軽い食中毒に罹ってひっくり返ったおかげで、仕事がパニック状態に陥った。自由業は、スケジュールを乱して1日2日休むと恐るべき事態になるのである。それは私が売れっ子だからではなく、むしろ逆。力関係の問題でメジャーな人達はある程度自由がきくが、私のようなマイナーなフリー・ジャーナリストは無理を重ねてでも最大限、他者のスケジュールに合わせなければならず、自分の都合でスケジュールを変更する時は調整が死ぬほど大変なのだ……。
しょうもない愚痴を言ってしまった。ともかくそういうわけで、戴いたコメントにもすぐに返事できず、せっかくTB入れていただいた記事もきちんと読めていない。皆さん、すみません。……体調が本調子でないので、今日は雑談めいたメモを書いておく。
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時々、早熟な子供がいる。他の同年代の子供に比べて言語の習得が速く、妙に大人びた知識を身に着けたりするので親は「この子は優秀だ」と勘違いするが、何のことはない、早めに成長したというだけである。多くの場合、急速に成長の速度は鈍る。何を隠そう(?)私もそのひとりで、成人して間もない頃に親戚のジイサンがしげしげと私の顔を見、「10で神童、15で才子、はたち過ぎればタダの人という言葉があるが……」と首を傾げた。いや、それならよくある話だが、「タダで止まったら、まだええんやけどなあ。はたち過ぎたらタダ以下、ってのもあるんやなあ。大器晩成の逆やなあ」とのたもうたのには、さすがにズッコケた(ほっといてくれ)。
それはそれとして、要するに比較的早熟な子供だったので、小学校4、5年の頃から冒険小説などにワクワクするかたわら、イキがって大人の本を読みあさった。
ドストエフスキーを読んだのは確か小学校6年生の時だ。ただ、これは今でも間違っていたと思う。筋を追い、言葉の表面だけ理解することは出来ても、何も読み取ることはできなかったのだ。人間と本との関係は「出会うべき時期」があり、遅くても早くても至福の出会いを持てない、と今も私は思っている……。
そのイキがった淫書の中で――10代半ばの頃に、中里介山の『大菩薩峠』を少しだけ読んだことがある。別に時代小説や剣豪小説?が好きだったわけではないし、中里介山なる小説家についても何も知らなかった。ただ、その頃なぜか一時的に「長い小説(物語)」を読むことに凝っており(※1、2)、理解できたかどうだかはまことにあやしいものであるけれども、ドストエフスキーだのトルストイだのスタンダールだの、果ては『源氏物語』や『今昔物語』や『西遊記』や『イーリアス』などまで読み散らしていたのだ。
※1/誰でもそういう時期があると思う。もっと言うならば、おそらく読書に関しては「何か特定のものを読みふける時期」が幾つもあるのではないか。多分、10代から20代の初め頃にかけて。私の場合は長い物語を読む時期のほか、シュール・レアレスムに凝った時期あり、哲学書なるものに凝った時期あり、エロティシズム小説に凝った時期あり、詩に凝った時期あり……。
※2/長い小説に凝る、というのは振り返れば悪いことではないように思う。少なくとも私の場合、小説であれ何であれ活字になったものが「長い」ゆえに腰が引けるということだけはなくなったし、字を読むスピードがかなり速くもなった(後者の方はいいか悪いか不明。読み飛ばしの癖がついてしまったのかも知れない)。
そして「もっともっと長い小説(物語)はないか」とバカみたいに探している時に――本当か嘘か知らないが、その当時においては「『大菩薩峠』は日本で最も長い小説」だと聞いて、何となく最初の2~3冊を図書館で借りてきたのである。
先に結果を言うと、この小説を読み通すことは出来なかった。おそらく3分の1ぐらいのところで、ついに投げ出してしまったという記憶がある。1~2巻目あたりからかなり退屈で、それでも意地を張って読み続けたのだが、とうとう根負け?したのである。「義理?で」あるいは「仕事の必要上、やむを得ず」読まされた本は別として、自分の意志で読み始めて途中で投げ出した本はさほど多くない。特に小説の場合は唯一これだけなので、今でも変に引っかかっているのだ。
