華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

牡猫ムルの人生相談・4――とむちゃんの巻

2007-02-11 04:01:57 | ムルのコーナー

 都の東北を縄張りとするボス猫のムルが、皆さんの悩みに勝手に答える「牡猫ムルの人生相談」。第一回は某国総理、第二回は憲法の話をしたい若いママ、第三回は厚生労働大臣――と勝手にやってきて、全然ご好評を博してもいないのにまだまだヤケクソで勝手に続けております。今回は、とむ丸さんちのとむちゃんを、引っ張り出してまいりました。とむちゃんのママさん、怒らないでくださいまし……(え? おまえはもう出入り禁止だ? ま、まさか。泣)。

 

【質問】絆という言葉の怖さを、どんなふうに整理すればいいのかしらん。

 あのね、最近あたしのママさんが怒りまくっているの。うーん、昔からいろいろなことで「そんなことは許せないわっ」と怒る人ではあったけど、最近、特にもう、ムカツクことが無茶苦茶多いみたいなのね。で、あたしのご飯も忘れる……ってことはさすがにないけども。で、あたしもやっぱり家族の端くれだし、ママさんが何怒っているのかちゃんとわかって、気持ちを共有するってのかしら、そういうことをしたいわけ。そりゃあたしは猫だもん、むつかしいことはわかんないけど……。たとえばね……ママさんが「戦後日本が失ったもの?」というタイトルで書いてるんだけど(詳しいことはそっちを見てね)、国会議員の人に対して「戦後日本が失ったものは?」というアンケートがあったんだって。そこで上位になった3つが、「地域のきづな」「他人への思いやり」「家族のきづな」だったそうなのね。で、ママさんはこれをすごく不愉快に思ってるふうなの。教員免許の国家試験かとかにも怒ってるみたいだけど、「失ったもの」の話は怒りが爆発するんじゃなくて、一瞬まともに怒る気にもなれない、みたいな絶望的なため息を感じるの……あたしの思い過ごしかも知れないけどね。ちょっと引用するわね。

【「地域のきずな」は、落語に登場する長屋のご隠居さんはご愛敬として、下手をすると隣近所の干渉になりかねません。】【「家族のきずな」ってなんだろう、「イエ」の成員間の関係を指してはいないか?】【さらには「美しい家族のきずな」がことさら強調されると、ただでさえ「小さな政府」が目指されている社会では、福祉問題も家族問題に還元されてしまうのではないか? と心配します。】【「地域のきずな」「家族のきずな」が失われたと判断した議員の一人ひとりは、いったいどんなきずなを思い描いていたのか、訊いてみたい気がします。】

 ママさんが不愉快に思うのって、わかる気はするの。でもあたしはそれを、うまく頭の中で整理できないのよね。何せ、地域も家族もない「猫」だもん。それに、ほんとにそういうものが失われてきたのかも知れないなと思ったりするし。世の中がどんどん悪くなってきたのは確かかも、とか。ムルちゃん、どう思う?

 

【回答】「昔はよかった」なんて言葉は、眉に唾付けて聞くべしだね。

 やぁ、とむちゃん、お久しぶり~。ほんと、ママさん怒ってるね。とむちゃんの言う通り、ズバッとした直球じゃなくてちょっと遠回しな表現になっている分、かえって深く静かに潜行する感覚みたいなものを感じるね。

 いや、おいらもさぁ、国もなければ親もない、ご意見無用の野良猫だからよ。絆なんて言われると「わかんねえー」と首振るしかねぇけどさあ。ただ、「昔はよかった」風なことが言い出される時って、ちょいと気をつけた方がいいとは思うんだ。たとえばさ、江戸時代はよかった、人情があふれてて……みたいに言う人っているじゃん。そりゃまあ、今より人情は厚かったかも知れんさ。おいらには、その辺のことはわかんねぇよ。でもよぉ、江戸時代っつーのは、庶民の人権なんか認められてなかった時代だぜ。そりゃ、いいところもあっただろうけど、社会の仕組みとしては決してユートピアじゃなかったはずさ。だから、ギリギリのところで嫌でも助け合わなければならなかった、のかも知れない。時代小説、ってのがあるだろ? いや、むろんおいらは猫だから1冊も読んじゃいねぇけどさ、いろんな小説家が時代小説書くのは、「自分の意思ではどうしようもない有形無形の掟に縛られた世界での悲劇や喜劇」を書くのに、すごく便利だからじゃないかなって思ったりする。ひょーろんなんかする気はないけどさ。

