翌日、急(きゅう)遽(きょ)、招集がかかり、理事会の決定を聞いた。どうしてこのタイミングなのか? どうして京都なのか? なぜ、こんなに急ぐのか? と教職員全員が驚いた」という。

 どういう経緯で移管譲渡が決まったのか? 須川理事長は、記者会見で、入学者減による財政状況の悪化を挙げたが、その後は沈黙を守り、産経新聞の個別取材にも「現在、認可申請中のため、取材をお受けすることをご遠慮いただいております」(駒大広報課)としている。

駒大は、再建のためとはいえ、どうして突然、中国との関係が強い京都育英館への移管譲渡を決めたのか? しかも、無償で。苫駒大の教育理念はどうなるのか? 宗門関係者はいう。

 「疑問が膨らむばかりだ。中国は京都育英館を通して、駒大本校にも進出してくるのでは…という不安もある」

 曹洞宗寺院の最高議決機関、宗議会は、移管譲渡の白紙撤回を求めている。(以上)
http://www.sankei.com/life/news/170619/lif1706190008-n1.html


他に「尖閣」の排他的経済水域にチャイナの海底調査団が居直っている。
これは「実効支配」になる。他国だったら撃墜されていることである。


★ このままではチャイナのやりたい放題である。

加計学園の問題よりもはるかに深刻で国会で取り上げる項目ではないか?





ナントカ王子が内親王の婚約者というマスコミの記事も耐えがたい。
今の日本はまともではない。



ブログのティールーム



マリア・カラスやテバルディの全盛時代(1950~60年代)、力量は十分にあっても商業レコードがなく、日本にその素晴らしさが伝わらなかった名歌手が多い。
その中でもジリオラ・フラッツオーニを続けて「ブログのティールーム」で取り上げているが、
今、これほどの実力ある歌手がいたら・・・と、ため息。

ヴェルディの「トロヴァトーレ」から。名バリトンのロランド・パネライと二重唱。
フラッツオーニの登場からただならぬ緊迫感が伝わる。
ソプラノ・リリコ・スピントという力強さと抒情性を兼ね備える声の質、そして正統的なベルカント唱法である。


Rolando Panerai & Gigliola Frazzoni "Udiste" Il Trovatore



この場面はルーナ伯爵が恋する美しい女官レオノーラを思っているところに、そのレオノーラが登場、驚くルーナ伯爵。
レオノーラは牢獄にいる恋人のマンリーコの助命を乞うが、ルーナ伯爵は嫉妬にとらわれ厳しくはねつける。
そこでレオノーラはルーナ伯爵の愛を受け入れるかわりにマンリーコの命を助けてほしいと言う。
驚き喜ぶルーナ伯爵、マンリーコの釈放を赦す。
しかしこの時にレオノーラはひそかに毒を飲むのだった。

ルーナ伯爵を歌ったロランド・パネライは現在92歳。
下記の動画で歌唱のテクニックについて語っている。

https://www.youtube.com/watch?v=VMcdFMBiPRY

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国士、門脇朝秀先生がご逝去、三宅博先生はいつも門脇先生のことを敬意を込めてお話されていました。

2017年06月26日 | 政治

6月13日に門脇朝秀先生が亡くなられた。
104歳だった。ご本人とご家族のご希望で内々の家族だけでご葬儀を行われた。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

門脇先生は関東軍奉天特務機関に勤務、その後南満州鉄道会社に派遣。
昭和20年8月の終戦、旅順大連地区占領のソ連軍厳戒包囲網を突破、在奉天米軍情報部に交渉、在留邦人22万人の帰還に尽力、昭和22年に帰国。


三宅博先生が深く尊敬されていた門脇先生、
戦後、大陸から無傷で飢えさせることもなく無事に日本人を帰国させた根本中将の実話は三宅先生と門脇先生がよく語られていた。

三宅先生は門脇先生という優れたお方に巡り合えたこと、門脇先生から貴重なお話を伺えることの喜びと感動を繰り返しお話された。
最後の選挙でも「根本中将」の偉業を語られた。下記の文はその一部である。

三宅先生のWEBサイトから
http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/66f02fb14f52325dd1ec0f6e46203e6d