何せ10代の乱読体験中のことだから、細かいところはまるで覚えていない。と言うよりも――はっきりと覚えているのはただひとつ。
夕べ朝(あした)の鐘の声
寂滅為楽と響けども
聞いて驚く人もなし
鳥は古巣に帰れども
生きて帰らぬ死出の旅
既に本が手元にないので(ごく若い頃、手持ちの本をまとめて古書店に売り、その対価でまた新しい古書を買う、という生活をしていたのだ)僅かな間違いもあるかも知れないが、私は文芸評論家ではないのだから、ご愛敬ということで御容赦願おう。これは(私の記憶が誤っていなければ)被差別に生まれ育ち、門付け芸人をしている若い娘が唄う「間の山節」(だったかな? 歌の題名はよく覚えていない)である。(※3)
※3/私は自分のブログでよく「はっきり覚えていないが」とか「確か……」といった表現をする。無責任だと叱られるかも知れないが、ブログというのは元来が個人の覚え書きあるいは日記である。いわゆる「事実関係」について嘘やいい加減なことを言うのは表現のモラルに反するが、細かな記憶違いは「かまわない」というのが私のスタンスである。学者の論文や、何十年も残しておくべき記録、あるいはジャーナリストの取材記事であればそういういい加減な態度は許されないが、覚え書きならばOKであろうと思う。(むろん私も原稿料をもらって記事を書く時は、事実関係について裏をとるほか、固有名詞その他間違いがないように自分なりの万全を期す。ただし入稿の段階では未確認で、校正段階で直すということもままある。私が自分のブログで書くことについて“細かな誤りは御容赦”とよく言うのは、その感覚があるからかも知れない。私にとって、ブログの記事は“校正前”の文章なのである)
すみません、「注」で大幅に遮断してしまった。これもご愛敬ということで……(そのうち殴られるぞ)。何が言いたかったかというと、10代の私はこの「間の山節」(?)にひどく驚き、ほとんどショックを受けたのである。さらりと聞き流してしまえば単に感傷に満ちた言葉の羅列にすぎないのだけれども……それにアタフタとしてしまう自分に、私は驚いたのだ。
……センチメンタリズムとニヒリズムが野合したときの恐ろしさを書こうとしたのだが、仕事の準備をしなければならないので今日はここまで。(何か最近、尻切れトンボのエントリが多いなと反省することしきり)
私も借金で首がまわらなくなり(笑)、ブログどころではない日々だったので、おひさしぶりってかんじなのですが(たった数日なのに)、華氏さんも仕事忙しそうですね。
早熟な子どもだったということですが、私もわりとそうだったかも・・。ずっと背も高かったし。でも、やっぱり、「はたち過ぎたらタダ以下」になってしまいました。
意味もないことを書きにきてしまいましたが、北朝鮮のミサイルのニュースばかりなので、なんかいやな気分が続き、家の中も湿気が多く、洋服にかびがはえていたりして、ほんとにほんとに、すっきりしないので、ぐちをjこぼさせていただきました。失礼しました。
ムルくんは元気?
あたしがついたのはニューオリンズの朝日楼という名の女郎屋だった
愛した男が帰らなかったあんとき私は家をでたのさ
汽車に乗って また 汽車に乗ってまずしいあたしに変わりはないが
ときどき思うのはふるさとのことあのプラットホームの薄暗さ
誰か 言っとくれ 妹にこんなになったらおしまいだってね
あたしが着いたのはニューオリンズの朝日楼という名の女郎屋だった
『朝日楼』『朝日の当たる家』イギリスのグループ・アニマルズの曲で有名だ。
日本では浅川マキとか、ちあきなおみとかが歌っているのが好きだった。(なぜか中島みゆきには似合わない)
ニヒリズムってこんな歌の感覚なのかな。そしてそんな歌を聞いてすこしセンチになるのが感傷主義だとしたら、僕はちっとも危険だと思わないけど。
なぜかフィクションはほとんど興味がなくて,中学以上から岩波文庫なんかをちまちま読んで行きました。ただ,小学校に入った時から,毎日天声人語だけはノートに写して来たので,自然と日本語の力はつきましたね。つまり私は天才じゃなくて努力派の遅咲きです。理科系は一概に遅咲きが多いみたいなので,中学入試で潰れて中高一貫校をやめる子供が多いそうです(メーカーだと特にそうだけど,東京の中高一貫校出身者が一番役立たず)。