 戦前の社会でも、そりゃあさあ、いいとこはいろいろあったと思うよ。失われたものもいっぱいあるかも知れない。その辺は猫の長老にいろいろ聞いたりしてる。でもさあ、明治憲法と、今とは全然違う民法に縛られてた時代なんだぜ? 息苦しかったと思うけどなあ。

 ま、それはそれとして。失われたものは、あるかも知れない。失われた風景、とかは確実にあるだろうしね。でもねえ、とむちゃん。さっきちょっと言いかけたけど、それが「昔は良かった」とは絶対イコールじゃないとおいらは思うんだよな。「昔はよかった」ふうなことを言う連中の言葉を、よくよく聞いてりゃわかるじゃん? そういう連中は、自分達に都合のいいところだけ取り上げてるだろ。いや、誰だって何か言うときは、自分に都合のいいところをピックアップするさ。そのぐらい、おいらでもわかってるさ。おいらもしょっ中、やってるからさぁ。だから問題は、「何が言いたくて、それを持ち出したか」だと思うんだよな。聞いてるとわかると思うけど、「昔はよかった」論者がいうところの「よかったもの」って、分際を知った生き方とか自分を抑えて誰かに尽くす精神とか、オカミに都合のいいモラルと関係の深いものが多いと思わない? 

 本当のこと言うと、おいらは「人情」とか「絆」とかの基本みたいなものは失われたわけじゃないと思うんだ。自分の命を賭けて誰かに尽くす、みたいな心意気も在る。話が逸れちゃうから具体的には言わないけどさ、おいらだって、人間社会と接する中でそういうのを感じることは結構あるもん。ただ、「昔」とはすこーし色合いが違うかも知れないけどね。当たり前じゃん、世の中は変わっていくんだもん。表現方法だって変わって当然じゃんか。

 地域の絆がとか家族の絆がとか、何とかのひとつ覚えみたいに言われるけどさぁ、そんなもん、ほんとのとこどうだっていいじゃん。人間が生きていく上で必要なものであれば守られるし、不要なものであれば捨てられる。多分必要なものなんだろうけど、それなら無くなったりはしないさ。もし無くなるとすれば、それは人間が地球にとって不要、つーか有害無益な存在だったというだけのこと。ま、静かに絶滅するんだね。既に消え去った数え切れないほどの種の後を追ってさ。いずれにしたって、絆なんてものは無理矢理作りあげたり押しつけたりするもんじゃねぇし、そんなことしたってうまくいきっこないさ。

 それなのにことさらに「絆が失われた、失われた」と言いたがるのって、すごく危険だなとおいらは思う。そういうこと言う人の頭にある「絆」のモデルは、過去のものでしかない。昔を懐かしむことでしか自分という存在を確認できないジイチャンの、老いの繰り言だね。……って、そこそこ若いくせにそういう老いの繰り言する連中もいて、その辺はちょっと信じらんない気分だけど。懐古趣味って、たぶん、人を酔わせるんだよね。未来は不確実だけど、過去は確実に存在するわけだし。

 でもさぁ……昔のことを考えるのはいいよ。て言うか、昔のことは知っておくべきだし、いいところはきちっと評価して受け継いでいくべきだけど、「昔はよかった~」だけにはなっちゃいけないと思うんだよな、おいらは。

 それと、もひとつ。ママさんの言葉にもあるけど、「いったいどんな絆をイメージしてるんよ?」ということ。おらが村さえ豊かになればいいとか、よそ者は排除しようぜっていう絆もあるしね~。

 無理矢理引きずり出したのに、まともな話できなかった。ごめんね。これからきちっと考えとくから、勘弁して~。……てことで、とむちゃん、ママさんによろしくねっ。いつぞやはご馳走さま、また遊びに行くからサカナ食べさせてね~と伝えておいて。おみやげも持ってくからねって。おいら、とむちゃんに色目使ったカドでママさんに嫌われてるかもだからさぁ、これでも結構、気にしてンのよ。こう見えてもおいら、繊細なんだぞ。

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2 コメント

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ムルちゃん、見直しちゃった! (とむ丸)
2007-02-12 10:37:11
それに、フォローをありがとう(爆)。
政治家はもっと見識を持て! と注文したい。
なにしろ、苦労知らずが多すぎる!

(と、まだ怒りモードのママです)。
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ノー! 石原! (喜八)
2007-02-13 17:50:54
華氏さん、こんにちは。
↓こんなん書いてみました・・・。

石原慎太郎氏を支持しません
http://kihachin.net/klog/archives/2007/02/noishihara.html

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