先の大戦の時に満州にいた130万日本人の居留民、これを本来無事に帰さなければならないのに、無傷の100万関東軍は共産主義に対する非常に甘い幻想があったのか、そうした中でソ連に騙されて、満州は混乱の極みにあるので列車で満州を迂回して日本に帰すという甘言にやすやすと乗ってしまって、シベリアの地に送られて奴隷同様の強制労働をさせられて20万人以上が殺された。
そして何よりも満州にいた130万日本人同胞はあのソ連軍に略奪・凌辱・殺人、混乱の極みで数十万人が殺されていった。

関東軍はなぜそんなバカなことをしてしまったのか、彼らの非常に大きな勘違いは「軍の使命は国家の権益を護ることが最大の使命」であると彼らは勘違いしていて、武装解除の命令にやすやすと乗ってあのソ連の本質を知らずに100万関東軍と共に130万人の同胞を地獄に追いやった。
これを我々はもう一度見直さなければならない。
同じ時に蒙古、今の南モンゴル、これは満州と中国の間にある。 
駐蒙軍の司令官は根本博さんという陸軍中将であった。
根本さんは大本営にいる時に情報担当ののシナ班の班長であり、ソ連班の班長と同僚であり、ソ連共産主義の非人道的な本質というものを非常に厳しく認識をされていた。
だから彼は支那派遣軍の総司令部から「武装解除をしてソ連に武器を渡せ」という命令に反抗して「我々は絶対に武装解除に応じない、我々の使命は4万人いる蒙古の居留民を無事に日本に帰すことだ。」と敢然とソ連と戦って4万人の蒙古にいる居留民と30万人以上いる駐蒙軍将兵を無事に日本に帰した。
最終的には蒋介石との話し合いでそういう話がついて実現されたのだけれども。
根本さんは4年後の昭和24年に台湾の金門島の闘いで中国大陸から侵入してきた中共軍を木っ端微塵に全滅させ蒋介石にご恩返しをされた。
彼は軍の使命というのを非常によく理解して、中国の共産党八路軍そしてソ連共産軍、この連中は絶対に心を許してはならないということをよくわかっていたので、武装解除に応じずに敢然とソ連軍と戦って無事4万人邦人を日本に飢えもなく帰した。

あの100万無傷の関東軍の思い違いによって何十万人の人間が殺されていったのか。 
今申し上げた構図がアメリカにおける、或は外国における日本の外務省の外交官たちとの姿勢と本当にだぶる。

アメリカ各地でいろいろと「従軍慰安婦像」が建てられ、それに対して日本の駐在員のご家族の方たちが「学校で子供がいじめられて殴られて帰ってきている、何とかして嘘に基づく不名誉を取り払ってほしい」と言っても微動だにせず全く動かないのが日本の大使館・領事館である。
それは彼らが関東軍と同じ大きな思い違いをしていたからこういうことになってしまった。

彼らはビザの発給であるとか事故がある時は最低限の対応はするが、それ以外の日本人の名誉を護る、或は在外邦人の個々の安全と名誉を護るのは自分たちの仕事ではない、と勘違いしている。 
だからこういうことになっている。
あの71年前の関東軍の思い違いと全く同じ構図がが今の外務省に見られる。   
官僚とはこういう落とし穴に陥ることが往々にしてある。
本来なら政治家がそれを正さなければならないのにそれが全くできていない。(以上)

 ★ 三宅先生は最後まで「門脇先生ともう一度台湾に行きたい」と仰っていたと三宅夫人からお伺いしていました。
ああ感無量です。国士のおふたり天国でお話されていることでしょう・・・。

門脇先生は「残った者にはそれなりの使命があるのです。ただ歳をとって今日一日楽しくでは何の為に生き残ったのかわからない。
私の代わりに何百万という人が死んでいるのですから、その人たちに冥途に行ったら怒られます。
しかし私は「いや、あなた達の代わりに一生懸命やった」と言えるようにしたいのです」と語っていらっしゃいました。





「ブログのティールーム」は休みます。

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【戦後日本よ、今】西部邁大いに語る-ファシスタたらんとした者

2017年06月24日 | 政治

★ 西部邁先生ご出演、楽しみに待っていました。
西部先生の鋭く素晴らしいお話は私は「頭の体操状態」にもなっています。


2017/06/24 に公開
西部邁氏の新著『ファシスタたらんとした者』を引きながら、戦後日本と近代主義について語り合っていきます。

出演:
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 澤村修治(評伝作家・帝京大学非常勤講師)
 西部邁(評論家)
司会進行:水島総(日本文化チャンネル桜代表)

【戦後日本よ、今】西部邁大いに語る-ファシスタたらんとした者[桜H29/6/24]










