美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

今日は夫の誕生日、だったのです

2022-10-01 16:01:08 | 私の日々
10月1日は、8月23日に亡くなった夫の誕生日です。この何年かは、バースデイカードを贈るくらいの誕生日でしたが、それでも、毎年、この日は特別の日でした。夫が生まれた日、私が夫に会えたのは、この日があったからでした。

でも、今年はとても寂しい日です。普段、母や妹と一緒に何かしているときに、ああこれは夫の好きな果物だったねとか、お肉好きだったよね、とか。チャーリーと一脚の椅子を分け合って座っていたねーとか、みんなが嫌がることをなんでも引き受けてくれていたとか、そんなことを思い出して話しています。

今も、施設に夫はいて、コロナが落ち着けば、会えるようになるのだと錯覚しています。施設にいたので、いつも会えなかったし、夫は、肉体を備えた人ではなく、夫という存在の人だったのです。今も生きているように思えるのは、そのせいもあるのでしょう。

私は、夫が亡くなったとき、とてもきれいな顔で、穏やかな様子だったのを、嬉しく思いました。長い寝たきりの状態を過ごし、家族にも会えないままに、弱っていったことを辛く悲しいと思っている様子ではなかったからです。

夫の顔をさすりながら、「お父さん、よく頑張ったねー」といいながら、「もうこれ以上頑張らなくてもいいので、良かったねー」と話しかけました。

8年の間の辛い寝たきりの生活は、もういいよと思いました。だから、亡くなったことは、夫にとっての安心だったと思います。コロナがはやらなかったら、きっと、家族と楽しい日々を過ごせただろうと思い、その時は、もっと長生きしてくれればいいと思ったでしょうが。

夫は、人に触られるのも嫌いな人だったのですから、体を触られなければならない日々はとても辛い日々だったと思います。それを思うともういいよとやっぱり思います。

私は、夫が亡くなったことをとてもやりきれない気持ちでいますが、でも、夫は私にとって、いなくならない人です。今もずっとそばにいて、私が書いている文章に、文句を付けているような気もします。夫という存在は無くならないで、私のそばにいるのが見えるように思います。

私は、本当に小さなお葬式をしました。家族だけのお葬式です。お友達も呼びたいと思ったのですが、私の気持ちが夫から離れてしまうことが怖くて、後で連絡しました。お友達は、みんな、よく頑張ったねと言ってくれました。

あまり人に伝えなかったことで、人からいろいろな態度をとられます。どんなことも、いつも情けないことが多くて、あきれてしまいます。お葬式についてや、人の生死について、苦情を表すことのすごい心の状態を考えると、多くの人は、幸せではないのだなと感じています。

でも、私は小さな私たち家族だけのお葬式を、良かったと思っています。夫とゆっくりとお別れができて、そして、今も夫がそばにいることを、感じることができているからです。

コメント (9)
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