元BAR ZERO店主のつぶやきブログ ただ今お店は長期休業中…

お酒、ハーブ、薬、クラフトレモンリキュール禮満(レイモン)、ドリンクのテイスティングコメント等、雑学などつぶやきます。

マキャベリズム

2020年04月27日 | 先人の言葉

弱体な国家は、常に優柔不断である。

そして決断に手間取ることは、これまた常に有害である。


このことについては、私自身確信を持って言える。国家活動において、物事を曖昧にしておいたことが、フィレンツェ共和国にとっていかに有害であったかは、私自身が体験したことであったからだ。


決断力に欠ける人々が、

いかに真面目に協議しようとも、そこから出てくる結論は、

常に曖昧で、それ故に常に役立たないものである。


また、優柔不断さに劣らず、

長時間の討議の末の遅すぎる結論も、同じく有害であることに変わりは無い。


それが、例えば、誰かを援助しようというものであっても、決定の時期を逸したというだけで、相手を助けられないどころか、こちらの害になって返ってかくるものだからだ。


多くの事は、はじめのうちは内容も曖昧で不明確なものなので、これらをはじめから明確な言葉で表す事は難しい。


だが、一旦決定しさえすれば、

言葉など後から生まれてくるものであることも忘れてはならない。


これらの事は、君主制であろうと共和制であろうと、すべての指導者が心しておくべきことである。

〜政略論


マキアヴェッリ先生の言葉

2020年04月20日 | 先人の言葉
尊敬する先人、
マキアヴェッリの言葉




「今までにも幾度も述べてきたように、人の運の良し悪しは、時代に合わせて行動できるか否かにかかっているのである。
誰でも知っているように、あるものは激情のほとばしるままに行動し、他のものは慎重に慎重を重ねた上で行動を起こす。
それなのに、両人とも限界を踏み外し、失敗に終わってしまうことがある。
反対に、誤りが少なく、幸運に恵まれた人々は、時代の流れを感じ取り、それに合わせて行動して成功する。
激情派、慎重派の違いには関係なくだ。

ファビウス・マクシムスは、ローマ人でいながら、ローマ人特有の激情と大胆さからは離れた、慎重な戦いぶりをする型の武将であった。
この彼のやり方が成功したのは、
それが時代と合っていたからである。
当時イタリアに侵攻してきたハンニバルは、いまだ若さと幸運に恵まれており、2度もローマ軍を破ったのだが、当時のローマ共和国ときたら、精鋭軍団もなく、常勝ハンニバルの前に茫然自失の態にあった。
このような状態では、ファビウスのような、慎重のあまりに行動の遅れがちな指揮官がちょうど良いのである。敵を破ることができなくても、敵軍の牽制はできたからだ。

しかし、ファビウスに栄誉をもたらしたこの幸運も、彼が彼の性格に合った時代に生まれ合わせたことによる。
実際、状況が変わって戦争終結のために敵地アフリカに軍を派遣したいとスキピオが主張した時、それに誰よりも反対したのはファビウスであった。
これは、自分が慣れ親しんできたやり方を変えられない、つまり頭の切り替えのできない人によく起こる現象である。
もしも、ファビウスの意見が多数を制していたら、ハンニバルは、イタリアに居続けることになったであろう。戦争もまた、時代や状況が変われば、その進め方も変わらねばならないのだ。
もしも、ファビウスが専制君主であったならば、ローマはカルタゴに敗れていたに違いない。だが、ファビウスは共和国の人間だった。共和国ならば種々異なる性格を持つ人間たちをかかえる自由もある。困難な情況下で軍を率いていくに適したファビウスのような人間もいるし、勝負を決する状況が訪れれば、それを十二分に活用できる、スキピオのような人間もいるというわけだ。

しかし、時代の流れを察知し、それに合うよう脱皮できる能力を持つ人間は、極めて稀な存在であるのも事実だ。
その理由は、次の2つにあると思う。第一は、人は生来の性格に逆らうような事は、なかなかできないものであると言う理由。
第二は、それまでずっとあるやり方でうまくいってきた人にそれとは違うやり方がこれからは敵策だと納得させるのは、至難の業であると言う理由。
こうして、時代はどんどん移り変わっていくのに、人間のやり方は以前と同じ、と言う結果になるのである。
〜マキアヴェッリ語録 塩野七生