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【クライン孝子氏】戦後ドイツの偉大な政治家、故ヘルムート・コール氏の事績を振り返る

2017年06月23日 | 政治

【言いたい放談】戦後ドイツの偉大な政治家、故ヘルムート・コール氏の事績を振り返る[桜H29/6/22]

ベルリンの壁崩壊は一滴の血も流さずだった。

この時のことをクライン孝子氏がお書きになった「ベルリンの壁:崩壊20年式典」の一部をご紹介します。


6月に入ってゴルバチョフがボンを訪問した時は、ソ連は食糧危機に見舞われ、コールに食料品を援助してくれないかと頼んでいる。

これを知ったコールは早速「ベルリンの壁」崩壊と同時にドイツ統一の話までゴルバチョフに仕掛けている。
どこまで本気なのか、ソ連がかなり深刻な経済危機に面していることは事実で、この時ゴルバチョフはライン川を見詰めながら「ライン川の水の流れは、せきとめられない」と暗示的なコールに話している。

早速コールはこのことをミッテランに伝えている。
そこでミッテランはゴルバチョフに電話をいれて、何があっても今回の件では武力を行使しないとの約束を取り付けている。
その後ゴルバチョフはをパリへ飛び、ミッテランと会い、さらにこれにミッテランは三項目の条件とつけている。

1.ドイツが東部旧ドイツ領土を放棄すること
2.ドイツが核兵器、細菌兵器、科学兵器製造を放棄すること
3.ドイツがドイツマルクを捨ててユーロ導入に賛成すること。

コールは最初の頃はこの条件を呑むのをためらっていた。
かくして1989年11月9日、真夜中「ベルリンの壁」は崩壊した。
そのドイツ人の歓喜はいかばかりであったか!

これは平成5年の天皇陛下のお歌にもある。ベルリン東西を隔てし壁の払はれて「歓喜の歌」は我を迎ふる

さても「ベルリンの壁」はゴルバチョフの約束どおり武力による鎮圧はなく、無事無血で終った。
経済破綻したソ連である。西側、特に西ドイツのヘルプを期待してソ連は、「ベルリンの壁」撤回との引き換えにカネとモノによる支援約束を、優先させたのだ。

このことに胸を撫で下ろしたものの、ミッテランは次の課題で悪夢にうなされることになる。

だがこの先、ドイツが「統一」という課題をオモテに出して来ることは、間違いのない事実で、コールも遭えば、この問題を取り上げていた。
そのため先の欧州議会で「統一」を口にしたこと、コールに促され記者会見をしたことも事実である。

しかし、「統一」を実現することには内心反対だったフランスの世論も反対が大勢を占めていた。
ドイツは東西に分断したままの方がいいというのだ。「ル・モンド」紙もこの問題に関しては、消極的なコメントしか出していない。

11月18日EU12カ国のトップ会談を行なわれた。
この時サッチャーなどは、ドイツ再統一など論外とばかり、「絶対反対!}をまくしたて一歩も譲らなかった。
多くの国もそれには同調しているようだった。

この模様を一部始終目撃していたコールは11月28日、ドイツ統一に関する10頭目を突如公表する。事前に何の相談も受けなかったミッテランは怒りをあらわにする。

12月15日 早速マルタで、ブッシュ+ゴルバチョフ会談が行なわれた。この際ミッテランは事前に彼らの意見を打診している。
その答えはこうだった。

ゴルバチョフ「21世紀の課題であり、ドイツ統一は百年かけて行なえばいい」
ブッシュ「ドイツの統一? 早くても20年くらい掛かる。心配することはない」

12月20日、ミッテランはボンのコールを訪ねたあと、東独へ出かけている。
西ドイツではすわっ、ミッテランが「統一」反対を唱えて東独を挑発するのではないかと、色めきたち、ドイツ国民は息を詰めて彼の行動を見詰めていたものだ。

結果はどうだったか。「統一するにしても民主的でなければならない」と暗に東独体制をちくりと皮肉りながら、統一に「ウイ」のサインを入れるものだったのだ。

これには理由がある。

1.東独国民の大半が「統一」に賛成していた、
2.「ベルリンの壁」崩壊とこの東独の動きを第二次世界大戦後、ソ連の隷下におかれ辛酸を嘗め尽くして
きたワルシャワ体制に組み込まれたいた東欧諸国が「ビロード革命」と称して、ドミノ現象を起こして、ソ連からの脱却を始めた。
ポーランド、チェコ、バルト三国・・・最後は何と12月25日、キリスト教の最大の行事であるクリスマスの12月25日に、ルーマニアの独裁者チャウシエスク夫妻が射殺されたことだ。

翌年1990年1月4日コールの姿はミッテランの家にあった。
二人は最終的に「ドイツ統一」にゴーサインをいれその条件として

先の
1.30%に及ぶ旧ドイツ領土の放棄
2.ABS兵器製造の放棄
3.マルクを放棄しユーロを導入

さらに独仏両国はソ連の窮状を救うために援助することで合意した。


90年2月10日、コールはモスクワに飛びゴルバチョフと会談し、ゴルバチョフのゴーサインを貰う。

ただしゴルバチョフの条件は

ドイツはNATO加盟から脱出することをも要求している。

最後にはゴルバチョフのドイツのNATO脱退条件は退けられた。
いうなれば、ドイツは当時のソ連事情を見透かして札束と物資で、ドイツ統一をソ連から買ったのである。
かくしてドイツ統一は「ベルリンの壁」崩壊の一年後1990年10月3日に達せ鵜することになった。

ミッテランはドイツ統一の半年前7月15日コールの招待を受けボンで演説をしている。
この際、「自分はふるさとをこよなく愛している。ふるさとを愛していることは国を愛していることである。
この思いは、かつて敵と味方に分かれて戦った戦士の思いとも共通する。

我々はその思いを大切にして、EUという立場で、今後世界に働き掛けていくこと。EUの思いは西欧・東欧諸国の、EUに結集するこれらの国々の、そしてそこに住むふるさとの一人一人の思いである」というニューアンスの演説を行なっている。(以上、クライン女史)

http://kajikablog.jugem.jp/?eid=995319より

★ 戦後ドイツの偉大な政治家はコールしかない、とクライン女史。
クライン女史が語る今回の「言いたい放談」を聴くにあたって、クライン女史がお書きになったかつての文を読んで基礎知識を得てからあらためて女史のお話をもう一度聴いている私である。
そうするとまるで手に取るように無知な私でもわかってくるような気がする。

そういえばソ連が経済的に追い詰められていた時、よくいわれる「北方領土」ももしかしたら何らかの進展があったのではないかと思われる。


                    

ブログのティールーム



ソ連の政権批判をして「人民の敵」として国外追放された世界的名チェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチはベルリンの壁の前でバッハを弾いた。
周囲の人たちはこの老人が世界最高のチェリストであることを知ってか知らずか・・・でも
ここでバッハを奏でる名演奏家の万感の思いを深く感じる。

Rostropovich cello performance in front of the Berlin Wall








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【三橋貴明】東芝半導体売却=日本終わり。「討論」明治維新とは何だったのか

2017年06月22日 | 政治

【三橋貴明】東芝半導体売却=日本終わり。


本来は日本が救うべき。日本はどうなるのか・・・。
市場原理によって潰されていく。東芝は安全保障もからんでいる。
これは大変なこと。

最近、政治のことを考えると嫌になってしまう。
動画を探しても「題名」が独特であまりUPしたいものが今のところない。
書くのも情けない状態だ。

また元気が出たら書くことにします。
それと「明治維新」について考えることが多くなりました。下記の「討論」は4月にUPされたもので西部邁・馬渕先生という論客が出演されています。

【討論】明治維新とは何だったのか?[桜H29/4/22]


明治維新とは何だったのか?

パネリスト:
 加瀬英明(外交評論家)
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 鈴木荘一(歴史家・「幕末史を見直す会」代表)
 西部邁(評論家)
 松浦光修(皇學館大学教授)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
司会:水島総

西部先生、面白すぎます。明治の偉人といわれる人を取り上げ、言いたい放題ですが聴いていて納得してしまいます。巧みな話術、教養、まさに最高の論客であり楽しくお話されるので、途中で聴くのをやめられなくなる・・・でも時間を区切って聴かなければ何もできなくなってしまうので。


 お知らせ・・・今週土曜日「討論」は西部邁先生が出演されます。おおいに期待しています!!

ブログのティールーム



前回の「ブログのティールーム」で「西部の娘」のミニーを素晴らしく歌ったジリオラ・フラッツオーニが歌うプッチーニ「トスカ」から~歌に生き愛に生き

Gigliola Frazzoni "Vissi d`arte" Tosca






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